バラのせい
~ 二月二十五日(火) 赤白棒 ~
バラの花言葉 真実
「おいおい、もう出るのかよ義姉さん」
「そうよ。これから雪になるって言ってたし、早めにね」
「……もうちっとぴかりんちゃんと遊んでいたいの」
「だったらほっちゃんも準備しなさいな」
「そういう訳にはいかないの」
昨日の陽気もうそのよう。
鈍色の空と北からの吹き付けが。
まだ暦は冬よと主張する。
今夜から明日にかけて、雪になるらしいですし。
なにもこんなに慌ただしいタイミングを見計らって。
北風小僧が遊びに来なくても。
「…………あたし?」
「おっと。ひかりちゃんは、小僧ではないのです」
子供はどうして大人の考えていることが分かりますかね。
気をつけないと。
もう出発ということで。
ひかりちゃんに靴を履かせてあげていると。
すっかり美少女に育った彼女が。
グレーの瞳をくりくりさせながら聞いてきます。
「こぞうってゾウさん? ゾウさんには、女の子いないの?」
「そうじゃなくてですね、ええと……」
初めて体験する、なあになあにの知りたがり。
こういう時はどうしたら?
俺は慣れない難問に助けを求めて目を泳がせると。
ヤレヤレとばかりにダリアさんがやってきました。
いつもはいいかげんで滅茶苦茶なことをしますけど。
さすがはお母さんですね。
頼りになります。
「……ゾウさんは、男の人しかできない」
「ん?」
「お風呂場で、パパがいっつもやってるでしょう?」
「何を教えているんですかあんたは!」
もとい。
お母さんなのに。
いつもいいかげんで。
滅茶苦茶なことしかしない人でした。
「そして、まーくんも!」
「なんだよ。呼んだか?」
「そこで正座しなさい!」
「どうして!?」
まーくんとダリアさん。
ひかりちゃんまで。
平日だというのに。
集まったのには訳があって。
明々後日。
金曜日。
あの、白い丘の教会で。
結婚式をする準備のためなのです。
「やれやれよね。自分たちで準備しなきゃいけないなんて……」
「二十年前も同じようなことしたのか?」
「もっと大変だったわよ! 今は、式場にしようってことになってるらしいからそれなり設備もあるけど」
「当時は何もなかったのか。……それを知ってるのも、道久君とこのお父さんお母さんだけなんだな」
事情が事情だけに。
式も挙げずに一緒になったおじさんとおばさん。
そんなお二人のために。
千草さんと、父ちゃんと母ちゃんが準備して。
結婚式をしてあげたと聞いていたのですけれど。
「ああ、やっと疑問が晴れたのです」
「疑問ってなによ」
「あの二人が結婚式をプレゼントしてあげたと言っていたことが眉唾だったのです。結果、自分たちで準備したって訳ですね?」
「そうよ。道久君とこのお父さんとお母さん、一人は荷物も運べないし、一人は芝生で寝こけてるし」
「……なんかごめんなさい」
「そんなことはいいから、ちゃんとほっちゃん連れて明日には来るのよ?」
「了解しました」
なんだか慌ただしく。
まーくんの高級そうな自動車に。
納屋から引っ張り出した汚い工具をそのままぶち込んで。
大慌てで出発してしまったおばさんたち。
そんなみんなを見送ったあと。
ノートと鉛筆を持って。
駅の方へのこのこと歩き出したこいつは
軽い色に染めたゆるふわロング髪をローツインにして。
ハンチングなどかぶった上に。
一本のバラを揺らしています。
……バラ。
愛のお花。
結婚式に無くてはならない。
そんなお花が、北風に吹かれて。
ぽとりと地べたへ落っこちます。
「なんです幸先の悪い。ちゃんと挿しておきなさい」
「でも、デザイナーとしてハンチングは欠かせないの」
そうかしら。
それはデザイナーと言うより。
絵描きさんのアイデンティティーなのでは?
でも、それを話しても。
君の独特な感性をぎゅうぎゅうと説明されるだけになりそうなので。
面倒なことは言いますまい。
そんなことを考えている間に。
到着したワンコ・バーガーのお隣りの空き地では。
美穂さんと、工務店のおにいさんが。
測量などしていたのです。
「こんにちはなの」
「よう、スコップ女」
「素敵な棒持ってるの。ひょっとして、寒くなったら伸びる?」
「こいつが伸び縮みしたら、夏に建てる家の方が高くなっちまう」
「ふーん。美穂さんもこんにち……、測量?」
「そうなの。手伝ってるうちに覚えちゃってね」
トータルステーションって楽しいのよなどと言いながら。
筒の無い望遠鏡のような物を覗き込みつつ。
手にした紙に数字を書き込んでいるのですけど。
なんでしょう。
美穂さん、短大卒業したら。
工務店に就職する気?
「美穂。それよりあれだろうよ」
「ああ、そうだった! おめでとうございます!」
「俺からも、おめでとう」
「ありがとうなの」
「ありがとうございます」
先日、お二人が結婚されると聞いた時とは真逆の挨拶に。
苦笑いする俺たちでしたが。
仕事中は生真面目なお兄さんのおかげで。
むず痒い空気も霧消します。
「スコップ女。頼んでおいたデザイン画、持って来たか?」
「もちろんなの」
そして、美穂さんも含めて。
三人で穂咲のデザイン画を覗き込んで。
むむむと唸っているのですけど。
お店のデザインの件は。
カンナさんから穂咲へ一任されていますし。
俺が口を挟む余地はないので。
一歩下がって、皆さんの真剣な表情を眺めます。
「…………もう少し予算のことも考えてくれ。タダ同然の大赤字でやってるわけだしな」
「なるほど了解したの。じゃあ、床のタイルはいらないから……」
「いや、タイルはいるだろ。ブランコを諦めろ」
「そこは外せないの。タイルがいらないの」
「外せる。いる」
「外せないの。いらないの」
いや。
思ったよりも口を挟む余地がありそう。
俺は穂咲を黙らせて。
ブランコと足湯と。
ぱかっと地面が開いて巨大ロボが顔だけ出してつっかえる装置にばってんをつけました。
「……大体わかったが、キッチンにはほんとにガスを引く気なんだな?」
「ガスじゃないと、あの目玉焼きが作れないの」
「ああ、あの目玉焼きな。確かに絶品だよな」
「……あたしのより?」
「そこは機嫌を損ねようとも頷くしかねえ。店が出来たら食ってみると良い」
へえと。
目を丸くさせた美穂さんが。
作り方を教えてと穂咲に頼むのですが。
こいつはちゃっかり。
だったら毎日食べに来てと。
プロらしい返事をするのです。
そんな穂咲の携帯にメッセージが入ると。
美穂さんとおにいさんは測量作業を再開して。
こいつはふうとため息をついて。
俺に携帯の画面を見せてくるのですけれど。
「え? おばさん、肝心なもの忘れて行っちゃったの?」
「これじゃ、なんのために早めに行ったのか分かんないの」
「ええと、なになに? 二十七日の朝から修理すれば、式までに間に合う?」
「今日何日だっけ」
「二十五日なので、俺たちが明日持って行けば間に合いますけど」
「そんなら安心なの」
穂咲はおばさんに、あたしが持ってくのと返事をすると。
美穂さんとおにいさんの測量を手伝い始めるのですが。
俺には、ちょっぴり。
君の優先順位というものに。
寂しさを覚えます。
お店のことが決まって。
式のことが決まって。
急に大きなものが二つも転がり込んできたというのに。
君は慌てずスケジュールを組んで。
でもその予定表は。
お店のことが優先で。
……家族の事より。
自分の仕事を優先させる。
それは当たり前だと。
大人たちは言いますけれど。
俺は、それが自分にはできない事だから。
だから自由の利く仕事を選んだので。
かつては三度は読み返していたおばさんからのメッセージも。
今は、さっと読んで、すぐに返事をして。
仕事の方に全力投球。
なんだか。
胸の中にいる子供な俺が。
ほろりと涙を流すのです。
「……おにいさん。せめて今日中に準備終わりませんか?」
「そいつは無理な相談だな。明日の午前中にならないと地質調査の結果が出ねえからな」
「穂咲。君が地質の事を聞いてもしょうがないんじゃ?」
「そうはいかないの。地質改善が必要になったら、キッチンとインテリアにまわす予算をぎっちぎちまで減らされるから、すぐに打ち合わせないとなの」
俺の質問の意図。
真剣な二人には届いていないのでしょうか。
作業の手を休めることなく。
装置から目も離さない生返事。
すると美穂さんだけが、ちょっと心配顔になって。
俺の元に来るのです。
「……そうよね、心配よね。式の前だもんね」
「う。……子供みたいなことを言っているのは分かっているのですけど、でも、それだけじゃなくて」
「ん?」
「ちょっと予想はしていたのですが。穂咲、仕事を始めると夢中で動いてしまいそうなので。……過労を、心配しているのです」
おじさんとおばさん。
共通している病気。
そんな二人の血を引いているので。
こうなることは。
分かっていたのです。
「……そうね。今も、あっという間に測量装置の使い方覚えて」
「ええ。あんなに機械が苦手なのに」
「ふふっ。……よかった」
「え?」
「そうやって、穂咲ちゃんのことをいつも見てあげてくれる人がいて」
それなら安心よと。
美穂さんは笑うのですけれど。
それはなに?
俺がずっと気をもまなければいけないという事なのですか?
「……やれやれ。俺の方が過労で倒れそうなのです」
「大丈夫よ。道久君のことは、穂咲ちゃんがいつも見ていてくれるから」
「いやいや。それはどうでしょう」
「あら。じゃあ、賭ける?」
「何をです?」
「今日のランチとか?」
いたずらっ子のような目をして。
美穂さんは言いますけど。
悪いですが、賭けは俺の勝ちですし。
あいつが、俺のことを見ているなんて。
それだけは有り得ません。
今だって。
見たことも無いほど真面目な顔で。
測量を手伝っていますし。
「よし、次。……スコップ女、この棒、見えてるか?」
「……違う棒が見えそうなの」
「は?」
「道久君のファスナー、全開なの」
「え? ……ひょええええええ!!!」
「てめえ。さっきから、何見てやがったんだ?」
「ゾウさんの住みか?」
…………美穂さん。
さては気付いていましたね?
なんですか、そのVサイン。
……ああ。
勝利のV、ね。
仕方が無いので。
俺はお隣りへ。
お昼ご飯を買いに行ったのでした。
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