第32話 夜、部屋での一幕
「はあ、なんか妙に1日が長く感じたな」
風呂も夕食も終え、それからまた少し勉強をしてから、今日はお開きになった。
それぞれが歯磨きを終わらせてから、男は俺の部屋に、女子は陽菜の部屋を使うことになっている。
「まあ、今日は学校もあったからね。それから泊まるための準備をして、集まって勉強して、銭湯に行って、皆で夕飯を作って……濃くもなるよ」
ベッドに腰を下ろした遥が、少し開けた窓から入ってくる夜風に髪をなびかせながら、気持ちよさそうに目を細めた。
俺の部屋に美少女がいる件。
「ふぃーっ……マージで疲れたぁ……」
歯を磨いたあとでトイレに行っていた和仁が、部屋に入ってくるなり、空いている布団にバタリと倒れ込んだ。
埃が立つからやめろ。
「あぁー……女ァ……」
「え? どういうこと?」
突っ伏したまま呻くように呟いた和仁の言葉に、遥が首を捻る。
まあ、多分だけど……。
「彼女が欲しいってことだろ」
「そうなの? 和仁」
「女ァ」
首を縦に動かしたのでどうやら肯定らしい。
というか女って単語を相槌のように使うんじゃねえよ。
そもそも彼女が欲しいを女という一言で済ますのもどうかと思う。
「理玖には前に聞いたことあったけどさ、和仁はどんな女の子がタイプなの?」
「そうだな……」
和仁が身体を起こして、指を顎に持っていき、探偵が謎を考える時にするお馴染みのポーズを取った。
さすがに異性の話となったら真面目に考えるらしい。
和仁の好みなんて道端に落ちてる軍手ぐらい興味ない。
「やっぱ可愛くてスタイルもいい年上のお姉さんだな」
「強欲の化身かお前は」
まるで高校生男子の8割ぐらいが考えていそうな理想の女性像のお手本だ。
「年上かぁ……一応約束はしちゃったし、バド部の先輩には和仁のこと話してみるけど。あまり期待はしないでね? 先輩たちって彼氏いる人結構多いし、いなくても受験とかで忙しいだろうから」
「その彼氏いる人の友達からも紹介してもらえるかもしれないからな。とにかく知り合っておくに越したことはないだろ」
「異性関連に対してはやったらポジティブだな」
その前向きさを勉強の方にも向けてほしいところだ。
「まあその話題は2人で勝手に進めてくれ。……ところで遥は夏休みなにか予定とかあるのか?」
「部活とか、あとは家族での旅行の話が出てるぐらいかな」
「なんだ、浮いた話の1つもないのか。面白くねえな」
「お前が言うな。というか遥好きな奴いるらしいけどな」
GWに旅行に行った時、一応いると答えていたはずだ。
あの時はちょうど和仁が部屋に帰ってきて、誰かを聞きそびれたけど。
「ちょっ!? 理玖!?」
「マジで!? 誰だよ!」
「ぼ、僕のことはいいでしょ!」
「「いやすげえ気になるんだけど」」
「なんでこういう時だけ息がぴったり合うのさ! もうっ!」
そう言われてもな……多分俺たち以外の遥の知り合いも同じ反応するだろ。
「同じ学校の奴か?」
「……そうだけど」
「マジかよ。あの遥が惚れるような奴がうちの学校に? 理玖、誰だと思うよ」
「全く予想がつかん。年上ってのも年下ってのも同い年っていうのもどれもありえそうで絞れない」
「だよなぁ。こうなったら遥と交流のある女子を思い出せる限り洗い直していくか」
「ちょっと! 渋ってる本人を差し置いて盛り上がらないでよ!」
おっといかん。気になりすぎて突っ走ってしまったけど、やりすぎて遥の機嫌を損ねたらマズい。
この辺でやめておくのが懸命だな。
「だってなぁ、遥のこういう話聞くのなんて初めてだし」
「和仁、この辺でやめとこうぜ。遥の機嫌を損ねたら女子を紹介してもらえなくなるかもしれないぞ」
「俺が悪かったからそれだけはやめてくれ」
すげえ、一遍の躊躇もない土下座だ。
痺れもしないし尊敬も出来ない。
「……まあいいけどさ。でも――」
遥はそこで言葉を句切り、なぜか俺の傍に身体を寄せてくる。
なんでこいつ男なのにこんないい匂いすんの? 銭湯に行った時に使ったシャンプーとかボディソープとかってうちから持って行った俺がいつも使ってるやつなんだけど?
もしかして自分で気付いていないだけで、これが俺の匂い……? だとしたら俺が使ってるものの秘められたポテンシャルがヤバすぎる。
「これ以上聞かれてたら、話を逸らす為に、理玖にとって今この場で聞いてほしくない質問をすることになってたんだからね?」
小声で呟いてきた遥に首を傾げて、つられて俺も小声で聞き返した。
「今この場で聞いてほしくない質問? そんなの俺にあったか――」
「――理玖は高嶋さんと竜胆さん、どっちが……」
「オーケー分かった、完璧に理解した俺が悪かった」
その質問をされるのは色々とマズい。
前にも聞かれて答えも出てないし、聞かれて困る質問筆頭かもしれない。
あと和仁がここにいる以上、どっちが好きと答えても行き着く先は大乱闘だ。
「分かってくれたならいいよ。僕の好きな人は、まあ、僕が話したいと思うようになったらちゃんと言うからさ」
「ああ。楽しみにしとく」
それにしても、遥のお眼鏡に敵った奴なんて、一体どんな奴なんだろうな?
まあ、遥が話してくれるのを待つしかないか。
「にしても夏休み、楽しみだな」
「お前は地獄に行くか天国に行くかの瀬戸際の身でよくそんなお気楽なセリフがはけるもんだな」
「あはは、大丈夫だよ。和仁はなんだかんだやる時はやる人なんだから」
「和仁やる人ってか」
「なんで自らスベりに行った」
夏休みを前に浮かれすぎでは?
きっと頭の中には夏休みに課題が出ることなんて存在してないんだろうな。
今から泣きついてくる姿が目に浮かぶ。
「でも僕も夏休み、楽しみだな。部活はあるけど、たくさん遊ぼうね」
「ああ。そうだな」
来年からはもう受験で、推薦で受かったりしていない限り、受験に追われることになるはずだ。
だから、なんの気兼ねもなく高校生のままで夏休みを楽しめるのは、実質今年で最後と捉えてもいいだろう。
そう考えると、なんだか無性に心が寂しくなった。
「ん? 理玖、どうしたの?」
その感傷が顔に出てしまっていたらしく、遥が俺の顔を覗き込んだ。
俺は軽く頭を振って、立ち上がった。
「いや、なんでもない。俺もちょっと勉強のし過ぎで疲れてるのかもな。ちょっと夜風に当たってくる」
ベランダに出て、窓を閉めると中から聞こえてくる和仁と遥の声が小さくなる。
……しまった、感傷を覚えて外に出たのはいいけど、なんか余計にしんみりしちまった。
こういう感覚になるのは久しぶり、だな。
父さんと母さんがいなくなって、叔父さんに引き取られて落ち着くまでは毎日こんな感じだったっけ。
流石に泣きはしなものの、心に飛来した寂しさが薄れるように、ぼうっと夜空を眺めていると、
――カラリ。
と窓が開く音がした。
「あれ? 理玖くん?」
「どうしたの、りっくん?」
そして、隣の部屋のベランダに有彩と陽菜がひょっこりと顔を出した。
「いや、ちょっと勉強で疲れてな。1人でぼうっとしてたとこ。そっちは?」
「なんとなく、かな」
「ですね。あと、鳴海さんが疲れて先に寝てしまったので、起こさないようにもう少し陽菜ちゃんとお話しようと思って」
「そうか」
短くそう呟いて、ベランダに出てきた2人と一緒にところどころ街灯が付いていたり、月明かりに照らされている街を、夜そのものを眺め始める。
「そっちはどんな話してたんだ?」
「テストを乗り越えたあとの夏休みが楽しみだねーって」
「理玖くんたちはどんなお話をしていたんですか?」
「俺たちも同じ感じだぞ。あとは……遥の……っと悪い。これは言えないやつだった」
遥に好きな奴がいるっていう話を本人がよく思っていないのに広めるのはダメだよな。
いくら相手がこの2人とはいえ。
「えっ、なになに気になる! 教えてよ、りっくん!」
「気にするな」
「そこで止められたら余計に気になりますよ!」
「そうだそうだー!」
「おっと悪い、そろそろ戻るわ。お休み」
なおも背後から聞こえる有彩と陽菜の追求から逃れるように、俺は部屋の中に身を滑り込ませた。
いつの間にか、心の中の寂しさは消えてしまっていた。
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