第2章 リアルと非現実の狭間

第7話 聞き慣れない単語

弥生やよいside)


 私は男好きなビッチで有名だった。

 高校に入学してからその蜜を知った。


 しかし、それは噂だけで本当は違った。

 私は誰とも抱かず、誰にも抱かれなかった。


 いつも男子とつるんで付き合っていたので噂に背びれや尾びれがついたのだろう。

 未経験とはいえ、様々な男子と交際していたことは間違いなかったから……。

 

 ──しばらくして、私は今の私立高校へと転校した。

 前の高校ではバイトは禁止だったからだ。


 今の私にはお金が必要だった……。


****


(弥生回想シーン)


 中学に入学してから、半月ほど時は経ち、私の両親は離婚した。


 父が母を捨てたのだ。


 ──私が中学に上がるころ、父が毎日の仕事帰りに飲み屋で酒の味を覚え、遅い夜中に帰宅するようになった。


 その異変にいち早く気づいた母が父が入浴している隙をつき、父の身辺を毎回調べつくした。


 ……いつも、父の携帯にはロックがかけられて中身のメールなどは見れなかったが、ある日、ジャケットのポケットに飲み屋のロゴが白く描かれたカラフルなライターが入っているのを母が発見した。


 今日に限って巧妙に隠していた完璧主義な父にもとうとうボロが出たらしい。

 

 母はそのライターの件から執拗しつようなく父を問いつめた。

 だけど、男としてのプライドが高い父は母には本心は語らずに頑固に嘘を貫き通した。


 それよりも父は自宅でも浴びるように酒を飲むようになり、酔った勢いで些細ささいなことでも母に手をあげるようになった。


 世間にいう夫婦間暴力、DV(ドメスティックバイオレンス)である。

 

 私はそれをいつも目の前で見ていた。

 酒に酔った父が『食事が不味い』といちゃもんをつけ、食卓のちゃぶ台をひっくり返す。


 楽しみにしていたおかずたちが飛び散り、重力に従い、畳に散乱していく。


 体を暖めてくれる味噌汁、メインの手ごねのハンバーグ、千切りのキャベツのサラダからこぼれ落ちるトマト達。


 それらの料理がなすがままに床へと潰れる。

 

 それは一種の芸術作品にも取れた。

 暴力という名の残虐の風景画……。


 ──その絵のはなにいた母の長い髮を強引に引っ張り、必要以上に乱暴する父。


 私には父が悪魔に見えた。

 実は人間の皮を被った悪魔ではないかと……。


 ──やがて、父は離婚という名義がら私たちの家から消えた。


 どうやら、このライターに表示されていた飲み屋で知り合った女と付き合うようになったらしい。


 母は父に裏切られた腹いせに、毎日暴飲暴食を繰り返した。

 来る日も来る日も食べたり、飲んだりの無限ループに至った。

 

 やがて、父と別れて二年後、私が高校に進学する直前に母がとんでもない病気にかかってしまう。


 母に降りかかった病名は生活習慣病。

 『糖尿病』だった。

 1度発病すれば半永久的に治らない病気。


 それでも食事制限を守らずに日に日にふくよかになっていく母は、やがて仕事をしなくなった。

  

 こうして行く先を失った私たちは路頭をさ迷い、父の新しい愛人からの慰謝料と貯金を切り崩しながら、ボロアパートでの住まいでのギリギリな生活の毎日。


 結局は体の健康な私が働き、生計を立てるしかなかった……。


 ……男は自分勝手で身勝手な生き物だ。

 愛する人に飽きて、次の相手を探すさま。


 だったら、どうして父は母を選んだの?

 二人は夫婦として、お互いの愛を誓って結婚したんじゃなかったの? 


 頭の中では、いつもそんな自問自答でいっぱいだった。 


****


(弥生side)


『ピコピコ、ピコピコ、ピコピコ!』 


 手のひらサイズの正方形から成り立ったピンクの目覚まし時計のアラーム音を止める。 


 時刻は深夜の2時。


 寝ぼけた頬をパチンと叩いて気合いを入れ、今日もここから、私の一日の活動が始まる……。


****

 

 赤のママチャリで、まだ肌寒い空気を体感しながら無と変貌へんぼうした道路を走り抜ける。


 信号機は赤や黄色の点滅ばかりで交通機関は麻痺しているような風景にも取れる。

 深夜だから人のチェックによる細かな指示は要らない。

 不意な事故にさえ注意しなければ自由に通行できる。


 だから、ちょっと外れて道路側にはみ出してもとがめる人はいない。 

 私は無人のパレードをたしなむ一国の女王様のようだ。   


「今日も無事に到着~♪」


 ルンルン気分の私が自転車から降りた先には、『明後日新聞社あさってしんぶんしゃ』の看板を背負った古き木造建ての一軒屋。


 駐輪場には自転車以外に原付の白いカブの集まり。


 高校に進学した私は母の昔のツテでもある新聞の朝刊配達のバイトをしていた。


****


「おはようございます!」

「おっ、弥生やよいちゃん、お疲れ!」 

「おつー、弥生ちゃん!」

「おはよう、今日も気合い入ってるね!」


 私が元気よく挨拶をすると、先輩達の明るい返事が返ってくる。

 みんな、ちょうど新聞に折り込み広告チラシを入れる作業をしていた。

  

「弥生ちゃん、今日から新しいお客様宛に配達頼むからね」

「はい、分かりました」


 私はもじゃ髭を生やした店長から新規の配達先のメモ紙を受け取る。

 

「しかし、今どき、この若者は感心だな。

学生で一人暮らしでウチの新聞も読んでくれるとはな」

「へえ、最近の若者にしては珍しいですね……」


 そう言いながら、私は店長が書いたであろう手書きの地図に目を落とす。


「……へえ、あおい……」


「……えええええっー!?」


 私が驚くのも無理はない。

 目を凝らした紙には、あの『蒼井繁あおい しげる』と名前が書いていたからだ。

 

「弥生ちゃん、どうした? すっとんきょうな声あげて?」

「あっ、すみません。何でもありません」


 私は冷静を保ちながら、紺のジャージの上着のポケットから別の紙を取り出す。

 

 それは数日前、あの舞姫まいひめが書いてくれた蒼井繁の住んでいる住所のメモだった。


 近いうちに気になる彼の家を拝見しようと思っていたが、相手は若い獣の狼のことだけあり、なかなかきっかけが掴めずに躊躇ちゅうちょしていたのだ。

 これは彼を知る上で絶好のチャンスである。


 私はメモを握り、心の中でガッツポーズをしていた。


****


 私は彼のことが気になり始めていた。

 あの時、お互いに曲がり角で衝突してからずっとだ。


 ……今は朝方の3時。

 まだ普通の学生なら床に伏せて熟睡中のはず。

 現場で彼と鉢合わせという最悪な展開は未然に防げる。


 ──そうこうしてるうちに私の前方に、一軒の面長な民家が視界に飛び込んでくる。


「えっ、ここなの?」


 そこは築50年は過ぎていそうな木造のアパートだった。


 床に広がる灰色のコンクリの床は劣化してひび割れた部分があり、辺りを照らす電灯の光も大きな木の影に遮られ、あまり当てにならない。


 住居は全部で6室あり、二階への階段を挟んで3部屋ずつに分かれている。


 また、駐車場には車も1台もなく、すべての部屋の電気はついていなく生活臭もしない。


 本当に人が住んでいるのかも怪しい……。


 ここの住民らは以外と健康に気を遣って、規則正しい生活をしているのだろうか……。


「すみません、失礼します」


 私は地図を頼りに部屋番号を見て、錆びついた階段を静かな足取りで上がり、二階へと上がる。


 201号室。

 ドアには『蒼井』と黒マジックで丁寧に書かれた紙の表札がかかっていた。


『カンカンカンカン……!  

次は逢坂あいさか、食い倒れ町~!、

逢坂、食い倒れ町~!』


 ふと、どこからか踏みきりの音と年配の車窓の声が聞こえてくる。

 どう見ても近くに電車は通っていないのだが……。


(やっぱ、電車のGA! は名作だよな)


 頭の片隅から聞き覚えのある心の声が伝わってくる。


 間違いない。

 あの繁の心の声だった。 


 どうやらこんな朝方からテレビゲームをして遊んでいるようだ。

 今日も朝から学校のはずだけど……。


(しかし、それはそうと今度のアニメイドも楽しみだな。今回はどんな子に出会えるかな)


「はあ? アニメイド?」

 ……と思わず頭を傾げる私。

『アニメイド』……聞き慣れない単語である。


(んっ、誰か来たのかな。新聞配達さんかな?)


 その声が私自身の口から漏れていたらしく、部屋からゴソゴソとした物音と足音が、こちらに近づいてくる。


(ヤバい、この状況で出会ったら何て説明したらいいか分からないわ!?)


 私は動揺しつつ、郵便受けに持っていた新聞を備え付けの白いポストに入れると、一目散にこの場を立ち去った……。

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