坊さんと苦いチョコレート

冷門 風之助 

その1

(寺の山門なんかまともに潜ったのは、祖父じいさんの法事以来だったかな?)俺はそんなことを考えながら、参道を歩き、庫裏の玄関に立った。


『御用の方はこれを鳴らしてください』


 そう書かれた札があり、隣には分厚い木の板と、そして木槌きづちが縄につけて柱にぶら下げられていた。


 指示通りにそれを叩くと、乾いた音が響き、やがて朱色の作務衣さむえ姿の、六十代半ばと思しき女性が出てきた。


 丸顔の、如何にも愛想の良さそうな感じに見える。


 俺は認可証ライセンスとバッジを出し、自分の名前を名乗った。


『お電話を頂いた乾宗十郎いぬい・そうじゅうろうというものです。住職はおられますか?』


 彼女は俺の言葉に、如才のない笑みを浮かべながら、


『はい、聞いております。どうぞお上がりになってお待ちになって下さいませ。それから、”住職”ではなく、”副住職”ですよ。』


 俺は小声で詫びを入れて靴を脱ぎ、階段を昇り、渡り廊下を歩いて、一番奥の、約十五畳敷きほどの客間に案内された。


 横長の、庭に面した部屋で、三つばかりの大きな座卓がしつらえてあり、端の方に床の間があって、龍に乗った仙人の姿を描いた掛け軸がぶら下がっており、その前に置かれた香炉からは、何やら良い香りが漂っている。


 さっきの老婦人が盆に茶と饅頭を乗せて現れ、


『副住職はちょっと急な寄り合いがありまして、間もなく戻ると思いますので』そう言って深々とお辞儀をすると去っていった。


 静かなところだ。


 庭に掘られている池の、水の流れる音が、唯一のBGMと言ったところだ。


 俺は茶をすすり、饅頭を食べている。


 20分ほど経ったろうか、急いで廊下を歩いてくる足音が聞こえ、板戸の前で止まり、


『失礼します!』と大きな声で言い、黒い袈裟を着け、頭を丸めた背の高い僧侶が入って来た。


 彼は畳に膝をつき、改めて深々と頭を下げると、


『お久しぶりです!乾一曹殿!』

 深みのある低音を響かせた。


『おいおい、もう俺は自衛官じゃないんだぜ。その一曹殿は止してくれ』


 俺の目の前に袈裟を着て、頭を丸めて座っている僧侶は、確かに元陸上自衛隊の隊員で、しかも俺と同じ『第一空挺団』の所属だったのだ。


 俺が一等陸曹に上がり、教育隊で助教をしていた時、彼・・・・名前は本城正義(ほんじょう・まさよし)といった・・・・が入団してきた。


 本来俺は人を教えたりなんて真似は、あまり得意ではないのだが、まだ三等陸曹だった時に空挺レンジャーの資格を取り、何となくそういう任に合っていると思われたんだろう。


 渋っている暇などない。自衛隊ってのは上からの命令は絶対である。そんなわけで、新しく入って来た新人を指導する立場になっていた。


 この本城・・・・いや、今は大門という名字に変わっている・・・・は、なかなか優秀な隊員で、飲み込みが早く、てきぱきしていて、あまり五月蠅うるさく叱り飛ばしたという覚えはない。


 このままで行けば、陸曹試験も受けて、プロの自衛官に上がれる素質は十分あったのに、任期を四年間務めたところで、


『家庭の事情で』という理由で退職してしまった。(正確には任期満了だから、退職とはちょっと違うんだが)


 実に勿体ない話だと、俺のようなさほど仕事熱心でもなかった男でも思ったくらいである。


 あれからもうどのくらいの年月が経っているだろう。


 こっちも殆ど彼の事なんか忘れてしまっていた今年に入って、突然事務所オフィスに電話があり、


”知り合いの弁護士から、乾一曹の電話番号を聞いた。探偵をしてらっしゃると聞いて、是非とも相談に乗って欲しい”


 というわけで、俺は伊豆の少し手前、山間にあるこの寺まで呼び出されたという訳だ。


『しかしお前さんが坊さ・・・・いや失礼、僧侶になっているとはな。驚いたよ』


 彼は照れたように頭を掻いた。


 何でもこの寺は彼の父方の遠縁に当たるのだそうで、先代住職に子供がいなかったため、彼に『養子になって後を継いで貰えないか』と言う話が持ち込まれたのだという。


 彼は散々悩んだ。


 自衛官でいるのは決して嫌ではなかったし、陸曹志願もしようかと思っていたところだったからである。


 しかし、親せきが困り果てているのを見ていると、つれなくするわけにもゆかず、

両親とも相談した結果、こういう結論に落ち着いたというわけだ。


 もとより彼は仏教とも、寺とも関係がない。総本山(密教系の有名な宗派だそうだ)に行って修業をし、僧侶の資格を得ると、養父の後について六年間経験を積み、そして先頃副住職に就任したという訳だ。


『まあ、仮に陸曹志願をしていたって、どのみち自衛隊は定年が早いからな。

 寺の跡取りなら、一生生活にも困らんだろう。それに君は責任感のある方だったからな。向いてるんじゃないか?しかし今頃になって、一体何の相談だね?』

 

 冗談を交えた俺の言葉に、彼は少し戸惑った様子を見せながら、袈裟の袖をさばいて、傍らに置いてあった風呂敷包みを前に押し遣り、


『実はこれなんです』


 といい、結び目をほどいた。


 中から出てきたのは・・・・長方形の浅いパッケージ。


 そう、この時期定番の『チョコレートの箱』だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る