クロッカスのせい


 ~ 二月二十四日(月祝)

         目玉焼きや ~

 クロッカスの花言葉

      あなたを待っています



< へふぷ



 ううん。

 行きたくないなあ。


 晴花さんから届くメッセージは。

 いつもわたわたとして。


 これ、全部『は』からフリックしちゃっただけで。

 『ヘルプ』って言いたかったのですよね?


 お仕事関係のことで、よく一緒にいるようになり。

 出来る女性の姿を少なからず拝見するようになりましたけど。


 相変わらず。

 緊急事態に弱い方だこと。



 俺は昨日から徹夜で作った。

 穂咲用のご近所飲食店資料と超過密面接スケジュール帳。

 作品タイトル、『仏の顔は売り切れました』を抱えて。


 しぶしぶながら、ワンコ・バーガーへ向かいます。


 ……つい先日までの澄んだ空気はどこへやら。

 霞んだ空は、しかし徹夜明けには助かる淡さ。


 母ちゃんのくしゃみのせいで。

 これが花粉と知ることが出来るのですが。


 未だに体内のバケツなるものがいっぱいにならない俺としては。

 これが国民的病気の源泉などと言われてもピンとこないというもので……。



「へっくし!」



 …………うそ。


 いやいや。

 まさかそんな。


 まだ十八才ですし。

 俺の中のバケツはこれからが本番と言わんばかりにスカスカで……。


「へっくし!」

「…………花粉症なの?」

「違う!!!」

「クロッカスの」

「…………そんなの聞いたことな、へ、へっくし!」

「クロッカスの」

「断じて違います」


 いつのまにやらお隣に立って。

 俺のことを聞いたことのない病気にしてしまうこいつの名前は藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を編み込みからのハーフアップにして。

 そこにクロッカスを三つぽんぽんぽんと咲かせて難しい顔をしているのですが。


「あのね? 晴花さんからのメッセージが読めないの」

「ああ、あれね」

「『てせけて』って、なに?」

「全部右にフリックしちゃったのでしょうね。助けてって言いたかったのでしょう、きっと」

「そりゃ大変なの! 急ぐの!」


 大慌てで俺の手を握って。

 お店への道をぽてぽてと走る穂咲ですが。


 そんなに慌てずとも。

 大丈夫ですって。


 晴花さんが助けを求めるような案件。

 カンナさんが暴れているか。

 レジ関係か。

 いずれかでしょうし。


 ならばどちらも。

 日常茶飯事といえますし。


 俺はそれぞれの案件について、経験則からの最適解を心に準備しながら。

 穂咲に続いてお店の自動ドアをくぐるなり。


 思わず声をあげました。


「両方かー」

「なにが両方か分からないけど! 助けて道久君!」

「うるせえ! つべこべ言わずに厨房に入れ晴花! レジ専属のバイトなんて雇ってる余裕ねえんだよ!」

「いやあああああん!」


 お客さんは随分と増えましたけど。

 家賃が増えるの、そんなに大変なのですね。


 必死にレジへしがみつく晴花さんを。

 上回るほどの形相でカンナさんが引っぺがそうとしています。


「なんでカンナさんはあんなにあらぶってるの?」


 君、事情知ってるはずですよね。

 きっと、君の記憶のリセットボタン。

 奥歯にくっついているのでしょう。


 ごはんを食べるたびに初期化されるから。

 そんなことばかり言うのです。


「大家さんから、お隣りの土地まで押し付けられて。家賃が増えたせいなのです」

「…………お隣りの空き地、店長が借りてるの?」

「そういうことになりますね」

「じゃあ、ちょっと使わせてもらうの」

「使う? ……何言ってるの?」


 俺の説明を聞いていたのかいないのか。

 穂咲は、なにやら楽しそうに鼻歌を歌いながら。


 店内からテーブルを一つ持ちだして。

 戻って来たかと思ったら。

 椅子を二つゴリゴリ引きずっこらこらこら。


「引きずらない。一つ持ちますから」

「そんなことはいいから、持って来るの」

「よかないです。…………で? なにを持って来いって?」

「いつものリュック」


 いつもの。

 ……ああ、あれか。


 もう。

 いつもじゃなくなるリュックのことですね。



 ナベやかんフライパン。

 ミニ炊飯ジャーにまな板包丁。

 フライ返しにガスボンベ。


 おおよそ何でも作れる、歩くお台所。

 もう、背負うこともないだろうと。

 君の家の台所に転がしたままだったあのリュック。


 お店で料理でも作って。

 空き地で食べようという事でしょうか。


 俺は穂咲の家の勝手口からお邪魔して。

 もう体になじみ切った重みを肩と背中に感じながら空地へ戻ってみれば。


 眉根を寄せたカンナさんと。

 おろおろとする店長に出迎えられました。


 そしてカンナさんが俺の胸倉をつかみながら凄むには。


「店の備品をなんでもかんでも外に持ち出すんじゃねえ!」

「店の被害をなんでもかんでも俺に押し付けるんじゃありません」

「諸悪の根源に何言ったって聞きゃしねえだろ!」

「まあ。そうなのですけど」


 ほら、俺に押し付けてないで君も叱られなさいよ。

 そう思いながら空き地を見渡したのですが。


 あれ? いないよ、根源。


「ふう! とりあえずこんなもんでいいの!」

「おや、買い物に行っていたのですね。…………やはりみんなでピクニックのつもりでしたか」


 穂咲がぶら下げたスーパーの袋から。

 割りばしやら紙皿やら紙コップやら。


 そんなものが覗いているのですが。


「ちょいと違うの」


 穂咲は否定します。



 でも、違うと申しましても。


 春霞に包まれた空の下。

 草ぼうぼうの空き地に。


 テーブル一個。

 椅子二つ。

 割り箸に紙皿。 


 そして、地面に無理やり突き立てた段ボール。


 どこからどう見てもピクニッ…………?


「なにこの段ボール?」

「それが無いと始まんないの」


 はあ、始まらない。

 何が書かれているのやら。

 正面に回って確認してみると。


 太いペンで書かれたその文字は。



 『目玉焼き 百円』



 …………は?



「いやいやいやいや。こんなの、君を知らない人が見たら……」

「ぶっ! なんだこりゃ!?」

「え? 売ってるの? なんなの?」

「バーガー屋のトッピングにどうぞってことか?」


 案の定、空き地の前を通る皆さん。

 なんだこりゃと指をさしながら。

 ワンコ・バーガーへ入っていくのです。


「ねえ、これ。幼稚園児の遊びにしか思われません」

「ううん? あたし、ギリ高校生」

「その、ギリ高校生だから恥ずかしいと言っているのです!」

「……おい、秋山」

「だから当事者に言って! 秘書を締めあげないで!」


 カンナさんに首を絞められながら。

 どうやってこいつを諦めさせようか考えていたら。


 耳馴染みのある。

 ご近所のおばちゃんの声が聞こえてきました。


「あら! 穂咲ちゃんこんにちは!」

「こんにちはなの」

「この間はお買い物手伝ってくれてありがとね! ゆうやの面倒も見てくれて助かったわ!」

「そんなのいつでも頼って欲しいの。それより、目玉焼き食べて欲しいの」

「え? なあに? お店屋さんごっこ?」

「百円なの」


 あははと笑いながら。

 それじゃあこの間のお駄賃代わりにと百円を手渡すおばちゃん。


 テーブルへ通されるなり。

 あっという間に焼きあがった目玉焼きをサーブされて。


 私は醤油派なのよと楽しそうに笑いながら。

 白身を一口、プラのスプーンで口に含んだその瞬間。


「え? …………あらやだ美味しい! この玉子、なにか特別な物?」

「ううん? やおしんさんの、特売のやつ」

「どうしてこんなに美味しく焼けるの!?」


 おばちゃん。

 目を丸くさせたままフリーズ。


 ……うん、そうね。

 学校でも大絶賛でしたから。

 穂咲の目玉焼き。


 そして美味しい美味しいと。

 まるで宣伝広告のように大騒ぎしながら召し上がるその声に。


 先ほど、指をさして笑いながらワンコ・バーガーへ入って行った大学生風の三人組が。

 テイクアウトの包みを提げたまま。

 ぴたりと足を止めたのです。


 そんな彼らが話すには。

 あのおばさんがサクラかどうか賭けようぜとのこと。


 そのうち、じゃんけんで負けた一人が百円を支払って。

 立ったまま、穂咲の目玉焼きを口にすると……。


「うおおおっ!? なんだこれ、うめえええ!」

「うはは! バカだなてめえ、どっちにかけたのか忘れたのか?」

「ウソでもまずいって言やいいのに」

「いやいやいや! お前らも食ってみろよこれ!」

「はあ? じゃあ、それひとくち寄こせよ」

「ぜってえやらねえ! これは俺のだ!」


 そして怪訝顔の二人も。

 だまされたつもりでと百円ずつ穂咲へ渡し。


 代わりに受け取った目玉焼きを口にして。

 ほんとにうめえと大騒ぎ。


「しまった! 携帯で撮り忘れた!」

「確かに。夢中で食っちまった……」

「店員さん! これ、もう一つ……、いや二つくれ!」

「まいどなの」



 ――駅周りだけ賑やかな。

 のどかな田舎の隅の方。


 ショッピングセンターを経て。

 商店街の一番端っこ。


 カルトな人気のハンバーガー屋の。

 お隣りにあるただの空き地に。


 気付けば黒山の人だかり。



「これ、ひょっとして成り立ちます?」

「目玉焼き一品だとすぐあきられると思うが……、他の料理も出しておいて、すべての料理にあの目玉焼きをつければかなりいけるんじゃねえか?」

「雨の日はお休みですけど」

「そこも良いじゃねえか。ついてないと食えねえ。わざわざ食いに来たくなるスパイスだ」

「でも、地べたって訳には」

「地面にコンクリ打ってタイル敷いて、イスとテーブル増やして。話題になったらぼろ儲けだし、話題にならなくてもご近所の寄合所くらいにはなるだろ」


 おやおや。

 慎重派のカンナさんにしては大絶賛じゃありませんか。


「…………じゃあ、まずは採算とれるか検討してみますか。とりあえずお店の名前は、青空キッチンとでもしておきましょう」

「お、そのネーミングいいな! よし! 早速看板作るぞ!」

「即決!? いや、開業するかどうかもお店の名前も、もっとちゃんと練らなくていいの!?」


 いえ、計算については。

 カンナさんなら間違いなしなのでしょうけど。


 それにしたって、ハンバーガー屋を放っておいて。

 のこぎりでその辺の板を切り始めちゃいましたけど。


 ……それじゃあ穂咲の段ボールと。

 ほとんど変わりませんって落ち着いて。


「ちょっとちょっと! でも、お店にするには料理人がいるんじゃないですか?」

「いるじゃねえかよ。そこに」

「何の資格も持ってない奴にやらせちゃダメでしょ!?」


 調理士免許を持っている人は店長さんだけですし。

 ……ああ、そうか。


「この青空キッチンが、あくまでもワンコバーガーの一部とみなせばオーケーって事?」

「さすがに別店舗という扱いになるだろうねえ」


 そして店長さんが。

 随分のんきに話に混ざって来たのですが。


「じゃあダメじゃないですか。調理士を雇わないといけないのでは?」

「秋山君。料理を提供するに当たって、調理士の免許はいらないんだよ?」

「…………は?」


 え?

 どういうこと?


 俺は、ひっきりなしに目玉焼きを作り続けて。

 玉子三パックを売り尽くして閉店の札をこさえていた穂咲の顔を見つめると。


 こいつはコクリと一つ頷いて。


「食べ物を売るのに食品衛生責任者は必要だけど、調理士はいらないの」

「ん?」

「講習会に行けば一日で取れるの、そんなことも知らないの?」


 いや、いやいや、いやいやいや。

 初耳なのですが。


 でも、それだといろいろ。

 前提が崩れませんか?


「ねえ、穂咲」

「なあに?」

「君は、目玉焼きやさんになりたいんだよね?」

「何を今更なの」

「だから調理士免許が欲しいから、二年間どこかのお店で調理の経験を積む必要がある」

「思ったより狭き門なの。心が折れそうなの」

「その免許、いらなくない?」

「……………………………………………………え?」


 え? じゃなく。


「食品衛生責任者の資格を取って……」

「講習に行けばすぐ手に入るの」

「ここで目玉焼きやさんとして働いて……」

「たくさん研鑽を摘むの」

「そして二年後に?」

「晴れて、調理師の資格を手にすることができ……、って。そんなもんなくても、もうベテラン目玉焼き職人なの」

「いらないじゃん!!!」

「ほんとだ」


 ちょっとちょっとちょっと!

 ねえ! ほんとにさあ!


 俺は、朝からずーっと抱えていた。

 プリンター用紙二百枚分の分厚い資料をばさりと落とし。


 空いた両手で頭を抱えます。


「意外な盲点だったの」

「…………いえ。君が目だと思ってるそれはただの節穴です」

「じゃあ、ひょっとして、夢の目玉焼きやさん開業なの?」

「講習に行ってからね」


 いつもながらの無表情。

 まるで感慨も無さげに。

 君は言いますが。


 必ず夢を叶えるから。

 叶うのは当たり前だから。


 それほどまで大騒ぎもせずにいられるのですか?



 多分、君のおばさんも。

 うちの母ちゃんも父ちゃんも。

 クラスの皆も、君の夢を知っているすべての人が。


 大声をあげて君の起こした奇跡に祝福を送っているだろうに。


 ……もちろん俺だって。

 諸手を上げて祝福を……。


「あ。寒くなると建つものって、目玉焼きやだったの」

「だから、立つものじゃなくて伸びるものですって」

「……立久君のせいで間違えたの」

「どなたの事でしょう」


 ……祝福。

 やっぱ、却下の方向で。




 構想数秒。

 建築十五分。


 この世にたった一つのお店。

 本日開店。


 『青空キッチン・目玉焼きや』


 俺は、長年連れ添ったリュックをひとなでして。

 良かったねと、心の中でつぶやきます。


 いつものリュックは。

 これからもずっと。

 いつもでいられそう。



 ……いや、まさか。

 これからも毎日俺に背負わせる気じゃあるまいな。



 安心な気持ちと。

 ちょっぴりの不安と。

 そして、通学前の重労働を胸に思い描きつつ。


 君のお店の開店記念に。

 クロッカスの花言葉を送りましょう。



 あなたのご来店を。

 心よりお待ちしています。


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