コチョウランのせい


 ~ 二月十七日(月) マフラー ~

コチョウランの花言葉 幸福が飛んでくる



 昨日の晩。

 六本木君から届いたメールに再び目を通す。



『明日、十時。ハンバーガー屋』



 場所については悩むはずもなく。

 この表現ならワンコ・バーガーのこと。


 伏せた主語述語についても同様で。

 来いという意味だと思うのですが。



 問題は。

 呼び出した理由。



 ……東京の私立大学を受験した六本木君と渡さん。

 合否の発表も、そろそろあろうかという時期に。

 このシンプルな命令口調。


 まさかとは思いますが。

 もしかして……。

 

「だから、こないだ見た滝をリスペクトしてね? マフラーを凍らせてみたんだけど、ちめたくて首に巻けないの」

「わかったから。トイレのドアを閉めてとっとと出てけ」


 真剣な考え事を。

 得意のキテレツで邪魔するこいつ。

 

 寝ているところへ襲撃するのに飽きたりて。

 人類最後のプライベートスペースにまで押しかけて。

 扉を開いたまま廊下に立つこいつはあいか……。


「早く閉めなさいって!」

「寒くなるとまっすぐ伸びるものって、マフラー?」

「違います!」

「でもね? 上下逆にすれば上に伸びてるふうに見えるの」

「ええいやかましい! トイレのドアを閉めろと言っているのです!」

「はいはい、うるさい道久君なの。じゃあ閉めたの。そんで、あんな感じの氷の像を作りたいんだけどどうやったらいいと思う?」

「…………本体の位置」


 君が入ってきてどうします。


 ああ。

 頭痛い。


 偶然と言いましょうか。

 六本木君のメールに首をひねったまま、パジャマも脱がずに便座に腰かけていたおかげで。

 大事には至りませんでしたけど。


「ねえ、どうしたらいいと思う?」

「でしたら、まず最初に……」

「まず最初に?」

「ドアを開けなさい」

「開けろっつったり閉めろっつったり」


 確かに、結果的には矛盾した命令なのですけど。

 それで膨れられても。


 仕方がないので、トイレから出ると。

 穂咲はのこのこと後をついてきて。


「ねえ、何を凍らせたらいいの?」


 しつこく聞いて。

 寝起きの俺をイライラとさせるのです。


「少なくとも、トイレを凍り付かせるのはやめてください」

「……はっ!? トイレの水が凍ってたら、氷の上に溜まって溢れちゃうの!」

「そう。北海道に行った時、トイレにトンカチが置いてあったでしょ。あれで割ってから用を足すのです」

「………………確かにあったの!」

「ウソです」


 俺は、腹いせに対する反撃で。

 背中をぽかぽかと叩かれながら顔を洗ったのですが。


 ……これ。

 結構あったまりますね。


 よし。


 また似たようなことをされたら。

 利用することにしましょう。



 ……夏は逆効果ですけどね。



 ~🌹~🌹~🌹~



 これは……、どっちなんだ?


 約束の時刻。

 穂咲を伴って店に入るなり。


 一番手前の席で。

 姿勢を正して眉根を寄せる二人の纏うピリピリとした空気。


 もし、二人とも試験がうまくいっていた場合。

 慰めの言葉をかけても。

 笑い話で済みますが。


 もし、どちらかが受験に失敗していた場合。

 慰めるのはアリですが。


 お祝いなんかした日には。

 目も当てられません。


 つまり。


 慰めるなら、ちょびっと当たりかちょびっと笑い者。

 祝った場合は大当たりかハルマゲドン。


 ここは無難に。

 慰めの言葉から入ろう。


 俺が慎重な分析を経て。

 口を開いたその瞬間。


「おめでとうなの」

「うおい勝負師!!!」


 穂咲がへらへら笑いながら。

 渡さんへ声をかけたのですが。

 どうしてそうオールオアナッシングな言葉をチョイスしますか。


 でも、おろおろとしながら見守る俺をあざ笑うかのように。

 渡さんは穂咲へ勢いよく抱き着くと。


 店内に響き渡るほどの声をあげたのです。


「ありがとね! 穂咲!」

「いやー! これで俺たちも大手を振って遊べる!」

「…………は? え? ほ?」

「『ほ』って何よ秋山。隼人からメール貰ったから来たんでしょ?」

「バカだな香澄は。俺がこいつに、まともに伝えるはずねえだろ?」


 六本木君が、ひっぱたきたくなるほどの笑顔で笑うのを。

 渡さんは肩をすくめて見ていますけど。


「ああ、つまりお二人とも合格したのですか。おめでとう渡さん。くたばれ六本木君」

「ありがとうね、秋山」

「ふざけんな道久」

「それは俺のセリフです。まずはつまらんいたずらをした件について詫びなさい」

「じゃあ、この動画はどうなってもいいんだな?」


 動画?

 なにそれ。


 六本木君が振り返るその先では。

 平日だというのに朝からお店の制服に身を包んだ瑞希ちゃんが。


 ビデオカメラのレンズをこっちに向けてきゃああああ!


「い、今のを撮影していたのですか!?」

「はい! センパイの中の葛藤が画面狭しと溢れる最高傑作が撮れました!」

「よし、分かった。瑞希ちゃん、欲しいものを一つ言いなさい。何でも買ってあげるから、その代わりに……」

「この動画、他の何物にも代えられないあたしの一番の宝物になりました!」

「…………ああ、そう」


 瑞希ちゃんなら拡散したりしないだろうし。

 諦めよう。


 俺は肩を落としながら。

 六本木君の隣に座って。


 その靴をこれでもかと踏んづけたのでした。



 ――お祝いと呼ぶにはなんですが。

 五人分のドリンクを買ってテーブルへ戻って。

 改めて乾杯。


 ……ねえ。

 買ったので。


 そのカメラを止めてよ瑞希ちゃん。


「そんじゃあ香澄ちゃん、四月っから東京の大学生なの」

「まだ実感わかないけどね。でも、ボケっとしてる暇ないから慌てなきゃ」

「アパート探したりとか?」

「うん。狭くてもいいから、プランターか鉢植えが置けるといいんだけど……」


 実はこう見えて。

 お花屋の常連客だったりする渡さん。


 その、たった一つの要望が。

 穂咲を随分と嬉しくさせたようで。

 

「そんじゃ、お祝いにこいつをあげるの。大奮発」


 何の違和感もなく、頭の上に乗せて歩いていた。

 巨大な鉢植えを渡さんへ手渡したのですけど。


「……コチョウランを?」

「開店祝いかよ」


 ありがとうねと苦笑いで受け取ってくれたものの。

 今貰ってどうする気ですか。


 ……そんな渡さんが、アパート見学から引っ越しまでのスケジュールを六本木君と確認していると。


 いつまでもカメラを持ったままでいた。

 瑞希ちゃんの方から。


 鼻をすする声が聞こえてきたのです。


 そう言えば。

 以前もお兄さんとのお別れが寂しいと。

 随分悲しんでいましたよね。


「あ……、瑞希ちゃん。気持ちは痛いほど分かるのですが、ここはひとつ笑顔で」

「そうですよね! もうずっと会えないって訳じゃないんだし! ……ぐすっ」


 俺がフォローを入れても。

 なんだか悪化した感じ。


 今度は六本木君に足を踏まれてしまいましたけど。

 だったら君がなんとかなさい。


 テーブルの下で。

 音も無く続く足踏み合戦。


 でも、そんな戦いも。

 優しい才女が停戦へと導いてくれました。


「えっと……、瑞希ちゃん? いつでも遊びにきていいんだからね?」

「…………え? ほんと? 行ってもいいの?」

「もちろんよ! たくさん東京で遊びましょ?」

「ほんとにほんと? でも、お邪魔じゃない?」

「なに言ってるのよ。私も隼人も大歓迎に決まってるじゃない」

「ほんとにほんとにほんとにほんと?」


 いつまでも疑う妹に。

 お兄ちゃんからのデコピンが飛ぶと。


 ようやく信用した瑞希ちゃんは。

 今度は、お客さんに迷惑な程の大騒ぎ。


「なあんだ! やったーーー! そんじゃそんじゃ、おにいたちの新居にあたしのお布団買っておいてよ!」

「はあ!? お前、なに言ってんだ!」

「え? ケチケチしないでよ、布団くらい」

「そっちじゃねえ! 俺の新居ってなんだよ。別のとこ済むに決まってんだろ」

「はあ!? おにいこそ何言ってんのよ!」

「いやいや、バカも休み休み言え。いつも言ってるだろ? 朝起きた時、耳から抜けた分の脳をまずしまえって」

「置いて来てないわよバカおにい!」


 そして始まった兄妹げんかに。

 とうとう堪忍袋の緒が切れたカンナさんが。

 厨房からがなります。


「うるせえぞお前ら! よく周りを見ろ! お客さんが…………」

「楽しんでますね」

「ワクワクしてるの」

「くっ……。どいつもこいつも……」


 ええ、この店。

 店員もお客も変わっているので。

 この程度では問題ないでしょうよ。


 それより気になるのは。

 日常茶飯事のような俺たちの大騒ぎに。

 怒鳴り散らしたカンナさん。


 未だにお隣りの空き地の賃料を。

 どうしたらいいのか算段が付いていないのでしょう。


 そんなお店のピンチに気付いているのかいないのか。

 この人たちは、卒業旅行のお話で盛り上がります。


「いいなあ……。あたしも行きたいなあ……」

「お前は来年だろうが。葉月ちゃんとどこに行くか計画してろよ」

「それよりどこにする?」

「何泊もできねえだろ、日程的に」

「じゃあ、いいとこあるの」


 穂咲は、俺の顔を見ながら言うのですが。

 いい所?

 はて。



 ……ああ。

 丁度、伺う予定がありましたね。



 おばさんの悪だくみ顔を思い出すと。

 気は進みませんが。


「雪が降ったって言ってたの。すっごい寒いけど、景色が堪んないことになってるんだって」

「どこよ」

「どこだよ」

「ふっふっふ。それは着いてからのお楽しみなの」


 そんなに過剰な演出をすると。

 がっかりされてしまいますよ?


 でも、この二人は。

 そんな穂咲の煽り文句に踊らされて。


「それは楽しみね! いいじゃない、ミステリーツアー!」

「おお、寒いところか、いいな。……どれぐらい寒いんだよ、藍川」

「鼻水が、出た端から凍るの」

「こら。ウソをついちゃダメなのです」


 おれは呆れながら否定したのですが。

 大学合格が決まって。

 いつも通りに戻った六本木君は。

 穂咲との面白トークを加速させるのです。


「そうか、鼻水が……。でもそれくらいじゃ大したことねえな」

「そうなの?」

「もっと寒いとこに行くと、普通の服じゃ生活できねえんだ」

「ごくり。……どんな服を着てるの?」

「湯たんぽん中に入って生活してるんだ」

「………………亀なの」

「そう。亀の村だ」


 なんでこの二人が会話すると。

 こんなことになるのやら。


 渡さんも笑い顔を手の甲で隠して。

 肩を揺すっているのですが。


「でも、足んとこから洩れそうなの」

「パッキンで止めてんだ。でも、パッキンが緩んだら……」

「びしょびしょなの!」

「でも、それもすぐに凍っちまって……」

「バキバキなの!」

「そうなったら大変だ。急いで巨大な土なべにお湯を沸かして突っ込まねえと」

「すっぽん鍋!」


 ああもう。

 なにがなんだか。


 そもそも湯たんぽから飛び出した部分はどうなってるの?


「お、恐ろしいところなの……。きっと、全部の滝が氷瀑になりっ放しなの」

「そこまで寒かったらそもそも川自体ないでしょうに」

「やだ、穂咲。随分難しい言葉知ってるじゃない」

「こないだ、道久君が連れてってくれたの」


 こら、言いなさんな。

 この人たちが、ほほうって顔になるから。


「……そうか。それでちょっと安心した」

「安心? どういうこと?」

「もしも卒業旅行先が亀の村くらい寒くなっても大丈夫だな」

「なにが大丈夫?」

「滝が凍るって事さえ事前に知っていれば慌てないってこった」

「だから、なに?」

「…………トイレに行って、出すだろ?」

「うん」

「出したはしから、凍るんだよ」

「氷瀑なのっ!!! 早く折らないとつっかえるの!」

「だから、北海道のトイレにはトンカチが常設されてる」

「割りながら出すの!」

「前に旅行に行った時、あったろ?」

「……はっ! あったの!」

「無いです」


 とうとう耐え切れずに笑い出した渡さんと瑞希ちゃん。


 二人の笑い声を聞いて。

 騙されていたと気付いた穂咲が。


 俺をポカポカ殴るのですが。


「なぜ俺」

「うるさいの!」

「それ、ほんと温かくなるので。使うと良いと思いますよ?」

「何に?」

「用を足す時」



 ……上着がいらなくなるほど叩かれました。


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