#5 強豪校の厳しさ

「よし、じゃあ今日は楽器決めの日だな。皆からもらったアンケートを元に決めていくと言ったが、希望通りにはならない場合もある。でも、それは君たち一人一人にこの楽器があっていると思っているからだ。そこは分かってくれ」


「はい!」


 音楽室に集められた新入生。今日は一人休みで、八人が集まっている。楽器決めの日に休むなんてもったいないな、と思わなくもないが……何かあったのかもしれない。とりあえず、今は自分のことだ。


 いよいよ、俺の担当する楽器が決まる。期待と不安が心の中でまじりあい、汗が頬をすべり落ちる。


「クラリネット、佐藤 舞。サックス、上田 美空みく……」


 さあ、どうなる。


「トロンボーン、武田 真生……」


 俺は心の中で小さくガッツポーズをした。担当楽器になれたのも嬉しいが、体験入部の期間だけでは物足りないと感じていたのだ。これから三年間、飽きるぐらいトロンボーンの練習ができる。


 楽器決めが終わり、まだかまだかと待っていた先輩たちが廊下から一斉に音楽室へと入っていく。各パートに分かれてこれからはパートごとのオリエンテーションらしい。


 後輩が入るか不安だと言っていたから心配していたのだろう。手を合わせて、祈るようにうつむいていた有島先輩と橘先輩の肩をやさしく叩く。


「有島先輩、橘先輩。俺、トロンボーンに決まりました。改めて……1-4の武田 真生です! よろしくお願いします!」


「すずっちの後輩ちゃんできてよかったねー」


「そうね。真生君、これから厳しくなると思うけどよろしくね。枠的にあと一人入るはずだけど……今日お休みの子がそうかしら」


「うーん、そうかもね。ま、来ていない子はしょうがないし、あとで教えよう。ね、すずっち」


「……そ、そうだね。じゃあ、これが音階表。そして、練習表ね」


 よくよく見るとドレミは書いておらず、ABCが書いてある。これはいったいどういう事だろうか。


「それがドイツ音名って言われるものよ。ドレミはあまり使わないわ。もちろん使うときもあるけど。トロンボーンはC=ドだけど、楽器によっては変わったりもするの」


「へぇ……難しいですね。ドイツなら読み方もちょっと日本語とは違うんですか?」


「そうそう。A、B、C、Dはアー、ハー、ツェー、デーとなるよ。esやisがついたら……ってパンクしそうだよね。これは後回しにしよう。練習中に教えていけばいいし。とりあえず六月に吹く曲を配っておくね」


 どさどさと積まれていく紙。訳の分からない音符や記号が踊る楽譜たちだ。


 確か、姉がマーチングをするときは楽譜を一切見ていなかった。……と、言うことは。


「これ、全部覚えなきゃいけないんですよね……?」


「だよー。まあ、皆覚えていくから大丈夫。覚えられなかったら居残りだね」


 居残り、と聞いて思い出すのは速水先輩の話だ。姉に教えてもらったと言っていたが……


「そんなに心配がらなくても。まだ二ヶ月あるし」


「そ、そうですよね」


 俺は記憶力がほぼない。覚えたことはすぐに忘れる。運動もそこまでできるわけではないのだ。だが、諦めてしまえばあこがれた全国大会の舞台には立てない。俺は心の中で頑張っていくことを誓った――。


 ここまではよかった。


 だが、やはり強豪校の練習というものはハンパではなかった。休み時間は楽譜にもらった音階表とにらめっこしながらスライド番号なるものを書かねばならなかった。


 トロンボーンは自由にスライドと言われる棒の部分を動かして音を変えるが、目印は一切ない。奏者の感覚だけが頼りなのだ。そうはいっても目安はあり、1から7までの番号で区切られている。それを延々と楽譜に書きこんでいく。


 カレーを喉の奥に流し込み、牛乳パックをを十秒ぐらいで潰してから俺はシャーペンをとる。黙々と書いていると、いつの間にか給食時間が終わっていたらしい。


 俺の机から、ひょいと皿が取られる。顔を上げると、坊主頭の少年がにかっと笑った。


「おう、マサ! お前、何やっているんだ?」


「タク! 実は練習時間以外で全部やって来いって言われたんだ。今日中には終わらないから明日の昼休みもこれだな」


「俺全然わかんねぇわ。野球部はトレーニングと球拾いかな。まだ面白くねーけど、俺も頑張らないとな!」


「高校もしも同じだったら応援歌の一つぐらい吹いてやるよ」


「まだ続けるかも決めてねぇのに」


 ははは、と互いに笑いあい、こぶしをぶつける。まるで、少年漫画のような展開だ。今日はゴールデンウィークの合同合奏に向けて先輩たちは合わせる日なので、一年生はパレードのダンスを練習する。


 俺は唯一の男子なので先頭で「四井橋北中学校」と書かれたプラカードを持って歩けばいい、と先輩に言われた。一年前は速水先輩もこの役をやったらしい。先頭とは恥ずかしいが、ポンポンを持って踊るよりはマシだ。


 ダンスの練習をやらない代わりに、俺は六月の曲を先に練習する。曲は、『レ・ミゼラブル』。超有名なフランスの曲だ。


 元は小説で、一人の男がパンを盗んだことによる罪で投獄されていたが、脱獄し行く先々で冷たくされた後に出会った司教に厚くもてなされる。しかし男はまた盗みを働いてしまい……というのを、先輩はずっと語っていた。


 有島先輩いわく、物語や映画があれば見ておくとイメージがわき、音にも念が入りやすくなるのだという。実際にクレオパトラに関する曲をしたときはエジプトが舞台の映画を観たらしい。結構ユニークな練習方法だ。


 でも、それで四北は全国大会の常連校になっている。音楽は意外な方向からも練習できるものなのかもしれない。


 チャイムが鳴り、全員が席につくと午後からの授業が始まる。俺は朝練のせいで猛烈な睡魔に襲われる。つい、うとうととしてしまうが、油断は禁物だ。


「おーい、武田ー。寝るなよー」


「は、はうっ! はい!」


 クラス全員の笑い声が俺の耳に飛び込んでくる。くうっ、恥ずかしい。姉でも父さんでも誰でもいいから、寝ない方法を教えてほしい。しかも、顧問の木村先生の授業で寝るなど、絶対ネタにされる。


 そんな感じで俺はどうにか午後の地獄のような時間を乗り切り、四階へと駆け足で向かった。しかし、何やら騒がしい。どうしたのだろうか。


「有島先輩! 何があったんですか!?」


 この言葉で、俺は今日二度目の失敗を犯すことになった。

 聞かなければよかったのに、聞いてしまった。


「実は……退部者が二人出るって……」





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