第26話 高嶋陽菜の一大決心

「りっくん、有彩。あたし、アルバイトしようと思うの」


 陽菜のこの唐突な一言で、俺の休日は幕を開けた。

 中間テストも突破し、6月に入ってからすっかりと梅雨が近くなってきた影響で、蒸し暑かったり、じめっとしていたりするこの時期。

 そんな時期の唐突過ぎる一言だった。


「は? アルバイト? まぁ、いいんじゃねえの?」


「私もいいと思いますけど……どうして急にアルバイトを?」


「うん。あたしも高校2年生だしそろそろ金銭面でも自立を考えていかないといけないって思ったんだよね。自分の欲しい物も親からのお小遣いに頼らず買いたいしさ」


 そう言えば、陽菜の生活費は高嶋の叔父さんと叔母さんから振り込まれているんだった。いくら愛娘の為とはいえ、自分たちの生活もあるからな。陽菜としては親の負担を減らしたいのかもしれない。


「で、どの店にするとか目星は付けてるのか?」


「うん! このパン屋なんだけど……」


「「却下」」


「あー言われると思ったけど!」


「お前……店が1つこの町から姿消すことになるぞ?」


「そうですよ……お金を稼ぐどころじゃなくなりますよ?」


 陽菜がバイトに入った飲食店はことごとく潰れていくだろうな。なんか新手の地上げ屋みたい。


「話は最後まで聞いてよ! ここのパン屋カフェにもなってるんだって! まだ開店してないんだけど、オープニングスタッフを集めてるんだよ!」


「へえ、でも受けるならホールにしておけよ? くれぐれも面接の時ホール希望ですけど料理も得意ですとか嘘を言うなよ? いいか、絶対だぞ?」


「念押しがすごい!? 大丈夫だって! あたしも流石に自分の腕が普通じゃないってことは自覚したから!」


「陽菜ちゃんが普通じゃないのは味覚なんですけどね……確かに料理の腕も酷いですけど、なんで変なアレンジを加えたがるんですか? あとご飯にハチミツをかけるなんて所業は私の前ではもう2度とやらないでくださいね?」


「怖い! 顔が怖い! 神に誓って1人の時にしかやりません!」


「いや1人の時でもやるなよ……」


 陽菜の創作料理を見てたら食欲なんて一瞬で掻き消えるからダイエットしたい人はオススメ。間違っても口にしちゃあいけない。腹痛、頭痛、その他諸々の作用が出た後に普通の食事が美味しく感じられて過ぎて食べ過ぎて太るから。


「早速電話をして面接に行ってくるよ!」


 陽菜の面接は明日行われることに決まったみたいだけど、俺は一抹の不安を拭い去ることは出来なかった。

 ……そして、夜が明けて面接当日になった。

 

「採用だってー!」


 杞憂だった。

 

♦♦♦


「いらっしゃいませー! 2名様ですね? こちらの席にどうぞ!」


「おー、なんかそれっぽいな」


「ですね。陽菜ちゃんにはこういう接客業が合っているのかもしれませんね」


 陽菜が面接に受かってから、1週間が経過した。

 今日がオープン初日なこともあってから店内は客で溢れかえってるとまではいかないまでも、席は殆ど埋まっている。

 陽菜は採用されてからオープンするまでのこの1週間、毎日この店に顔を出して研修を受けてみたいだ。


「てっきり来るなって言われるかと思ったけど、2つ返事でむしろ来いって言われるとは思わなかったな」


「お客は多い方がいいみたいですけど、流石にここまで多いと忙しそうですね」


 俺と有彩は店内のテーブルで向かい合って座って、陽菜の仕事っぷりを眺めている最中だ。

 まあ、あいつコミュ力あるし……持ち前の明るさと笑顔は確かに接客向きだよな。


「パンとか軽食も美味いし、飲み物だって文句なしだ。雰囲気もいいし、これなら人気出るんじゃないか?」


「はい、それに静かですし……ここでなら小説の執筆も捗りそうです。いい所が出来ました」


「ふふっ、ありがと」


 有彩と店に対しての感想を言い合っていると、背が高めの女性が話かけてきた。

 カッコいい人だな。


「……えっと? あなたは……?」


「このお店の店長やってます。あなたたちが陽菜ちゃんのお友達ね?」


「あ、うちの陽菜が迷惑をかけてませんか?」


「まるで父親みたいなことを言うのね? 迷惑どころか大助かりよ。あの子可愛くて明るいから早くもうちの看板娘みたいな立ち位置だから」


「開店初日から看板娘になるって……流石陽菜ちゃんって言えばいいんでしょうか?」


 確かにあいつは基本的に要領良くこなし、苦手とするのは料理ぐらいのものだ。面倒見だっていいし、あいつと結婚して家庭を持った奴はきっとこの上ない幸せな人生を歩むことが出来るだろう。

 ……料理で離婚案件に発展しなければだけど。


「あなたたち、閉店後少し残って話さない? 陽菜ちゃんがあなたたちの話ばかりするから私も少し興味を持っちゃって」


「俺は大丈夫ですよ。有彩はどうだ?」


「私も用事もないですし、大丈夫です」


「ありがと。あ、待たせちゃう代わりと言ってはなんだけど、軽食とドリンクをサービスするわ」


 そう言って、店長は俺たちにウィンクをしながら仕事に戻っていった。かっけえ。あれが姉御肌ってやつか……。


♦♦♦


「2人ともお待たせー!」


「お疲れ、いい感じだったぞ」


「本当っ!? えへへ、頑張って正解だったね!」


「制服姿もよく似合ってましたよ」


「ここの制服可愛いよね! ロングスカートで昔ながらの喫茶店スタイルって感じ!」


 装飾華美ではなく、あくまでも清楚感を残して、それでいて地味過ぎない見事な調和がなされた制服だった。それを着たのが陽菜のようなスタイルが良くて小柄で可愛らしい容姿をした奴が来てたらリピート確定するだろ。

 なんなら今から新しいTwitterのアカウントを作ってバズらせることだって出来る。


「おや、それは古臭いセンスってこと?」


「褒めてるんですよ店長!」


「冗談よ。さて、残ってくれてありがとう。改めて私が店長の高坂蒔那こうさかまきな。よろしくね」


「俺は橘理玖です。陽菜がお世話になります」


「竜胆有彩です。よろしくお願いします」


 差し出された名刺を受け取って、財布の中にしまう。

 

「なんだか、あなたたちは友達ってよりも……雰囲気が家族のそれに近いわね」


「まあ、俺と陽菜は一応幼馴染なんで……有彩はただの友達ですけど」


「はい。私はです。理玖くんも陽菜ちゃんも」


「なんで友達の部分をそんなに強調した? おい、顔が怖いぞ? 目のハイライトさんをリストラしたらダメだろ」


 なんか急に機嫌が悪くなったな。女心は分からんわ。


「ふふふっ、あなたたち聞いてた通り面白いわね。話は変わるんだけど、あなたたちは陽菜ちゃんの料理の腕は知っているかしら?」


「「それはもう骨身に染みるまで」」


 俺の知らないところで有彩も陽菜の料理の餌食になっているらしい。料理の餌食ってなんかすげえパワーワード。

 多分、陽菜にせがまれた有彩がたまに料理を教えてるんだろうな。その顔を見てると成果はあまり芳しくなさそうだけど。

 有彩はなんだかんだで頼まれると断れないからな。


「まさか早速何かやらかしたんですか!? す、すみません! あれほど料理をするなと言っておいたのに!」


「何をしでかしたんですか!? まさかお客様のライスにチョコレートをかけて出したんですか!? なんてことを!」


「違うよ、何もしてないってば!」


「本人が面接で言ってた通りの味音痴なんだね。ただ味覚がおかしいってよく言われるって言ってたから本人がおかしいとは思ってないみたいだけど。安心していいよ。陽菜ちゃんは厨房に入ってないから」


 なんだ、何もしてないのか。それなら安心だな。


「話を戻すよ? 実は陽菜ちゃんに料理を教えてあげようと思うんだ」


「……正気ですか?」


「りっくん! それ店長にもあたしにも失礼だからね!」


「ごめんなさい。確かに今のは礼節を欠いた態度だったと……」


「別にいいよ。それより今日食べた料理についてはどう思った? 私が作ったんだけど」


「とても美味しかったです! 私、レシピ知りたいぐらいですから!」


「俺も美味しかったって思います。それこそ店に通いたくなるぐらいには」


 どの食事も手を抜いておらず、とことん客を満足させようと考えている人が作った感じの料理だった。1度食べて満足な感じじゃなくて、これから何度も通って食べたくなるような。


「それは嬉しいね。帰る時にレシピを紙に書いてあげるよ」


「本当ですかっ!? これでレパートリーが増えます!」


「それで、どうして陽菜に料理を教えるという話に?」


「あ、それはね……? 私も元は味音痴だから」


「――え?」


「――へ?」


 俺と有彩は間の抜けた声を出し合って、お互いに顔を見合わせた。

 はあ!? あの料理に味音痴要素は微塵も感じられなかったんだけど!? むしろ料理上手の有彩の料理よりも美味く感じられたぐらいだ!


「ええ!? 店長の料理あんなに美味しいのに味音痴だったんですか!? どんな手を使って克服したんですか!?」


「克服も何も、ちゃんと練習して普通の料理を作れるようになったまで。私は昔から料理自体は好きだったんだけどね。自分はおかしいとは思ってなかったけど、周りからしたら私は味覚がずれてたみたいで、料理を自由にさせてもらえなかったのよ」


「それって陽菜と同じ……」


「ねえ、陽菜ちゃん。悔しいと思わない? 自分が好きな物を否定されて、それを出来ないなんて」


「悔しいですっ!」


「自分が作った料理で美味しいって言わせて笑顔にさせたくない?」


「言わせたいです! 笑顔で美味しいって言って欲しいです!」


「それなら、私が……元味音痴で今はカフェの店長にまでなって、この2人に美味しいって言わせた実績のある私が時間が空いた時は料理を教えてあげる」


「はいっ! お願いします!」


 陽菜は頭を勢いよく下げた。


「でも、どうして陽菜ちゃんの為にそこまでするんですか?」


「私が陽菜ちゃんを気に入ったからかな。というわけでこれから陽菜ちゃんを借りることが多くなるから、そのあたりよろしくね」


 陽菜もやる気だし、ここまで親身になってくれてるんだから、悪いようにはきっとならないよな。


「――バシバシ鍛えてやってください」


 早速今日から特訓が開始されるみたいで、俺と有彩は陽菜を置いて、先に家に帰ることにした。

 上手く作れるようなった陽菜の料理が楽しみだ。

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