#3 ウェルカムトロンボーン
図書室の扉を開けると、本の独特の匂いとともに、綺麗な中低音が俺を迎えた。俺が図書室に入るより先に先輩が前に出る。
「我がトロンボーンパートへようこそ!! 私はパートリーダー兼副部長の有島 涼花。楽器のことならなんでも聞いてね! 真生君!」
突然の熱烈な歓迎にあっけにとられながらも、俺はうなずく。先程とは別人のような先輩のきらきらとした顔を見ると、ホルンの所に戻りたいなーなどとは言いだせるはずがない。
「有島先輩? キャラ変わりすぎでは……」
「うーん、いつものことなので心配しなくて大丈夫。すずっちは楽器のことになると途端にしゃべりだすから。変人だということを覚えておいてもらえれば」
「紅葉! 変人ってどういうこと!?」
「右も左も分からずに困っている新人君を図書室に連れてきたことー。こんな副部長の下にいたら大変だよー」
名札を見ると、「3-2 橘」と書いてあるのが分かる。可愛らしいショートカットの髪を揺らしながら、有島先輩と橘先輩は語り続ける。
「トロンボーンが危機的状況にあって三年生が卒業したらどうなるか分かる?」
「うっ……辞めちゃったもんね……」
「辞めた? 後輩辞めちゃったんすか?」
確かに、二人の先輩以外は同じ楽器を持っている人はいない。横に銀色の楽器が置いてあるのが見えるが、あれは確かユーフォニアムという楽器だ。テレビか動画か何かで見た記憶がある。
「ええ……四北は強豪校ですごく練習が厳しいのは知っているよね」
それはもちろん知っている。姉が何度もくたくたになって帰ってきたところを俺は目撃しているからだ。
「はい」
「それで辞めてしまったのよ。マーチングや練習がツラいのは分かるけど……やはり、メンバーがいなくなると寂しいものね。二人いたんだけどどちらとも辞めてしまって……今年は二人以上入れないと」
「まあ、すずっちも結構厳し……わぷっ!」
「はぁ……まあ、そうね。でも、私は変える気はない。全国行くならそれぐらいの練習も覚悟のうちよね、真生君」
「は……はい! 大丈夫です!」
「なら良かった。楽器の相性を見てみないと分からないけど背も結構高めだし……トロンボーン向いていそうだけど。色々言ったけど、楽器は本当に楽しいからやってみてよ」
にこっと笑う先輩に促されて、俺はトロンボーンを持つ。厳しそうではあるが、やりとりを見ていると本当に楽器が好きなんだな、と俺は思った。
椅子に腰かけて待っていると、座っている俺と同じぐらいのサイズの金色の楽器が手渡される。遠目ではよく分からなかったが、こうしてみるとかなり大きいのが分かる。
「レバーみたいな所に左手の親指をかけて、右手は添えるように棒の部分を持つ。棒はスライドっていうんだけどね……」
「うんうん、そんな感じ。それで、ゆっくり倒して肩にのせる。両方の腕は少し開いて三角形に……おー! カッコイイじゃん!」
「そ、そうですかね……」
ホルンとは違って、楽器は細身なのに結構重たい。先輩曰く、二キロぐらいあるらしい。手がプルプルと震えて、三角形が崩れていく。これは大変だ。
「最初はそんな感じだから焦らなくて大丈夫。ホルンの所で基礎的なものはやったみたいだから……ちょっと吹いてみて」
吹いてみて、と言われても俺はよくこの楽器を知らないのだ。とりあえず息を入れてみるが、ぷすーっと息が通る音しかしない。
「すいかの種を飛ばすイメージで吹くといいよ!」
「す……すいかっすか」
「うん。すいかの種を飛ばす時って、前の方に飛ばすでしょ? トロンボーンは前に長いから、すいかの種を飛ばしたりロウソクの火を消すときのあんな感じの息の入れ方をするの。まあ、慣れたらそんな息じゃ続かないけれど……」
「最初のうちはどうしてもつかみにくいからね。そんな感じで大丈夫」
先輩に言われたとおりに、前に息を送るイメージで吹く。すると……
ぽーっと遠くまで響く音が、ベルからもれる。あまりにも自然なテノールだったので、一瞬誰が吹いたのか分からなかったほどだ。
「わっ! 凄いじゃん!」
「ナイス紅葉。教えるのは私より紅葉の方が上手いからね」
「演奏も負けてないよ」
「あ、あのー……先輩、もう少し教えて欲しいんですが。俺、結構この楽器合ってるかもしれないです」
「本当!? じゃあ、体験時間いっぱいまで教えるね!」
それから二時間ほど先輩からのレクチャーを受け、ドレミファソラシドぐらいは吹けるようになった。
先輩の熱が入りすぎていたのか、ドイツ音名やら音楽記号の話も途中にはさまれたが、俺の頭がパンクしそうになったタイミングで橘先輩が止めてくれたので助かった。
謎のドイツ音名やらアパチュアやらカデンツやらは後で姉に聞いておこうと思う。先輩達は日本語を喋っているはずなのに、俺にとっては異国の言葉に聞こえた。
「ふぅ……先輩、ありがとうございます」
「結構今日だけで吹けるようになったねー。良かったら明日は友達も連れてきてよ!」
タクは野球部に入ると言っていたので、部活に入ってもらうのは難しそうだが、楽器を一緒に触るぐらいはしてくれるかもしれない。
「また来ます!」
二人の先輩に手を振って、俺は図書室を後にした。
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