その2
俺は彼の方を見やりながら、
『開けてもいいか?』
と訊ねる。
彼は黙って頭を下げたので、手元に箱を引き寄せ、蓋を開けた。
何てことのない、ふつうのナッツチョコで、そこに一通の封筒が添えられてあった。
俺がもう一度彼の方を見ると、彼はまた頷く。
中を開けてみると、ピンク色の一筆箋に、
『副住職様へ、分かっていますよね?私からの愛の証です。明菜より』と、それだけがしたためられてあった。
『誰だ?明菜って?』
『実は・・・・』彼は事情を話し始めた。
まだ副住職に就任する少し前、檀家の寄り合いに出席した後で、偉いさん(大半は町の有力者だ)に誘われて、近くの盛り場に連れて行かれた。
彼は最初、僧侶たる自分がそんな場所で、酒や女にうつつを抜かしてもいいものかと戸惑ったが、何せこちらは養子の身でもあるし、これから顔つなぎをしなくてはならない。と義父たる住職や義母(さっきの女性だ)に言われたという。
彼が副住職になれるか否かは、檀家の偉いさんたちの胸三寸なのだから、ご機嫌を損ねるわけにもゆかないのだ。
盛り場、とはいっても小さな町のことだ。
カラオケスナックとバァがあるきりだった。元来下戸で、ビールも中ジョッキ半分が限度であるから、最初の店では歌う方に専念し(これだって本来あまり得意ではない。しかし酒よりはましだ)、酒はもっぱら勧める方に回った。
問題は二軒目のバァ・・・とはいっても、バーテンが一人と、中年過ぎのママ、それから、二十代後半の『女の子』が一人いるきりの小さな店だった。
流石にこっちは吞まないわけにはゆかぬ。何とか我慢をして、注がれたビールをちびちびと舐めてごまかしていた。
そのうちに、ある視線に気づいた。
彼を見つめていたのは、その二十代後半の『女の子』、つまりそれが『明菜ちゃん』というわけである。
彼女は自分では『22歳』だと言い張っていたものの、恐らくもう二十代半ばをとうに越しているように見えた。
顔立ちは・・・・・とびきりの美人でもないが、かといって不細工と言うわけでもない。
その点だけで行けば、どう贔屓目に見ても、
『中の上』というのがいいところ。
化粧っ気もあまりなく、痩せていて、スタイルも特別いいわけでもない。
ただ愛嬌があるのと、座持ちがいいのだけが唯一の救いといったところだった。
生真面目な大門正義は、自分はまだ修行中の身であるからという理由で、出来るだけ女性とは接触しないように心がけてきた。
"卑しくも仏門にある者が、女性と間違いを犯してはならない”
堅くそう決めていたのである。
それからしばらく、彼は修業に打ち込んだ。
流石、元空挺の隊員だけのことはある。
意志だけは堅固だ。
二度目に彼女と会ったのは、修行を終え、檀家の総代会で、副住職への就任が決定した後、再び偉いさんたちがその店に連れて行ってくれたのである。
明菜は大門の顔を見ると、まるで恋人に再会したような表情を浮かべた。
『そこで私は、大きな間違いをしでかしてしまったんです』彼は正座をしたまま
今にして思えば、気が緩んだとしか思えない。
つまり、副住職になれた、という嬉しさから、勧められるままにウィスキーまで口にしてしまったのである。
無論、大した量じゃなかった。
水割りをグラスに半分舐めた程度だ。
”おつまみにはこれがいいでしょ?”彼女が出してくれたナッツチョコを口にした。
何となく妙な味のするチョコレートだな。そう思ったが、その時はさして気にしなかったという。
だが、記憶にあるのはそこまでで、意識はそこで飛び、そこから先の事は何も覚えちゃいない。
次に気が付いた時、彼は見たこともない部屋に横になっていた。
ベッドの上、素っ裸で毛布一枚。
妙に
明らかに女性の部屋だった。
頭の奥で何やら割れ鐘が鳴り響いている。
ゆっくりと身体を起こすと、どこからか艶めかしい匂いが鼻をくすぐった。
その匂いは、台所と思しき所から流れてくる。
”起きたの?”
そういって顔を出した、ざっくりとした部屋着に、エプロンを掛けた女性・・・・つまり明菜だった。
彼は真っ青になり、その瞬間全てを悟った。
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