第3話 ジャイアンとのび太君。

「…さん…?…さん、どうぞ!!」

ハッと気づくと、私は無線機で呼ばれていた。

またボーッとしていた。

最近多い気がする。頭がボーッとすること、考え事をする時間。

でもその時間は私の中で空白の時間だった。

何を考えていたのか、何故ボーッとしているのか、思い返しても、思い出せないでいた。


「私、疲れてんのかなぁ。…はぁ。」

ため息まじりにそう私が話す相手は、

アルバイト時代からの先輩であり、家も近所に住んでいる『おばちゃん』。

アルバイトを始めた頃から、公私ともに優しくしてくれている。言わば東京のお母さんみたいな人。

お母さんと言っても年は10個違い。

今も本職の傍ら小銭稼ぎにちょこちょこっとアルバイトをしに来ている。


「そんなため息ついたらあかん。疲れとるだけやで。」

そう言って私の肩にポンっと手を置くと、おばちゃんは休憩が終わったのか、持ち場へ戻っていった。

「そんなに疲れることもしてないんだけどなぁ。…やるか。」

お客さんの様子を見に行こうと立ち上がり、控室のテントの幕を開けた。


するとそこには苦手な先輩が立っていた。

『ジャイアン』だ。

彼はその名の通り、でかい図体でジャイアンのような性格。気分屋で、殴る蹴るはコミュニケーションとして日頃から行っている。

私は彼の前ではヘラヘラとのび太君のように接していた。

だがのび太君と私の大きな違いは、

泣きつくドラえもんが存在しないということ。


「お前今日終電で帰れるんか?」

そうジャイアンが聞く。

「たぶん無理ですけど、車があるので車で帰ります。」

そう答えた。


質問の返答ひとつで彼の機嫌悪いスイッチが入る。

私はいつも頭をフル回転させて当たり障りない返答をする。


ジャイアンは私のパソコンの前に座り、当たり前のようにいじり始めた。

私は彼の前でプライベートなんて無い。パソコンやスマホを見るのは当然、私がいないときに鞄を漁られ、財布の中身まで見られたことがある。

親も友達も彼氏だってそんなことはしない。

だが、ジャイアンはそういう人。として私の脳内にはインプットされていた。


ジャイアンにはいつもデコピンや、頭グリグリ、床に投げつけられる等、そんなことは当たり前にやられてきた。〔コミュニケーション〕として。


だが一度だけ大喧嘩をしたことがある。


私も血の気が多い方だ。ヘラヘラしているのは本来好きではない。

入社したての頃、機嫌が悪かったジャイアンにこちらも機嫌が悪い態度で接した日があった。




「備品いつ積みますか?」

内勤日で会社に出社していた私は一つ席を挟んで隣のジャイアンに聞いた。

「いや、まだ。」

パソコンの画面から目を離すこともなく返答をされた。


我社は社員数50名ほどの会社だ。

その中で我らイベント部は20名ほど。

3つのチームに別れていて、私達のチーム以外に2チームある。

仲良しか?と聞かれると仲は良くないだろう。

私が入社するまで数年間新入社員がいなかった。その為に先輩社員と若手社員の社歴は大幅に離れていた。

長年勤務している人の中には私が生まれた年に入社している人もいる。

私達がゆとりだのなんだのと言われているのは当たり前だ。


先輩社員が絶対だった。

若手社員やアルバイトチーフ達は各々の社員のやり方に合わせて動いていた。

統一性は全く無い。誰もが個人事業主のような会社だった。


現場に持っていく備品ひとつとっても同じ人はいない。

何を持っていくかを記載された備品リストをもらって私が積み込みをすれば早いが、

「備品リストください」なんて言おうものなら「お前自分で備品何持っていくかも考えられないんか?」と説教が始まる。

仮にリストをくれたとしても車への積み込み方が下手だのなんだのってどのみち文句を言われる。

そんなことはすべて経験済みだった。


一番効率のいい〔怒られ方〕は、一緒に備品を積むこと。


だから私はジャイアンを待っていた。


「まだやらないですよね?私別の作業あるのでフロア離れますね。やるとき呼んでください!」

そう声をかけ、ジャイアンが備品を積むタイミングまでフロアを離れることにした。

ジャイアンはパソコンから目をそらすこともなく、返答も無かった。

きっと伝わっているだろうと確認をしなかった私も悪かったが、席は一つ離れて隣だし、大きな声で言った。何度も言えば「わかってんだよ。うっせーな」とまた無駄に怒られてしまう。だから二度は言わなかった。


何よりも私にはその日中にやらなければならない作業があった。

会社の備品整理だ。

特に私はアルバイトが着用するTシャツやジャンパー等衣類の数を管理していた。

もちろん、やりたくてやっているわけではない。


「こういう細かい数の管理は女性の方がいいからね」


というおっさんに満ち溢れているセリフのせいで私に決まったのだ。


この日は夏服と冬服の衣替えにそなえて、現在ある在庫数のチェックをしに倉庫に来た。莫大な数だ。何千枚とあるTシャツの山を見てげんなりした。


一人で黙々と作業をし、しばらくして作業を終える頃、車の音が聞こえた。

外に出てみるとそれはそれは不機嫌なジャイアンが車から降りてきたところだった。


「あれ?備品…積み終わったんですか?」

恐る恐る聞いてみると

「もういいや。明日も朝一来なくていいから。車も持ってこなくていいから電車で来い。」

それだけ目も合わせずに言い放ち、ジャイアンは帰って行った。


着信を無視してしまったのか?とスマホを見るが、着信履歴もメッセージもない。

まだやらないと言ったから作業をしていただけなのに。

隣で忠犬ハチ公のように待っているべきだったのか?もしや、席を離れたとき聞こえてなかったのか?何が正解なのか?全くわからなかった。


翌日、憂鬱な気分で現場入りした。

朝一来なくていいと言われたが早めに行った。

「おはようございます!」

と元気な声で挨拶をしてみたが、ジャイアンからは何も返ってこなかった。

その日は一日、まるで私が存在しないかのごとく扱われた。無線機で呼ばれることもない、質問をしても返答も無い。

逆ギレなのかもしれないが、私も限界を迎え、一言も話しかけなくなった。


控室にも戻らず、弁当も食べず、一日の休憩を喫煙所で過ごした。

ヘビースモーカーの私にとって快適な場所だった。

異変を感じた喫煙者のアルバイト達は声をかけてきてくれた。

「大丈夫ですか?ジャイアンめちゃくちゃ機嫌悪いけど何かあったんですか?」

「知らんよ。なんであんなキレてんのか」

私もイライラしながら煙草に火をつけた。


小さいことかもしれない。手伝わなかった私にキレているのか、どこで機嫌を悪くしたのか、何故無視までされないといけないのか。

無性にイライラした。


一日がそのまま終わり、私は挨拶もせずに会場を出た。


ムシャクシャしながら浮腫んだ足でヒールを鳴らしながら駅まで歩いた。

改札の前で電話が鳴る。

ジャイアンだ。


そのままスマホを閉じて無視をした。

だが他のアルバイトを利用し電話をしてきた。

鳴り止まない。

このまま私が無視をしてはアルバイトの子が帰れないと思い、電話に出た。


「あ、お疲れ様です。すぐに戻ってこいと言ってます…。」

電話口はアルバイトの子だった。呼び戻せと言われたのだろう。

電話口の彼に申し訳なく思い、駅を背に会場へ戻った。


控室の扉を開け、床に鞄を投げ捨てながら、

「戻りましたが、何ですか。」

と私は不機嫌ですと言わんばかりにジャイアンの背中に声をかけた。


すると怒りに満ち溢れた表情で振り返り、私のスーツの胸ぐらをガッと掴んできた。


相手は大きい図体の男だ。女の私が勝てるわけもなかった。


そのまま体を投げられ、壁に並んでいたコインロッカーに激しく肩をぶつけた。


大きな音が鳴っただろう。そしてそのあとすぐに

「てめぇ、なめてんだろ!!」

と会場に響き渡るくらいの大声で私に怒鳴った。彼の顔は赤くなり、目にはうっすら涙さえ見えた。


私の頭は何故か冷静になり、この人は可哀想な人だなと思った。

後輩になめられた。と思ったことが悲しかったし、怖かったし、辛かったんだろうなと思った。

そしてその瞬間心の中で笑った。それがなめているとしたらそうなのだろう。

私は肩の痛みを抑えながら無言でいた。


「なんとか言わんか、こら?あ?」

怒鳴り声は続いた。


プルルルルルル


その時ジャイアンのスマホが鳴った。

「待ってやがれ」

と私に悪役のようなセリフを放つと電話に出ながらどこかにいなくなった。


私は自分のスマホを取り出し、冷静に終電を調べた。

「あ…もう電車無いじゃん。」

ここから帰れるところまで帰り、そのあとはタクシーしかない。自分の財布の中身を思い出し、勤務時間はとっくに終わっている為に出せないであろう数千円の領収書を想像し、深くため息をついた。


しばらくしてジャイアンが戻り、仕事が出来たからお前は帰れ。と身勝手な事を言い、いなくなった。


ただ暴力と暴言を浴びに戻った時間は本当に無駄だった。

そして帰りのタクシー代6890円も無駄金として消えた。


それ以来ジャイアンとは口を利かなくなった。まる一年ほど。

上司のおじさんにはその話をしていたので同じ現場になることもなかった。


何故今会話が復活したかといえば、つい二ヶ月ほど前の話。


内勤日に会社で作業をしていた私。

その日は私とジャイアンと別の部署の後輩『小娘』の3人だけ。

私は黙々と作業をしていた。

ジャイアンと小娘は近々同じ現場らしく、あーでもない、こーでもないと話をしていた。


会話も聞かずに作業をしていると、ふと私のパソコンの前にお菓子の袋が降ってきた。

なんだ?と思って顔を上げると、ジャイアンが投げてきたらしい。


「お前も食えよ」

「…ありがとうございます」


これが一年ぶりの会話だった。

どんな気持ちの変化かは知らない。

ぶっ飛ばされたことを忘れたわけでもない。


だがジャイアンとのび太君の仲直りだったのかもしれない。


そこから普通に話すようにはなった。


私の過剰で神経質なまでの会話への気遣い以外は何も変わらずに。

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