第16話 世界で一番好き

真琴まことside)


 俺、遠久山真琴とうやま まことは、さっきまで乗っていた電車から降りて、『トンデンランド駅』の南側の改札口の前に来ていた


 今の時間はしんしんと闇が運びつつある夜の8時。


 確か、ここで待ち合わせのはずだが……。


「真琴ちゃん、やっほー!」


 いきなり後ろ側から若い女性らしきハイテンションな声がしてビクッと身震いする。


「あっ、驚かせてごめんね」


 振り向いた先にはパッチリとした瞳に吸い込まれそうになる、二本足で歩くメスのトラ。


「こんな場所でごめんね。南側の方が人目につきにくいし、まだ彼とは会いたくないから」


 縞模様の毛皮を包むような清楚な白のワンピースがより一層に彼女を際立きわだたせている。


 これは勝手な推測だが、リアルではとてつもなく可愛い美少女に違いない。


「……それに、妹にも会いづらいし……」

「へえ、まどかちゃんには妹がいるんだ。

やっぱ、君に似て可愛いの?」

「しっ! 妹のことは黙ってて……」


 円と呼ばれたトラは辺りを見渡しながら、俺の口を両手で塞ぐ。


「それより、とにかく目的地の『トンデンランド』の学校に早く行くよ」


 円が俺の耳を引っ張りながら移動しようとする。


「痛てて。俺はパンの耳じゃねーぞ?」

「……つまらない冗談言ってる場合じゃないでしょ。

……いいから、彼に見つかるから早くして」


 円がそそくさと切符を取り出し、無人の改札口を抜けようとする。 


 バレたら何か不味いことでもあるかのように……。


「なあ、何でそうまでしてコソコソする必要があるんだ?」


 カメレオン顔でヒュルヒュルと細い舌を出しながら彼女に訊いてみる。


「さっきまでの電車内での別行動といい、この人目を忍んだ南側の出入り口での待ち合わせといい、元カレのしげるにあったら、そんなにヤバいのか?」

「……何言ってるの。彼とは付き合ってないわよ。それにあんたは別に知らなくてもいいことよ」


 トラが『グルル……』と、目の前の食事を害されたように不機嫌そうに唸る。


「そりゃないぜ。今日、この異世界で出会った仲じゃないか?」

「……分かったわよ。まったく、しょうがないわね。少しここで昔話をしてあげる……」


 円が近くにあった無数の券売機が並んだ広場にある白いベンチに座る。


 その隣に俺も腰かけた。


 カメレオンとトラによる場違いなカップルのような会話。

 どこから見ても異様な組み合わせだった……。


****


まどかside )


 私、円は自動車学校の教習所に来ていた。

 

 ちょうど昨日で学科講習も終わり、私の八月の誕生日も過ぎた。


 これで私も18歳。

 いよいよ路上での実技講習ができる。

 

 私は期待に胸を膨らましてブレザーのスカートのポケットから教習所のスケジュールが書かれたコピー用紙を取り出す。


 そこには、この前に予約した私の番号が記入されていた。


 時間は夜の7時。


 昼間は水泳部の部活通いのため、この時間しか予約が取れなかったが、昼のゴタゴタした時間帯に教わるのも気が引ける。


 それに、噂によると夜に教習を受けた方が、昼間より視野が狭くなり、危機感が増すため、将来、より安全な運転技術が身につくらしい。


(……よし。私、精一杯頑張るぞ。繁ちゃんと遠出したいもんね!!)


 私は気分をウキウキと高揚こうようさせながら、40代くらいの年配の女性教習官と白い普通車の教習車に乗り込んだ。


「今日は、よろしくお願いします」

「はい、よろしくね」


 私が挨拶すると、女性教官は穏やかに微笑んだ。


「じゃあ、早速、エンジンかけて路上に出ましょうか。

あと暗いからライトもつけてね」

「はいっ!」


 私は今までの教訓を思い出しながら、ハンドルを握り、ゆっくりと車を走らせた……。


****


 路上は雨で濡れていた。


 おまけに日も落ちたせいで視界も限られる。


 前方を照らす二つのライトだけが唯一の道しるべだった。

 

 ふと、こちらへすれ違いそうになる、対向車線の運転手に対してライトを下向きに変更する。


 そして、目がくらむ恐れがあるため、こちらからは対向車のライトは直視しないで少し斜めに目線を反らすこと。


 私は学科の教科書で得た知識を思いだし、着実にコースを進んでいく。


「では、次の交差点で左に曲がりましょうか」

「はい、分かりました。左に曲がります」


 左方向のウインカーをつけて左側の交差点へと曲がる。


 その左側へと進み、上向きにライトを向けた瞬間、横断歩道にいきなりサッカーボールが飛び込み、それを追いかけて飛び出す男の子がいた。


「わっ、危ない!」

「ちょっ、くれないさん、何をしてるの、ちょっと、待ちなさい!」


 私は急ブレーキを踏み、教官の呼びかけにも問わず、すぐさま車のドアを開けて男の子の元へ駆けつける。


「君、危ないじゃない!」


 真っ暗な道路で先に転がったサッカーボールを男の子に手渡し、その手を取り、そのまま歩道へ進もうとする。


「ボウヤ、お家は近く?」

『うん、そうだよ。ありがとう』

「さあ、早く。もう暗いからママの元に帰りなさい」

『は~い!』


 暗闇の交差点での二人の会話は、ありえないほどのどかだった。


「紅さーん、後ろっー!!」


 向こうでは凄い形相な教習官が車の窓を開け、何やら大声で叫んでいるが、よく聞き取れない。


「くっ、くれないさーんっ!!」


 突然、私たちの背後から、ガガッーという強烈な音とギラギラな眩しいライトとともに、予期せずに現れた大きくて四角い障害物。


 狂ったようにスピードを上げて迫りくる銀色のダンプカーだった。


 しかも、暗闇の中で運転席によく目を見開くと正面のフロントガラスに写る運転手のおじさんは眠りこけていた。


 恐らく、常に業務で追われる毎日で土砂や産業廃棄物の荷物の運送を休む暇もなく徹夜で運んでいたのだろう。


 だが、それは言いわけで交通ルールを犯していい理由にはならない。


 それから、私たちに向かって凶器の怪物ダンプカーがやってきた瞬時に一つだけ分かったことがある。


 もう、繁ちゃんと仲良くデートできないということに……。


「君、ごめんね!」


 私は男の子を歩道に勢いよく突き飛ばし、その鉄の餌食になり、体が宙を舞った。


 そのまま、鉄の塊の大型ダンプカーに跳ねられた私は、濡れて冷たいアスファルトの路肩へと無造作に転がっていった……。


****


 ……ここはどこかな?


 とても暖かい。

 それに何だか心地よい。

 まるで、母の母体に包まれたような優しい感覚。


 ──そこへ、見覚えのある全身灰色タイツの男の子がやって来る。

 隣に似たような姿な大人の背丈ほどの女性を連れて……。


『ごめんね。お姉ちゃん』

「君、良かった。無事だったんだね。ところで名前は?」

『……ボクはタケシだよ』


 私の頭の中で紡がれる声。

 タケシ君の口は動いているのに私の耳には聞こえない。


 それは不思議な感覚だった。


「それより、ここはどこなの?」


 周りを見渡しても何もない白一色な空間。

 さらに足元からはドライアイスを水に浸して気化させたような煙の立ち込めた空間。 


 まさしく、ここはテレビドラマでよく流れていただろうか……。


『ごめんね。お姉ちゃんは死んだんだよ』

「やっぱりそうなんだ。ここは天国なの?」

『……違うよ、ここは天国と地獄の枝分かれする一歩手前の魂の休憩所。

今、ボクがどちらかへ行こうとするお姉ちゃんの魂に直接話しかけてるんだ』


 そうか、私はこれからあの世へいくんだ。


 だけど、私は一人の命を救ったのに、逆に私が命を無くした。


 このリスクが大きすぎるギャンブルのような賭けの感触で何だか納得がいかない。


 それを考える度に胸が悔しくて、感情が情緒不安定でもやもやする。


 何で人間は弱肉強食の上を行く生き物と言いながらも、こんなにも体も心ももろいのだろう。


 地球上で最強の哺乳類の名がすたる。


 あと、ごめんね。

 繁ちゃん。車で楽しくドライブする約束、守れなかったよ……。


『お母さん、この人がボクを助けてくれたんだ』


 ふと、隣にいる一際大きい灰色の女性に語るタケシ君。


『わざわざありがとうございます。あなたが助けてくれたお陰で息子は無事ですよ』

「……いえ、何かが起こったら助けるのが人としての義務です。私は当たり前の事をしたまでで……」

『いえいえ、立派な心掛けで勇気ある行動ですよ』


 タケシ君の母親がにこやかに私を褒めたたえる。


「……でも、死んでしまっては意味がないでしょ!」


 ──しかし、私にはその言葉は嫌みにしか聞こえなかった。


 私が自棄やけになり声を荒げて、ビックリする二人の親子。


 そのあまりの反応に、つい出会ったばかりの他人に感情的になってしまったことを反省する。


『……ああ、言わなければ良かった』と後悔だけがつのる。


『あなたなら、そう言うと思いました。とりあえず、これからの判断基準のため、今の下界を見て下さい』


 すると、タケシ君の母親の目が光り、殺風景な白い部屋に映像が写り出した。


****


「円、どうして、どうしてこうなるんだよ!?」


 セミがミンミンと鳴きわめき、太陽が照りつける真夏の昼下がり。


 そこには火葬行列で並び、私自身が安らかに眠る棺桶にしがみつき、涙を流す繁ちゃんが写っていた。


「君は僕の生き甲斐だったのに……。

……それにもっと二人で遊ぼうと約束したじゃないか!」


「……置き去りにされた僕の身にもなってくれよ!」


 ひたすら小さな幼子のように泣きじゃくる繁ちゃん。

 

 端から見ている周囲の大人たちの表情は動揺と哀れみでごった返していた。


「……繁たん、よしな……らしくないわよ」


 そこへ棺桶から繁ちゃんを引っ剥がす妹の舞姫まいひめ


「うるさい、

お前らに何が分かるんだよ!! 

僕の気持ちも知らないでっ!!」

「……だからもう、いい加減にしなっ!」


『バチン!』


 何もいざ知らず八つ当たりをする繁ちゃんのその無神経な台詞に、カチンときた舞姫が彼の頬をひっぱたく。


 突然の痛みに唖然あぜんとする繁を見つめ、彼女は泣いていた。

 強気な素振りを見せながら、瞳からどんどん涙がこぼれ落ちていた。


つらいのはアンタだけじゃないんだよ……。

……アタイらにとっては大事な家族なんだよ……平然でいられるわけないじゃない」

「舞姫……」

「……それに円姉は少年の命を救ったんだよ。最後まで勇敢で正義感があふれた素敵なお姉ちゃんだったじゃん」

「……そうだな、泣いていたって始まらないか。取り乱してごめん」

「そうだよ。繁たんがそんなんだったら円姉も安心して成仏できないじゃん」

「……そうだな。円、ごめんよ、本当にごめん……」


****

 

 そこで、タケシ君の母親が発していた瞳からの映像がプチリと途切れる。


『……ごめんなさいね。これ以上は力が維持できなくて……』


 タケシ君の母親が申し訳なさそうに答える。


「いえ、ありがとうございます。

……もう結構です」


 私はおおやけに明かされた映像から、大体の状況を理解できた。


 あんなに取り乱す繁ちゃんを見たのも初めてだった。


 そうか、繁ちゃんは私のことを心底好きだったんだ。

 私と同じで相思相愛だったんだな……。

 

『お望みとなれば、あなたをまだこの世に留める事もできます』

「……えっ、今なんて?」


 タケシ君の母親が突如とつじょ、突拍子もないことを呟く。


『息子を助けてくれたので、お礼がしたいのです』

「どういうこと? これから私の肉体は無くなるのに?」

『……実は、あなたの魂のみを留めれる異空間がありまして……そこへ行けば成仏したい時まで現世に留まる事も可能です。

……また、見た目も別人になるので問題はないはずですよ』

「はあ? あなたたち二人は何者なの。

もしかして科学者?」

『……いえ。そんな大それた輩ではありません。ただの何の変哲もない宇宙人ですよ』

「はあ? 何が言いたいの?」


 今、この人、私たちは宇宙人とか妄想爆弾宣言したよね。


 それはそれで十分に問題ありなのだけど……。


 まあ、ギョロりとした大きな瞳といい、灰色に彩られた怪しいルックスといい、カエルのような顔つきの顔で、言うことなすことおかしい感じはしないまでもないけど……。


 でも、一つだけ心残りがある。

 最後に、もう一度話がしたい。


 世界で一番好きな繁ちゃんと……。


「……分かったわ。詳しい話を訊かせて」


 私は強く決意した。

 それが可能ならば、彼にまた会えるなら、あがけるだけあがこうと……。


****


(真琴side)


「……なるほどな。円ちゃんにはすでに肉体はなくて、魂のみでこの異世界にいるわけだ……。

……しかし、噂には聞いていたが、まさかあの舞姫ちゃんの姉が君だったとはな」

「そう言うこと。分かったら急ぐわよ」

「……おいおい、さっきから何でそんなにかすんだよ」

「繁ちゃんの本当の気持ちを確かめたいのよ」


 彼女は一体何が言いたいのだろう。

 俺には意味が分からない。


「……それにあなたと繁ちゃんはワケありで追われている立場。

だから、今会うわけにはいかないの」

「……円ちゃん、すげえな。そのワケありのことを知ってるのか?」

「ふふっ、女の勘ってやつよ」


 何と、最近のおなごは色仕掛けの他にテレパシーも使えるのか。


 これはもう、アンスタグラムやLINAの時代は終わりかも知れない。


「分かった。こうなりゃ、最後までとことん付き合うぜ」

「了解。聞き分けのよいボーイで助かったわ」

「ふっ、ボーイか。なら俺は君の専属コックで決まりだな」

「バカ言ってないで、さっさとして。

とりあえず今日はもう遅いから宿をとるわよ」


 それから、俺達二人は『トンデンランド駅』から広い道路に出て、泊まれる宿を探すため、繁達に見つからないように素早く行動を再開した……。

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