第一章 春の陣~全国大会へ、始まりの季節~
#1 歓迎演奏から戦いは始まる
「ふう……もう少しで始まるか……」
俺、武田は学校の体育館の中でパイプ椅子に座ったまま、ワインレッドのカーテンが閉じられたステージの方向を見ていた。
今日から通うことになる、四井橋北中学校、通称四北は全校生徒五百人少々の比較的大きな中学校だ。
学力はそこそこだが、何と言っても部活が強い。数ある部活の中でもバレー部と吹奏楽部は強豪で、姉はよく「バレー部が体育館使わんかったら、うちらが練習できるのに」とぼやいていたのを思い出す。
姉は、ここの学生だった。もう卒業したが、俺の姉は少々……いや、ずいぶん問題児だった。
校区一のヤンキーグループのメンバーで、夜遊びは普通。爆竹はバンバンならしまくる。地域の子供達へのパシリもありとやりたい放題だった。
何度か警察のお世話にもなり、家になかなか帰れない多忙の父と看護師の母は申し訳なさそうに頭を下げていたものだった。
小学校の間だったのでまだそこまでのおとがめもなかったが、中学生になればどうなるかと二人で真剣に話していたのを俺は覚えている。
そんなこんなで中学生に上がった姉は、ある日ピンク色の紙を持って、仕事がたまたま早く終わった父の元へ行って、こう言ったのだ。
「ジジイ、うち吹部はいるわ。サインしといて」
父は驚いたようだったが、何も言わずにサインをして姉に渡した。父は元々ピアノをやっていたから何か思うことがあったのかもしれない。
「おっ! ありがと」
パタパタと階段を上がっていく姉の足音は嬉しそうだった。
そして、部活に入ってから姉は変わった。茶色に染めていた髪は黒く染め直してから結び、沢山つけていたキーホルダーも外して、夜遊びもぱったりとなくなった。
姉に、後々なぜ吹奏楽部に入ろうと思ったのかと聞いたが「教えねー。自分で考えろ」と突っ返されたのを覚えている。
そんな姉も、吹奏楽にハマって今は熊本の方の高校に入って続けている。今は高一なので、俺とは少々年の差がある。
そこはテレビの取材も来るほどの伝統的な強豪校で、四北からも毎年合格者が出ているそうだ。この前電話がかかってきたが、無事に寮にも入って、日々の練習ももうすぐ始まると言っていた。
元々、姉がヤンキーになったのも親が共働きになって暇になっていたところに近所のグループが目をつけ……という感じだ。
だから、抜けたいという思いはあったのだろう。ただ、グループを抜ける理由になぜ吹奏楽部を選んだのか。それが俺は疑問だった。
その時、学校のチャイムが鳴り響き、閉じられていたワインレッド色の幕がゆっくりと開いた。中から顔を出したのは、様々な楽器を持った、四北中吹奏楽部の先輩達だ。
朝の太陽の光を反射し、キラリと輝く楽器達はなんだか少しまぶしく見えた。
「皆さんこんにちは! 始業式の始めに、私達吹奏楽部が演奏します! 曲は……」
アナウンスが聞こえ、間髪入れずに乾いたドラムの音が体育館に響き渡る。新入生達は緊張気味なのか、誰も騒いだりする人はいない。
そういえば、吹奏楽部に入ると言っても、楽器の名前は知らない。楽器も未経験だし、男子も少なそうに見える。姉の時代は先輩がちゃんといたはずだが……全員卒業してしまったのだろうか。
メンバーの顔を、首を伸ばしてゆっくりと見るが、ドラムの横で恥ずかしそうに背を丸めて、タンバリンを叩いている先輩しか見当たらない。
後で吹奏楽部の先輩に話を聞けたらいいな……と、俺は思う。流石に一人+俺では心もとない。
特に、大きなラッパ状のものに、長い棒がついた楽器を演奏しているあの眼鏡の先輩は厳しそうだ。横のショートカットの先輩は可愛らしいが。
そんな事を考えている間に演奏は終わり、さっきアナウンスした部長らしき人がもう一度前に出てくる。
「次の演奏が最後の曲になります! 最後の曲は、ホルスト作曲の木星です。この曲は、去年の十二月に行われたマーチングバンド全国大会で演奏したものです! 結果は残念ながら銀賞でしたが、今年こそは金賞を狙って頑張りたいと思います。興味のある人は四階の音楽室まで体験に来て下さい!」
銀賞でも二位なら凄いんじゃないかとも思うが、そういえば姉が「銀賞=二位じゃねぇ、ちなみに銅賞は参加賞だ。最悪は規定違反で失格だな」と言ったのを思い出す。
今年こそは、と聞くと燃える。どんな楽器になるのかは分からないが、姉のように頑張ってみたい。
「少し時間がかかるので、待っていて下さい」
その瞬間、どっと場内が沸く。先ほどの緊張は、どこへやら。中学生とはいえど、まだまだ小学生から上リたての一年生だ。これから始まる学校生活を想像すると、いてもたってもいられないのだろう。皆が隣の人と思い思いのことを喋る。
「なあ、お前。名前は?」
そう、背後から声をかけられ俺は振り向く。見ると、丸刈りの「いかにも僕が野球少年です」といったようなスマイルの少年が座っていた。
「武田 真生。クラスは1-4」
「なら、一緒だな。俺は岸 拓斗。タクって呼んでくれ」
丸刈りの少年はにかっと笑って、俺に握手を求める。俺も、握手を返して微笑む。
「そういや、さっきの演奏かっこよかったよな。俺は野球部に入るけど、高校だったら演奏してもらえるのかな……」
「だよなー。俺の姉ちゃんも吹奏楽部に入ってたんだけど、練習ヤバイって言ってたし。朝七時半からだってさ」
「俺も七時だけど、ヤバくないか? 文化部だろ?」
「あの部活は文化部っていうより体育会系文化部だって言ってたよ」
「うわ、それどっちだよ。体育会系文化部とかマジでキツそう」
そんなやり取りをしているうちに、セッティングが終わったらしい。マイクの電源を確かめるためか、マイクの網の部分を手のひらでポンポンと叩く音が響き、全員が静まりかえる。
小学校で見たことがある大きな楽器が幾つも並び、部員の表情も心なしか真剣だ。
「ワン、トゥー、ワン、トゥ、スリー」
カウントの後に奏でられる旋律は、あの舞台で聞いたときと同じように心に響いた。
タンバリンを自信なさげに叩いていた先輩も、たまごを半分に割ったような楽器を華麗に叩き、演奏を盛りあげる。
――全員が一緒になって一つのものを作りあげている。
演奏は段々と聞いたことのある有名なフレーズへとさしかかり、クライマックスへ向かう。全国大会の時は、めまぐるしく図形がかわり、星やダイヤを見事に完成させていた。
今は、狭い体育館のステージなのでそんなことは出来ないが、それを補うぐらいの迫力があった。
「以上で、吹奏楽部の歓迎演奏は終わります! ありがとうございました!」
俺とタクは一緒に手を叩いて、吹奏楽部が退場するまでを見送る。その後の校長の言葉なんて耳に入ってこない。
俺の耳は、完全に吹奏楽部が奏でていった音に支配されていたのだから。
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