第31話 1mmでも前に進めば、それは確かな成長だ
「それじゃ、飯を作ってくか」
銭湯で1日の疲れを癒やしてきた俺たちは、特に寄り道をすることなく、家へと帰ってきた。
「でも、これだけ人数がいたら誰が作るのか決めるの難しくない? どうする? じゃんけんとかするの?」
「誰が料理作れるんだっけ? 有彩ちゃんに、遥君……理玖君に、桐島君も出来たっけ?」
「おう。いつも姉ちゃんやお袋たちに作らされてるからな。……にしても、理玖はともかくとして竜胆さんも遥も苦労してるんだな」
柏木に話を振られた和仁が、よく分からないことを言い出した。
というか俺の苦労は大体お前ら絡みだクソボケが。
「苦労? どういうこと?」
顔に同情を滲ませている和仁に遥が聞き返す。
「――だって料理ってその家庭で1番ヒエラルキーが低い奴がするもんなんだろ?」
「……和仁……お前……!」
お前、家庭内でもそういう扱いなのかよ……!
いつもいがみ合っているはずの男の口から零れ出た悲しすぎる事実に俺は声を震わせた。
込み上げてくるなにかを堪えるように、目頭をそっと抑える。
この場にいる全員が、同情と悲しみをブレンドしたような目を和仁に向けていた。
「そ、それで! 誰が料理を作るのかという話ですけど!」
あまりに空気がいたたまれなくなってしまったことに気を遣ったのか、有彩が気持ち大きめな声で話題を元に戻す。
「なるちゃんは出来るんだっけ?」
「出来ないことはないけど、味の保証はしないね! なぜならなるちゃんの料理は人に食べさせるものじゃなくて自分が食すためだけのものだから!」
あー、人に食べさせるのが目的じゃなくて自分で食べたいものを食べたい時に自分の舌に合わせて味を付けるタイプか。
「となると、陽菜以外は一応料理が出来るって扱いでいいわけか」
「だねー。ちなみに理玖君。今のとなるとは鳴海のなるとかけて……」
「ねえよ。食材もあることだし、1人1品作るってのはどうだ?」
柏木のくだらない小ボケは短くあしらいつつ、そんな提案をしてみる。
それなら誰が作るかでこれ以上時間を取られることもないし、こういうことが出来るのはお泊まり会ならではだろうしな。
「えっ!? あたしもいいの!?」
「新規ルール追加だ。陽菜以外」
「ルールの改定が早い!? うぅー……! でもあたしも作りたい! ねえりっくーん……おねがーい!」
そんなに甘えるような表情でおねだりされるちょっとくらっとくるものがある、が……。
「厳密な審査を行いましたところ、この度は高嶋様のご希望に添えないという形になりました。なにとぞ、ご理解いただけますようお願い致します」
「お祈りメール風!? あたしだってちゃんと蒔那さんから教えてもらって練習してるんだからね!」
って言ってもなぁ……まだ教えてもらい始めてからそんなに日数経ってないし、最悪ここにいる全員が食あたりでダウンしてテスト勉強どころじゃなくなるかもしれない。
やっぱり今日は諦めてもらおう。
そう言おうと思ったが、俺の言葉は形になることはなかった。
なぜなら、陽菜の表情がさっきの甘えたような表情ではなく、真剣そのものだったから。
「――りっくん。お願い。あたし……!」
「……はぁ、分かったよ。そんな顔されたら断るもんも断れないだろうが」
「……っ! ありがとっ!」
やれやれ、なんだかんだ言って、陽菜に甘いんだよなぁ、俺。
弾けるような陽菜の笑みを見て、俺は頭を掻きつつ、色々と段取りを進めていき始めた。
「よしっ、と。完成です」
いつもの黒髪ロングを低めのツインテールにまとめた有彩が持っていた鍋をテーブルの上に置いた。
中身はアヒージョ、有彩の得意料理の1つだ。
「おぉ……さらっとアヒージョなんて作ってくる有彩ちゃんの女子力……私のチャーハンが完全に負けて見えるよ……難易度的にも女子力的にも……」
「そんなことないですよ。鳴海さんのチャーハンも美味しそうです」
「性格でも完全敗北なんて……私が有彩ちゃんに勝てる部分なんてないのでは……?」
「……そんなことないですよ」
有彩がそっと自分の胸部に手をやって、切なそうにため息をついたのは気付かなかったことにしておこう。
「えっと、和仁のからあげに、理玖のカルパッチョ、僕の餃子に、柏木さんのチャーハン、それに竜胆さんのアヒージョ」
「……あとは陽菜だけだな」
陽菜の料理の腕を知っている俺と有彩と遥で揃って陽菜を見る。
目を閉じてすごい集中してるみたいだけど、なにを作るつもりなんだ?
作ることを承諾はしたが、あまり難しいものにチャレンジしてくれようとするなよ?
祈るように陽菜を見ていると、陽菜が目を開いた。
「決めたっ! りっくん、あたし――ナポリタンを作る!」
「そうか。……頼む、ゆでたまごにしとかないか」
「かつてないほど真剣な表情!?」
人がなにかを始める時に、挫折する要因になるのはいきなり高いハードルからこなそうとするからだ。
筋トレとかランニングでとにかく最初から重量の重いものを扱おうとしたり、長距離を走ろうとしたりなんてのがいい例だろう。
「お願いします、陽菜ちゃん。スクランブルエッグにしておきましょう」
「有彩まで!? もおっ、2人とも!」
「ま、まあまあ。1人で作ってもらうんじゃなくて、僕がちゃんと見てるからさ。それならいいでしょ?」
「……それなら、まあ」
「頼むぞ、遥。マジで」
遥に命運を託して、俺たちは大人しく待つことに。
いつでも妙な真似をしたら止められるように、キッチンの傍でスタンディングはしておくけども。
「私、陽菜ちゃんの料理って見たことないんだけど……そんなに酷いの?」
「そうだな。柏木にも分かりやすい例えをすると、俺の歌だ」
キッチンで慌ただしく動き始めた陽菜に聞こえない程度の音量で答える。
「理玖君の……歌……? う゛っ、頭がっ!」
俺と2人でカラオケに行った時のことを思い出しているんだろう。
柏木が頭を抑えて、うなり声を上げた。
「ふーん? 今の話を噛み砕いて解釈すると、理玖くんの歌を鳴海さんが聞くような機会があったってことですよね?」
「あ、ああ。ちょっと、2人でカラオケにな」
「ふーん。カラオケですかぁ。ふーん。2人で、ふーん?」
なにか余計なことを言ってしまったような気がしてならない。
有彩がなぜか頬を膨らませて不満そうにしているが、下手にツッコんで一緒にカラオケに行こうとかなったら困るから、敢えてスルーさせてもらおう。
「そ、そう言えば和仁。お前またなんか静かじゃないか?」
ムリヤリ話題を切り替えると、視界の隅に映る有彩の頬がまた少し膨らんだ。
和仁はさっきから無言でテーブルの上に並ぶ料理を見たまま微動だにしていない。
と、思ったら急に静かに涙を流し始めた。
なんなんだ、こいつ。
「……女子の手作り料理……感無量……!」
「泣くほどのことなのか」
こいつ女子と手繋ぐような場面になったら爆発四散するんじゃないか?
果たしてそんな場面が和仁の生涯で訪れるのかは知らないけど。
「み、見て下さい理玖くんっ!」
呆れながら和仁を眺めていると、有彩が俺の袖をくいくい引いてきた。
「どうした?」
「陽菜ちゃんが……! 袋に書いてあるパスタの茹で方をちゃんと読んでいるんです!」
「なにィッ!?」
あの陽菜が!? いつもならパスタの茹で方なんてフィーリングだよね、とか言いながらろくに時間を計ろうともしないあの陽菜がッ!?
「それって驚くことなの!? 当たり前のことなのに!?」
「俺たちの知っている今までの陽菜ならあんなこと絶対にしていないんだよ!」
「ど、どうしましょう。わ、私涙がっ……」
「そこまで!? すごく不安が大きくなってきたんだけど! 理玖君の歌と同レベルって聞いた時から不安はあったけどさ!」
これまでを知っているからこそ、まるで超大作の青春物語をラストシーンを見ているかのような感動が、俺と有彩の胸の内にはあった。
「ああっ!? 見て下さい理玖くんっ! 陽菜ちゃんが……陽菜ちゃんがっ!」
「マジかよ! あの陽菜がちゃんと人に確認しながら具材を切ってる!」
「わ、私ちょっと胃薬買ってくるね!」
感動で声を上げている俺と有彩を余所に、柏木が猛ダッシュでリビングを飛び出していった。
そそっかしい奴だな。この家には陽菜がいつ料理を作ってもいいように胃薬や薬の類いは常に切らさず完備してあるってのに。
「なあ理玖。さっきから気になってたんだが、竜胆さん……いくらなんでも高嶋さんが料理出来ないってことに反応しすぎじゃねえか?」
「は? なに言ってんだ?」
「いや……この反応。まるで何度も料理を作ってるところを見たことがあるみたいじゃねえか。友達同士といえど、何度も料理をしてる場面を見る機会ってあまりないと思うんだが……」
「っ!?」
こいつまさか勘付きやがったのか!? たったそれだけの情報で!?
いや、落ち着け……まだ違和感を感じ取ったってだけだ。
だとしてもなんて勘の鋭さだよ……。
「あ、あれだろ。陽菜と有彩って最近仲良いだろ? で、有彩は料理が上手いからよく陽菜に教えてやってるんだよ」
「それはこの家で、か?」
「な、なんでそう思う?」
「竜胆さんも高嶋さんも、やけにこの家のキッチンに詳しすぎる。調理器具とか調味料とかどこにあるかとか殆ど悩まずに動いてるだろ? 柏木は実際お前に聞きながら作業してたわけだしな」
「う、うちは無駄に広いからな! 場所貸せって陽菜がうるさいんだよ!」
「ふうん……? ま、幼馴染みならそういうことも……いや待て、ふざけんなよてめえ! いつも美少女2人と同じ空間で過ごしてるってことには変わりねえじゃねえか!」
まずいまずいまずい! このままだともっと余計なこと言って核心に触れられそうだ!
今のこいつの鋭さは危険すぎる!
かくなる上は――!
「――ほうら和仁ォ、エロ本だぞォ!」
「――ひゃっほう!」
お気に入りの1冊をサイドスローで滑らせると、和仁は嬉々としてそれを追っていって、懐にしまった。
そしてほくほく顔で戻ってきて、それ以上追求してくることはなかった。
こいつがバカで本当によかった。
紆余曲折あったが、そうこうしている内に陽菜が作ったナポリタンが完成し、テーブルの上に並べられる。
全ての料理が出来上がり、冷めてしまったものは温め直して、柏木も胃薬を片手に戻ってきた。
「ど、どうかな? りっくん」
「……陽菜」
陽菜のナポリタンを1口だ食べた俺は、そっとフォークをテーブルに置いて、爽やかな笑みを浮かべてみせた。
「ふっつうにクソマズい! 成長したな!」
食べられなくはないが、マズいだけならまだましだ。
今までは食べることすら難しかったんだからな。
陽菜はがっくりと肩を落としたが、ひとまずは自分の成長を喜ぶべきと取ったのか、すぐに笑みを浮かべて、次こそはと口にしてみせたのだった。
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