エーデルワイスのせい


 ~ 二月十九日(水) 樹氷 ~

 エーデルワイスの花言葉

         初恋の感動



 ここは、丘の上の小さな村。

 でも、まるで違う世界へ迷い込んだよう。


 辺りはすっかり雪で覆われて。

 丘の中腹の林には。

 綺麗な樹氷がもこもこと生えているのですが。


「こんなに積もったのは初めてなのよ? ここの所、不思議なことが沢山起こって楽しいわ」

「不便じゃないですか?」

「うふふ。不便を楽しむ気概が無ければ、こんなところに暮らさないわよ」


 楽しそうに、俺に笑いかける千草さんは。

 寒く無いのでしょうか。

 これでもかと着込んだ俺たちに反して。

 随分と薄着でいらっしゃる。


「……と、言うことは。この寒さも楽しんでいらっしゃる?」

「ええ、そういう事よ。凍てつくような空気を肌で感じるの」


 旅行の前日。

 異例な寒波に襲われたこの界隈。


 でも、そんなイレギュラーも楽しむことができるなんて。


 さすが。

 余裕のある大人の女性は違いますね。


 もっとも。


 千草さんが嬉しそうにされる理由は。

 こちらの方が大きそうですけれど。


「知らなかったさね! ちょいちょいこの子たちが来てたの、千草さんの所だったなんて!」

「まったくだ……。とんだサプライズですよ」

「ふふっ。久し振りね、秋山さん」

「なーんにも無い丘だったのに、家が沢山建ったじゃない!」

「藍川さんもお久しぶり。皆さんで作ってくれたお花畑が、心の優しい人ばかり呼び寄せて。今ではこんな幸せな場所になったのですよ」


 おおよそ二十年ぶりに会う旧知の間柄。

 どうやら、千草さんの昔話に出て来た四人組と言うのは。

 父ちゃんたちと、おじさんたちの事だった模様。


 やれやれ。

 灯台下暗しと言いますか。

 世間は狭いと申しましょうか。


 あるいは、これは。

 おじさんのイタズラなのでしょうか。


 まあ、仮にイタズラだとしても。

 それはとても幸せないたずらで。


 おじさんが集めたお友達。

 今回は、総勢十二人。


 俺と父ちゃんと母ちゃん。

 穂咲とおばさん。

 晴花さんと渡さん。

 さらに六本木兄妹と雛罌粟姉妹。

 そこに新堂さんを加えて。


 さすがに車一台という訳にはいかず。

 新堂さんのお車と、会長の車に分乗してお邪魔したのですが。


 そのことが。

 こんな楽しい悲劇を生みました。


「し、新堂さんがいてくださって助かったわ……、チェーンとか……」

「その分差っ引いても、十分恐怖体験だったがな!」

「……なんです六本木隼人。私の運転に文句でも?」

「文句しかねえ! 今、両足で雪の上に立ってることが奇跡としか思えねえ!」

「ねえ六本木君。その代わりに俺の両足を雪から浮かせるのはいかがなものでしょう?」


 俺の首を後ろから締め上げて浮かせているのですけど。

 この身長差が恨めしい。


「てんめえ道久ぁ! 会長の運転は最高とか言いやがって!」

「最高でしょうに。へたなジェットコースターより断然スリリング」

「じゃあ帰りはてめえが会長の車に乗れよな!」

「やなこった」

「秋山道久! それはどういう意味です!?」


 剣呑。

 一触即発。


 そんな俺たちの様子も、みんなの笑い声と共に吹き飛ばしてしまう懐の広さ。

 やっぱりこの丘は。

 不思議な場所なのでぐええ。


「ギブギブ。気温以外の何かが俺の体を冷たくさせ始めました」

「しょうがねえ。今夜はお前の恥ずかしい話を肴に宴会だからな」

「ひどい」


 渡さんに叱られて。

 渋々俺を解放した六本木君も。


 改めて、この素敵な箱庭感を持つ景色に目を細めて。

 満足げにため息をつくのでした。


「……それにしてもいい所ね」

「ああ。壮大なのに、手の平に収まる感じが実にいい」

「ふふっ。変な表現」

「そうか?」


 このお二人の美徳。

 賑やかな所でも。

 静かな所でも。

 心から楽しむことができる。


 俺と穂咲は、賑やかな所がちょっぴり苦手ですからね。

 見習うことにしましょう。


「……じゃあ、渡さん。みんなで賑やかに、散策にでも行きますか?」

「あらいいわね」

「道久の案内じゃ大したこと無さそうだがな」

「いえ。六本木君にはスリリングな体験をお約束しますよ」

「この雪景色でスリリングって単語は洒落にならねえんだよ」


 俺たちが出かけようとすると。

 千草さんが声をかけてきたのですけれど。


「あら、温まらないで平気なの?」

「はい。子供ですから」


 そう。

 子供なりの気遣いと申しましょうか。


 おばさんと千草さん。

 父ちゃん母ちゃん。

 積もるお話もあるでしょうし。


 お邪魔になるといけません。


 どっちについて行こうかと。

 決めかねている晴花さんと葉月ちゃんにも声をかけて。


 俺は、新雪の丘を散策すべく。

 雪をかき分けて歩き出し……。



 たのですが。



「…………おお。どこまでも滑って落ちていくのです」

「落とし物ひとつが滅茶苦茶楽しいことになるのな」


 雪に覆われた丘。

 六本木君の言う通り。

 ちょっとしたことが凄く楽しい。


 だというのに。

 渡さんはこの調子。


「ちょっと落ち着いてないで! 拾いに行くわよ!」


 大慌てで。

 斜面を滑るように下りて行くのですが。


 しょうがないですね。

 俺は六本木君と二人、溜息をつきながら。


 遥か彼方へ滑って落ちた穂咲落とし物を拾いに下りたのです。


 ……腰まで潜るほどの新雪はサラサラで。

 面白いほどの勢いで斜面を下ることが出来たのですが。


「いやあ、落ちたなあ!」

「隼人! はしゃいでないで手伝って!」


 ようやくなだらかになったあたりで。

 お尻だけ沈んで身動きが取れなくなっていた穂咲を引っ張り上げると。


 半べそでもかいていたのかと思いきや。

 意外にも楽しかったとか呟いたこいつは。


 樹氷を見上げながら。

 ミトンをポンと一つ叩きます。


「答え、これ? 上に伸びてる感じなの」

「確かにそうですが。でも、真っすぐかと言われると……」


 ぐにゃぐにゃとしていて。

 真っすぐとは言いづらい。


「ちょっと違うと思いません?」

「……道久君が言うなら、きっとこれもハズレなの」


 穂咲と並んで。

 まるで怪獣のような形をした樹氷を見上げていると。


 くすくすと。

 渡さんの笑い声が聞こえるのです。


 何か面白いことでもあったのかしら。

 俺と穂咲が振り返ると。


 世にも珍しい。

 そこには、ちょっと照れくさそうにした六本木君の姿がありまして。


「……なんですそれ。気持ち悪い」

「う、うるせえな……」

「ふふっ。隼人、初恋のこと思い出してたのよね?」

「香澄! 言うんじゃねえよ!」


 おやおや。

 これは面白い話題が飛び出してきました。


 会長と晴花さんは断念したようですが。

 瑞希ちゃんと葉月ちゃんは、斜面を滑って合流したので。


 ここはぜひとも話してもらいたいところですが……。


「なになになの? そのお話、もっと詳しく聞かせるの!」


 俄然食いついた穂咲のフードを掴んで。

 ちょっと止めてみます。


 だって、六本木君の初恋なんて。

 渡さんが。

 やきもち焼いたら大変ですし。


「道久君、放すの! あと、六本木君は話すの!」

「どっちがどっちなのです?」

「うるせえなあ、言わねえっての」

「じゃあ、香澄ちゃんに聞くからいいの」

「てめえ……」

「中学の時、木の枝から落ちて来た雪をかぶった女の子を助けてあげたのよね?」


 渡さんに顔を覗かれても。

 知らぬ存ぜぬの六本木君。


「いいのいいの! そいつはいいシチュエーションなの! そんでそんで?」

「助けた隼人は一目ぼれしたらしいんだけどね? 女の子の方はそれどころじゃなくて。だって、息がまるでできなかったし」

「じゃあ、命の恩人なの!」

「その時はこんなふうに思わなかったかな……。なんか、恥ずかしくて」


 ああ、なるほど。


 お相手は。

 渡さんだったのですか。


 それならやきもちの心配はないですね。



 盛り上がるお二人の勢いに飲まれて。

 困り顔を浮かべたままの六本木君でしたが。


 急に脱出路を見つけたようで。

 大声をあげたのです。


「藍川! なぞなぞの答え、知りたいか?」

「え? 六本木君、答え知ってるの?」

「ああ、今すぐ見せてやるが、そのためには道久の協力が必要だ」

「は?」

「いいか? こいつは頭の回転が悪いが……」

「余計なお世話です」

「他の誰にも負けない力を持っている」

「そうですね。これのことですか?」


 俺は、唯一の自慢。

 びしっと直立不動の体勢を見せると。


 狙い通りとばかりに。

 六本木君が、思い切り木を蹴ったのですが。


 ……当然。

 枝から大量の雪が落ちてきて。


 俺を支柱に人間樹氷。


 いえ。

 見えないからどうなってるのかわかりませんけど。


 あと、これ。

 渡さんの言う通り。


 息が出来ん。


「どうだ! まっすぐ立ってるだろ?」

「ほんとなの!これが正解なの!」


 立ってるじゃなくて。

 問題文は、『伸びる』もの。

 これはハズレです。


 まあ、それよりも、君たちは。

 一生懸命雪を掻いてくれている渡さんたちを手伝いなさい。


 じゃないと。

 渡さんが、俺に初恋しちゃいますよ?



 ~🌹~🌹~🌹~



「あったけえええ!」

「あったけえええの!」

「もっと雪を払って来なさいよ!」

「ストーブの前がびっしょびしょなのです」


 良い加湿器ねと。

 笑って下さる千草さんですが。


 すいません。

 その席からは見えないでしょうけど。


 これ。

 床板が傷むレベル。


 見つかったら叱られる。

 俺は、床の惨状を隠すように立ちふさがったのですが。


 そんな俺たちの方を見て。

 眉根を寄せるおばさんの視線。


 しーです。

 しー。


「……ちゃんと乾かしときなさいよ?」

「う。……頑張ります」

「それと、あんたたち。二十九日で予約しといたから準備しときなさい」

「え? なんの話です?」

「なんのって。式に決まってるじゃない」


 おお。

 こんなところでその話題を出してきますか。


 それも、しーです。

 しー。



 実は今回の旅行。

 六本木君と渡さんだけには内緒で。

 全員からのサプライズ企画。

 結婚式体験をプレゼントする予定でして。


 俺も穂咲も。

 渡さんをどれだけ綺麗にしてやろうかと。

 さんざんプランを練ってきているのですが……、あれ?

 

「おばさん、二十九日ってなんです?」


 明日ですって。

 言えないけど。


「なに言ってるのよ道久君。明日は六本木君たちでしょ?」

「ちょおっ!? そんなこと言ったら……!」


 ばれちゃいますって!

 なんて初歩的なミスを!


 でも、俺がちらりと様子を伺った六本木君と渡さんは。

 穂咲のスノーブーツから出てきた手打ちうどんの生地を見て大笑いしていたのでひとまずセーフ。


 それよりも……。


「ちょっとおばさん。それはどういう意味でしょう」


 明日はこの二人。

 と、いうことは?


「二十九日には、あんたたちの式を挙げるから!」


 ……このいたずらっ子は。

 心底楽しそうな顔で俺にサムアップするのでした。



 よし。

 うるう年には気づかないふりをして。


 その日は卒業式のために。

 学校へ行くことにしましょう。

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