第30話 銭湯へ
「――お、もうこんな時間か」
ノートから顔を上げ、ふと時計を見てみると、勉強を始めてから2時間経っていた。
結構集中してやってしまったな。
凝りをほぐすように身体を伸ばしながらそれとなく周りを見てみると、俺の呟きに合わせるように、それぞれが顔を上げ始めた。
そんな中、机に突っ伏して真っ白に燃え尽きている死体が2つ……言うまでもなく和仁と柏木だ。
「そろそろやめておきますか」
「そだねー……んーっ!」
「……このあとはどうする? 風呂か飯か」
陽菜が身体を伸ばしたことにより、胸元が強調されて、目に毒と言えばいいのか目の保養と言えばいいのか判断に困る景色を努めて意識から閉め出しながら、皆に問いかけた。
正直、目の前で胸が強調される景色なんか見たら小学生ぐらいなら1発で性が目覚めてしまうことは間違いないよな。
「移動に時間かかるし、お風呂じゃないかな」
「だねー。銭湯には営業時間もあるし、先に済ませちゃおうよ」
「では、荷物の準備をしてきますね」
立ち上がった有彩が自分の部屋に向かおうとする。
……って、それはマズいだろ!
すんでのところで有彩の行動のマズさに気が付いた俺は、有彩が扉を開けてしまう前に駆け寄って、腕を取って引き留めた。
間に合ってよかった、あのまま部屋から荷物を取ってこられたら異性絡みだと妙に勘が鋭い和仁に俺たちの同棲のことがバレてしまうところだったからな。
「わっ、り、理玖くんっ……?」
「――有彩」
俺はそのまま小声で話すために有彩へと顔を寄せる。
「えっ、あ、あの……!?」
「静かに」
声を小さくしないと和仁に聞かれたらマズいからな。
「は、はいっ……は、恥ずかしいですけど……んっ……」
すると、なぜか有彩は目を閉じて、軽く顎と唇をちょこんと突き出した。
……んん? なんか意思の疎通が出来ていないような。
まるでキスを待っているかのような有彩を見て、俺の頭にはハテナマークがたくさん飛んだ。
え? なにこれ? していいのか、キス。
「……えっと、有彩?」
「ど、どうぞっ!」
していいのか!?
どうぞってことは、い、いいのか!?
い、いやいや! 有彩には他に好きな奴がいるんだし、いいわけないだろ!?
「いや、俺はただ有彩がごく自然に自分の部屋から荷物を取ってこようとしてるのを見て、そのことを和仁にバレないように小声で話そうと思って顔を傍に寄せただけなんだけど……」
「ふぇっ?」
「な、なんか紛らわしいことして悪い」
でも、有彩には好きな男がいるんだし、そこでなにをどう勘違いしたら俺とキスしようなんて勘違いになるんだ?
自分がなにか思い違いをしていたということを数十秒ほどの時を要してようやく脳が理解したらしい、有彩の目から光という光がかき消えた。
「………………大変恥ずかしい勘違いをしてしまい申し訳ありませんでした。来世でもよろしくお願いします」
「陽菜ァ! 窓を塞げェ! 有彩の奴ここから飛び降りる気だ! この目はやる目だぞ!」
目だけじゃなくてまるで感情を廃した機械みたいな口調からも覚悟がありありと感じられる! なんか本当に有彩の思考が俺に寄ってきてるような気がしてならない。
「理玖くんにキス顔見せちゃったどうしよう覚悟してたとはいえすごく恥ずかしいですどうせ見せるならもっとちゃんと練習したものを見せたかったです私はなんてはやとちりをごめんなさい」
いかん。小声で全く聞き取れないがなにかしらの高速詠唱を始めやがった。
手を掴んでるのにひたすら歩き続けようとしてるし、壁に当たってもひたすら動き続けるNPCっぽい。
「ねえーりっくーん。あたしいつまで窓の前に立ってればいいのー?」
「ああ、悪い。もういいぞ。柏木を起こして外に連れ出してやれ。遥は和仁を頼む」
「りょーかーい。ほら、なるちゃん起きてーお風呂行くよー」
「和仁、和仁ってば。銭湯行くから準備しなよ」
「「はいセンセー……私はとても元気です」」
…………あいつらには一体なにが見えてるんだ?
「じゃっ、3人ともまたあとでねー!」
声の余韻も消えないうちに、消えていった柏木のポニーテールを見送る。
有彩と陽菜もその柏木を追いかけるようにしてのれんの向こうに身体を滑らせた。
「俺たちも行くか」
「だな。にしても今日は1日中勉強だらけでくたくただぜ……」
「普段からちゃんと勉強してないからって言いたいけど、今日は僕も疲れちゃった」
三者三様、各々が口々に言いながら男湯の方の青いのれんの向こうに入ると、浴場が近くにある場所特有のむわりとした空気が俺たちを迎え入れた。
「ふぅん、どうやら男湯の客は俺たちだけみたいだな」
「貸し切りみたいでラッキーだな。バタフラっとくか」
「フラるな。せめて平泳ぎにしておけ。何歳だお前」
やれやれ、これだからバカは……銭湯の底の浅い浴槽でバカフラ……じゃなくてバタフライなんか出来るわけないだろうに。
「いや泳ぎ方の種類じゃなくて行為そのものがダメだからね?」
遥が半目で俺たちを諫めながら、服を脱いでその真っ白な肢体を露わにしていく。
男特有のゴツゴツとした身体付きじゃなくて、身体付きは完全に女性のそれなんだが、悲しいかな……パンツが男物のトランクスだし、そのトランクスの中央部分には男特有の膨らみが存在している。
なんかすごく悲しくなってしまった俺がいる。
「……理玖? どうしたの、いきなり遠い目をして天井を見つめ出したりして」
「いや、世の中ってままならないものだなと思ってな」
不思議そうにことりと首を捻る遥を背後に、俺も服を脱ぎ始めた。
「理玖って運動部とかじゃないのに割と身体締まってるよね」
「そうか? 自分じゃあまり分からないな」
「うん。なんかシュッとしててスマートな身体付きって言うのかな? 羨ましいなあ。筋トレ少し増やそうかな……」
「お前はそのままでいてくれ。いいな?」
筋肉質な遥なんて本人以外誰が得するって言うんだ。
そんなもん解釈違いです。俺の存在を賭けて遥の筋トレ増量なんておぞましい行いは阻止させてもらう。
「おいお前らおせーよ。話してないでいいからとっとと入ろうぜ。他の客が来る前にな」
遥の筋トレ計画を阻止するための計画を脳内で全力で描いていると焦れったさを隠そうともしない和仁の声が耳朶を打った。
んだよこいつ少しも待てねえのか早漏かぁ?
振り向くとそこには股間すらタオルで覆っていない和仁の姿。
遥の裸体を見たあとだと落差がものっすごい。
話を続けながら3人揃って浴場に入ると、外とは比べものにならない熱気が身体中にまとわりついてきた。
貸し切り状態のせいでちょっとした話し声でも響くな。
「というか和仁も部活やってないのにすごい鍛えてるよね」
「まあな。いつなにがあってもいいようにちゃんとトレーニングしてんだよ」
いつ……ところかまわず。
なにが……クラスメイトたちに襲われるので。
ってとこか。
そう考えれば俺もそれで身体が鍛えられてる節がある。
「あとは鍛えてる男はモテるって聞いたからな」
「……で? 結果は?」
「言わせんな恥ずかしい」
こんな悲しい言わせるな恥ずかしいを耳にする機会なんてきっともうないだろう。
悲しい気持ちもなにかも文字通り水に流してしまおうと、俺はシャワーのハンドルへと手を伸ばした。
『――うわー広ーい! あたし銭湯なんて久しぶりだよー!』
と、同時に女湯の方から聞き慣れた明るい声が反響してきた。
向こうも今入ってきたのか。
『――貸し切り状態なんてラッキーだったねー! ほらほら、有彩ちゃんも早く来なよー』
『――きゃっ!? な、鳴海さんっ! タオルを引っ張らないでください!』
女性陣の3人の声が次々に聞こえてくる。
あいつらこっちに俺たちがいて、声が聞こえてることに気付いてないんじゃないだろうな?
『――あはは、女の子同士なんだしそんなに恥ずかしがらなくてもいいのにー。有彩ちゃん、細くてスタイルよくて羨ましいー。ほれほれーよいではないかー!』
『もうっ本当に怒りますよ!?』
『おっと、怒られるのは嫌だからこの辺にしておきますかー』
『だ、大体スタイルがいいって言っても筋肉が付いてないだけですし……私からしたら鳴海さんや陽菜ちゃんの方が羨ましく思えます……』
これ気付いてないな。
「ね、ねえ理玖? そろそろ聞こえてること言った方がいいんじゃない? このままだとなんかもっととんでもない情報が聞こえてきそうだし」
顔を赤らめた遥が声をひそめて話しかけてきた。
「だよなぁ……」
聞くつもりはなかったとはいえ、聞いてしまった手前、今更切り出しにくくはあるんだけども。仕方ない。
「おいお前ら、こっちに全部聞こえてるぞー」
『――ひゃわぁ!?』
『――あ、そっか。上空いてるもんねー。覗かないでよー?』
覗くか覗けるか。
あそこから覗けたら人間じゃないっての。
『――りっくーん。そっちも貸し切り状態?』
「他に客がいたらこんなに声出してないだろ?」
『――それもそうだねー』
間延びした陽菜の声に続くように、向こうからもシャワーの音が聞こえてき始めた。
……なんというか、この壁の向こうに知ってる女子が裸でいるって考えたら中々気まずいな。
銭湯って実はとてもエッチな場所なのでは? ……ん?
「どうしたんだ? 和仁、急に黙って」
なんでこいつシャワーも出さずに目を閉じて瞑想のように手を合わせてんの?
「――静かにしてくれ。今向こうから聞こえてくる音の反響で女子風呂の様子を脳内で鮮明に描き出してるところなんだ」
「エコーロケーション!?」
「お前はいつも本当に全力で気持ちが悪いな」
性欲が全面に押し出されすぎだろ。シャワーで煩悩を洗い流せ。
俺は無言で和仁のシャワーを全開にした。湯じゃなくて水で。
「ほぎゃぁぁあっ!? 冷てぇぇぇえええええええ!?」
当然、直後に和仁の悲鳴が浴場中に響き渡った。
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