サンカヨウのせい


 ~ 二月二十七日(木)

 寒くなると、まっすぐ上に伸びるもの ~

  サンカヨウの花言葉 幸せ



 日の出から一時間。

 懐中電灯で前を照らすという。

 穂咲の仕事は一つ減ったのですが。


 もう一つのお仕事の方は。

 はかどるはずもなく。


「……ずーっと、圏外っぱなしなの」

「そうですか……」


 結局、夜通し歩くこと九時間。

 丘の姿は未だに見えず。


 いえ、もはや顔などあげる気力もなく。

 足元を見つめながらひたすら足を運んでいるので。


 丘が目の前にあったとしても。

 見えるはずなど無いのですけど。



 ……二時間ほど前のこと。

 急にペースを落とした穂咲が。

 足が痛いと言い始め。


 その場で停止しようかとも考えたのですが。

 日の出前後の冷気の中。

 地べたにいたら良くないかと思って。


 穂咲にリュックを背負わせて。

 その穂咲を俺が背負って。


 よぼよぼのおじいちゃんのような足取りで。

 一歩。

 また一歩。


 ただ道なりに。

 山を登って来たのです。



 途中で分岐があったはずなのに。

 それすら気づかずに歩いてきたので。


 もはやこのまま歩き続けることが。

 正解かどうかも分かりません。



 ……人生とは。

 山登りが如し。


 ただ腰を曲げて。

 重い荷物を背負って。


 結婚したら。

 奥さんも背負って。


 子供が出来たら。

 その子も背負って。


 自分の歩いている道が。

 正しいかどうかも知らぬまま。


 こうして、足下だけを見つめて。

 歩き続けていくのでしょう。



 ……我ながら。

 なんてネガティブ。



「道久君、寒くない?」

「寒いですけど平気ですよ。さすが、日の出の前後。冷えましたね」

「日の出が寒いの? 深夜じゃなくて?」

「はい」

「お日様が出てあったかくなる前に、一旦よいしょってしゃがむ感じ?」

「ポジティブな考え方ですね」


 さすがは穂咲。

 前向きなご意見です。


「道久君は違うの?」

「俺は、夜という布団から無理やり放り出されて凍えるせいだと感じます」

「さすが道久君。ネガティブ日本代表に毎年最有力候補として名を連ねるだけのことはあるの」

「そこまで極めたら本望なのです」

「でも毎年選考落ち」

「中途半端っ!」


 そんなことされたら。

 年々、ネガティブに磨きがかかってしまうではないですか。


「でも、夜のお布団って表現は面白かったの。朴念仁なくせにネガティブなことには敏感なの。ネガ久君なの」

「日本代表って言ってましたよね? 名前にカタカナが入ってますけど、ネガ久って何人なのです?」

「だから、朴念仁なの」

「ああ、なるほ……、ど……」



 いつもの会話。

 穂咲との、意味の無い会話。


 俺の生活の。

 八割方を構成する物。


 そんな大切なものが。

 実は。



 今は、辛い。



 疲労がピークを過ぎて。

 会話をするのも辛い。

 黙って、なにも考えずに歩きたい。



 だけど。

 こうして話していないと。



「……ちひさくん。道久くん」

「なんです?」

「やっぱあたし、歩こうか?」

「え? なんでです? 辛そうにでも見えました?」


 極めて自然に返事をしたつもりなのに。

 穂咲は、俺の体にまわした手に。

 ぎゅっと力を込めるのですが。


「なんの真似なのでしょう。平気ですよ?」

「…………うん」



 穂咲には。

 俺が無理をしていることが。

 伝わってしまったのでしょうか。


 それきり押し黙って。

 助かる反面。


 なんだか。

 胸のあたりが少し苦しい。


 でも、胸の痛みより。

 足の痛みの方が上で。

 呼吸も苦しくて。

 視界が狭まって。


 足元の他に。

 ぎりぎり、目に入るもの。


 穂咲が右手に持った。

 時計代わりでしかない携帯と。


 そして左手に持った…………?


 ん?


「……穂咲。それ、どうしたの?」

「ああ、これ? あたしもよく分かんないの」

「分かんないってどういう事さ」

「おんぶされながら、ちょっと寝てたじゃない? 夢ん中で、パパに貰ったの」

「いやいや。そんな話あるわけないのです」


 穂咲が手にしたもの。

 それは、白い小さなお花なのですが。


 でも、この雪山で咲く花に。

 そんなものありましたっけ?



 …………いや。


 まさか、このお花。



 そんなことあるはず無いのですけど。

 だって、もしそうだとしたら。

 狂い咲きにもほどがある。



 俺は思わず足を止めて。

 改めて花の形を確認してみたのですが。


「どうしたの?」

「これ、夏のお花ですよ?」

「そうなの? じゃあ、パパがこの辺を夏にして、雪をとかして歩きやすくしたいって思ったから咲いたのかな?」

「…………ええ。きっとそうですね」


 本人も知らぬ間に。

 手にしていた夏のお花。


 その特殊な性質のせいで。

 『清楚な人』という花言葉もあるのですけれど。


 もっと、シンプルな。

 人が生まれてきた理由のような花言葉を持っているのです。


「……きっとそいつが。『幸せ』を運んでくれますよ」

「え? このちっこい花が?」


 穂咲は俺の背中から滑り降りて。

 その勢いで、リュックごと雪の上に尻餅をつきながら。


 左手に持ったお花を見つめます。


 そんな子供のような仕草をする。

 いつもの穂咲に笑顔を貰った俺は。


 凝り固まった腰をぐっと伸ばして。

 久しぶりに顔を上げると…………。



「ほら、ね」

「…………ほんとなの」



 視界一杯に広がっていたのは。

 旭光を浴びて。

 雪化粧を燦然と輝かせる。

 真っ白な丘。


 朝の風に舞い踊るスターダスト。

 それが陽の光を浴びてまばゆいばかりに煌めいて。

 澄ました丘に。

 お似合いのスパンコール。


「……綺麗なの」

「ええ。……ああ、よかった」


 俺も穂咲の真似をして。

 子供のように尻餅をついて。


 真っ白で。

 金色の。


 幻想的な光景に目を細めます。



 無事についた。

 穂咲を守ることが出来た。


 安堵のため息を大きく吐くと。

 いつもの自分に戻った気がします。


 ……いつもの自分。

 いつも、穂咲を楽しませようとする自分。


「ああ、そうだ」


 俺は、穂咲から幸せの花を借りて。

 手袋を外して雪を拾って。

 それをぎゅっと握り締めます。


「なにしてるの? 見てるだけで手が冷たくなるの」

「そんな冷たさも忘れてしまう程、素敵なものをお見せしますので」


 手の中でとけた雪が。

 手首を伝い始めたところで。


 俺は穂咲の前に真っ白な雪のようなお花を掲げながら。


 その花びらへ。

 水をぽたぽたと落とします。



「…………わあ。…………わあっ! ねえねえ道久君! 道久君!」



 ――花期は五月から七月。

 しかもこんな乾燥した山でなく。

 湿った山に咲くお花。


 直径二センチほどの五枚の花弁は。

 真っ白な肌に。

 こうして水を落としてやれば……。



「ガラスみたいに、透明になったの!」



 メギ科の多年草。

 サンカヨウの花弁は。


 水に濡れると。

 まるでガラスのように。


 無色透明になるのです。



「ねえ! 見せて見せて!」

「見てるじゃないですか」

「貸してほしいの!」

「取り上げているじゃないですか」


 大はしゃぎの穂咲は。

 俺からサンカヨウの花を奪い取ると。


 まだ白くて冷たい光を放つ。

 お日様にかざすのです。


「綺麗なの。これ、世紀の大発見なの」

「最初に見た人は、誰でもそう思うでしょうね」


 世には、千差万別。

 いろんなお花がありますけど。


 空が零した涙に気付くと。

 こんなにも清い透明な心で。

 それを慰めるお花なんて。


 他にないことでしょう。


 普段はそんな姿を見せないのに。

 誰かの悲しさに気付くと純潔になる。


 まるで……。


「……ねえ、道久君。あれ、なに?」

「え? ………………おお!」


 思わず二人して立ち上がって。

 太陽を見上げたのですが。


 でも視線は。

 太陽と言うよりも。


 地面から。

 空へかけてのその途中。


 雪の大地から空を煙らせるほどに舞った氷の結晶。

 その結晶は、板のように固まることもあるらしく。


 角度の加減で陽の光を反射すると。

 一つの板が、その場で小さな太陽になり。


 空一杯に。

 縦に真っすぐ。


 小さな太陽をこうして寄せ集めると……。



「光の柱……」

「ええ。これがサンピラーと呼ばれるものです」



 まるで地面から。

 太陽へ向けて駆けのぼる光のタワー。


 天国へ至る。

 導きの階段。



 条件が整わないと見ることができないと聞いていたのですが。


 まさか。

 こんなところで見ることができるなんて。


「……おじさんが、見せたかったもの、ですね」

「なぞなぞの答え。きっとこれなの」


 おじさんが口にした。

 寒いとまっすぐ伸びるもの。


 それは。

 天を貫く光の柱のことだったのでしょう。



「また、おじさんとの思い出が増えましたね」


 俺は嬉しさと共に。

 そう呟いたのですが。


 穂咲は。

 少し寂しそうに。

 首を横に振るのです。


「……これは、道久君と。……二人の思い出なの」

「え……? だって、なぞなぞを出したのはおじさんなのです」

「だってパパは、なぞなぞを出したっきりなの。見てるのは、二人」

「そうじゃなくてね。サンピラーだけじゃなくて、青いピカピカだって、金色の中に赤い花だって、おじさんが教えてくれたじゃないですか」


 おじさんと一緒に見ることができなかった悲しさのせいでしょうか。

 穂咲は、涙で濡らした赤い頬を。

 俺の方へゆっくりと向けて。


 それでも、小さく頷きます。


「そういう景色を見る楽しさを、俺たちはおじさんから教わったのですから。きっとこれからも、素敵なものを見て感動したら、それは全部……」

「パパがくれた物?」


 ええ。

 そうなのです。


 俺がサンピラーを見て涙を流す程感動しているのは。

 おじさんがくれた心があるからです。


「……ですから、二人の思い出なんて言わないで欲しいのです。誰かの思い出は、家族みんなの思い出なのです。この感動を、俺はおばさんにも、父ちゃんと母ちゃんにも話したい」

「パパにも?」

「もちろん。俺にとっては、おじさんも含めて、みんなが家族ですから」

「じゃあ、恋人が出来たらその人にも教える?」

「え!? どうしてそんな話をぶっこんできました?」


 どういうつもりで口にしたのか。

 穂咲の意図は分かりません。


 明日に控えた結婚式が。

 穂咲に何かの不安でも与えているのでしょうか。


 答えあぐねる俺を見ているうちに。

 穂咲はにっこり微笑んで。


「変な道久君なの。彼女って、家族になる人なの」

「ああ……、まあ、青臭い考え方と承知で、俺もそう思いますけど」

「そうなの。素敵なものを一緒に共有したいって思える人はみーんな、道久君にとっての家族なの」


 俺の家族。

 素敵なものを。

 共有したい人。


 穂咲は、そう言うなり。

 サンカヨウを手に。

 サンピラーへ向けて走り出します。


 そして光の中で。

 天に向かってサンカヨウを掲げて。


「道久君といると、これからもパパとママにもたくさん思い出をあげられるの」


 ふわりと吹いた優しい風にお花を乗せると。

 まるで柱の中を、天へ帰っていくように。

 サンカヨウは空高くへ舞い上がって。

 そして光にとけて消えて行ったのでした。



 ……まるで魔法のような光景は。

 とんと、俺の背中を叩いて。


 光の中でくるくると踊る妖精に。

 きっと、ずっと胸の中で眠っていた。


 そんな言葉を。

 紡がせました。



「……なら、君が俺の家族になって欲しいのです」



 すると光の妖精は。

 ぴたりとダンスをやめて。


 ミトンを胸の前で重ねた後。

 どういう訳か、難しい顔を浮かべて。


「今までだって家族なの」

「…………え?」

「ん? 違う?」

「……まあ、はい」

「変な道久君なの」






 うそでしょ?






 今の話の流れで。

 どうしてそうなります?


 鈍いやこいつ。

 いや、はっきり言わない俺が悪いのか。



 ならば、もう一度。

 今度は、もっと明確に伝えましょう。



 俺は、熱くなった胸に。

 冷たい空気をたっぷりと送り込んで。


「穂咲……」


 サンピラーの中に立つ君をつかまえるために。

 ぎゅっと、一歩を踏み出すと。


 二歩目はするっと空を切り。

 回る景色がぴたっと止まると。

 視界一杯におじいちゃん。


「穂咲ちゃんと二人きりでいるとは! 貴様何者じゃ!」




 ――ああ。

 俺の人生。


 こうして邪魔ばかりが入るのですね。


 なんだかもう。

 お先真っ暗。


「こんな早朝から一緒にいるとは! 黙ってないで何者か言わんか!」

「ネガ久です」

「ネガ久君なの。次期、日本代表」

「そんなことは聞いとらん」

「やっぱり道久さね!」

「ほっちゃん! あんたたち、一晩中携帯切って何やってたのよ!」


 ……察するに。

 皆さん、早起きからの朝のお散歩中に。


 丘の下の方で。

 見覚えのある二人を発見して近付いてきたのでしょう。



 だったら。

 先に声かけて。



「な? 心配いらないって言ったじゃないのさ!」

「心配、必要な状態だったのですが」

「まさかここで一晩中いちゃついてたの?」

「いちゃつく余裕なんて微塵もぐはあ!」

「ほ、穂咲ちゃんといちゃつくなど百万年早いわ馬の骨! 今すぐ国際宇宙ステーションへ送りつけてやる! 新堂! おい、新堂はどこじゃ!」



 ああもう。


 ああああああああああもう。



 なんだか、もうすべてがどうだっていい。

 今はすぐにでも。

 熱いお風呂に浸かって眠りたい。



「溺れるわ!」

「なにが溺れるの?」

「……俺の人生航路かしら。船が泥で出来ていたことが、今判明」

「それより道久君、さっき何を言いかけてたの?」

「なんでもないというテンプレしか吐けないネガ久のことはもう放っておいてください」

「そうはいかないの。これからが本番なの」


 穂咲は胸をぽふんと叩いたグーを。

 俺に向かって突き出します。


 ひとまずチョキで応えてあげましたけど。

 確かに、これからが本番ですね。


「結婚式。おじいちゃんとおばあちゃんに見せるのですからね」

「気合い入れるの」


 オルゴールも、なんとか無事に届けることが出来そうですし。

 きっと素敵な式になることでしょう。


「じゃあこれから、ママを世界一綺麗にするぞ大作戦の作戦を練るの」

「作戦の作戦を練るのですね。了解です」


 俺たちは、サンピラーを見上げてはしゃぐおばさんを見つめながら。

 今度は、グーをぶつけ合います。



 ……そう。



 明日の主役はもちろん。



 おじさんとおばさんなのです。

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