カモミールのせい
~ 二月十四日(金) 滝 ~
カモミールの花言葉
苦難に耐える
「かみつれつ」
「ん? …………ああ、そうですね」
昨晩は、おじいちゃんの計らいで。
家族水入らず、目玉が飛び出すほどの高級ホテルにお泊りしたのですが。
……ええ、お察しの通り。
家族とはすなわち。
おじいちゃんとおばあちゃんとおばさんとこいつ。
俺は、新堂さんと共にビジネスホテルなる質素なお宿で素泊まりでした。
……まあ。
赤の他人たる俺が。
宿代まで出してもらったのに。
とやかく言える筋合いは無いのです。
無いのですけど……。
「…………げぷぅ」
「なんか腹が立ちますね。いつまでげっぷしてますか」
「でも……、げぷぅ」
「ビュッフェでどんだけ食べたのです?」
「ケーキのクリームがね? 夢のようなくちどけだったの。ふわさらとろ~りなめらか~ん」
「まさか、ケーキしか食べてないなんてことないですよね」
「まさか、そんなもったいないことしないの。ケーキのクリームしか食べてないの」
「まさか」
冗談なのか本当か。
朝は立ち食いソバ、昨日は夕食抜き。
そんな俺と随分水をあけたこいつは
軽い色に染めたゆるふわロング髪をおさげにして。
頭の上に、その辺でむしったカモミールをわんさかと植えているこの人が。
携帯で、お花図鑑を読みながら。
急な階段を下っているのですけど。
「……かみつれつ」
「ええ。そうですけど」
「なんでこれでカモミールって読むの?」
「
「……ウソなの。だって、カモミールのページなの」
「ウソじゃありません」
「じゃあ、最後の『つ』は? まさか、『つ』は気取って『かみつれっ!』みたいなことになってて発音しないとか?」
「後で説明しますから、ながら歩きはやめるのです」
いくら雪は積もっていないと言っても。
氷点下。
つるつる氷が所々薄く張った階段。
下手をすると。
「ほえあっ!?」
「言わんこっちゃない!」
足を滑らせた穂咲のコートのフードを掴んで。
慌てて落下を阻止したのですが。
首が、襟の所でつっかえて。
きゅってなっちゃってます。
「く、くびぃ」
「何かに掴まって! …………違う! 自分のコートに掴まってどうする!」
それじゃ、首は楽になるかもだけど。
自立してくれなきゃ。
ずっとこのまんまですって。
「ふう……。ふう……。危うくリュージュスタイルで滑り落ちるのを免れたの。あるいは窒息死を」
「その分俺の寿命が縮みましたよ」
「死因の欄には、道久君の似顔絵描くの。クレヨンで」
「ええ、ちょっぴり盛って男前に描いて下さい。それよりまずは携帯禁止」
ようやっと、危険な行為と理解した穂咲が。
携帯を俺に手渡して、一歩一歩、慎重に歩を進めます。
……こいつは。
いつだってそう。
痛い目を見ますよと。
いくら忠告しても聞かず。
そのくせ実際に被害に遭うと。
「…………おそっ」
「だって、慎重が一番なの」
必要以上に怖がって。
迷惑なほど先に進まず。
そして。
「とうとう停止ですか」
「だって、またすっ転びそうなの」
へっぴり腰で手すりにつかまって。
涙目で見上げられても。
やれやれ。
ほんとに面倒な人なのです。
――雪まつりのあった街で、いい儲け話を見つけたとのことで。
チェックアウトと共にお別れしたおじいちゃんとおばあちゃん。
その二人による、一晩中の飴と鞭は。
仕事が未だに決まっていない件について。
でも、その効果は。
意外にもマイナスに働いた模様。
ひとまずお花屋の手伝いをする。
そんな消極的なことを言い出した穂咲なのですが。
これって。
自宅警備員ルートへ一直線ですよね?
「ちゃんとお仕事探しなさいよ。お花の勉強とかしてないで」
「でも、お店の手伝いしながら二年間料理しないといけないから。お花の食べ方を調べなきゃいけないの」
「なんだって?」
なんか。
妙なことを言い出しましたけど。
考えて考えて。
何とかひねり出した珍解答。
お花屋で料理販売。
ダメに決まってます。
「お花屋に、ご飯食べるスペース作れないでしょうに」
「……お隣りのお二階」
「どうして俺の部屋がお花サラダバー?」
「だって……。なんか、面接行くの、もうやなの」
ああ、その感覚。
俺も散々味わいましたっけ。
こちらの場合、晴花さんを巻き込んだ手前、引くに引けなかったですけど。
君は、身ひとつだから逃げることができる。
「……頑張りなさいな」
「道久君の部屋の改装を?」
「ちゃんとしたお店への就職を。あと、階段を下りるのを」
「どっちもやなの」
俺とおばさんと穂咲は。
新堂さんの車で帰宅中。
その道すがら。
携帯で、あるものを見つけたので。
無理を言って雪山を登ってもらい。
俺と穂咲だけで、現場へ向かっているのですけど。
「……苦痛でしかないの」
「苦難に耐えたその先に、何かが待っているとしても?」
「何かって、なに?」
「今日の所は、素敵な景色」
人生と一緒。
笑うためには。
頑張る必要もあるわけで。
今までの、学生としての人生は。
いやだったら、頑張らずに素敵な何かを手に入れないという選択肢もあったのですが。
大人の選択肢は。
もうちょっとシビア。
『少し頑張る』から。
『いっぱい頑張る』まで。
「ほんじゃあ、もちっと頑張ってみるの」
俺の考えていたこと。
表情に出ていました?
あるいは、一緒に育ったから。
同じ考えにたどり着いたのでしょうか。
穂咲は、スノーブーツを慎重に踏み出すと。
その一歩目は、しっかりと。
しかし確実に。
氷をとらえてすってんころりん。
「…………期待を裏切りませんね、君は」
「く、くびぃ」
俺はため息を大きく吐いたあと。
穂咲を背中におぶるのでした。
「…………なあ」
「ん?」
「くび」
そのまま締め付けていると。
君は自分の似顔絵を描くことになります。
~🌹~🌹~🌹~
階段を下りた所から。
雪をかぶった案内表示に従って歩くこと数分。
手すりの付いた行き止まりには。
青く輝く自然の神秘。
「……写真で見るより遥かに絶景」
「これ……。すごいの」
口をぽかんと開けたまま。
穂咲が見上げるその世界には。
音も、空気も。
そして流れ落ちる滝の水すら。
すべてを凍り付かせた絶景が待っていたのです。
「氷瀑と言うそうです」
「神秘的なの」
非常に寒い地域でしか見ることのできない、凍り付いた滝。
地元の方がアップした写真につられて。
俺たち以外にも見物に来た方がたくさんいらっしゃる。
でも、そんな中で。
こんな会話をするのは俺たちだけでしょうけど。
「はっ!? これがなぞなぞの答えなの!」
「いやあ。真っすぐではありますけど、これを上に向かって伸びるとは言わないでしょう」
「……真下におっこってるの」
「ええ」
嬉しそうにしていた穂咲が。
ちょっぴり肩を落としたので。
俺はもう一つ準備しておいた。
お楽しみをポケットから取り出しました。
「…………シャボン玉なの?」
「はい。カイロと一緒に入れておいたのですが、洗剤が凍る前に……、ふううう」
ふわりと浮かんだシャボン玉。
そのうちいくつかは割れてしまいましたけど。
小さ目な球がうまいこと。
手すりの上に落ちました。
「……うそなの! 割れないの!」
「はい、凍っちゃうのです。webではマイナス十度くらいじゃないとできないと書いてあったのですが、なんとかなるもんです」
手すりの上に虹色を浮かべるシャボン玉。
穂咲は、氷瀑よりも目を丸くさせて見つめ。
その様を囲むように。
至る所からシャッター音。
皆さんにとっては。
氷瀑よりもシャボン玉よりも。
こいつの顔の方が映えるのですか?
「君のアホ面、全世界に配信されちゃいます」
「ねえ、これ……」
「はい?」
「…………パパみたいなの」
そんなことをつぶやいたまま。
じっとシャボン玉を見つめる君の顔。
嬉しさと寂しさが。
優しさと悲しさが。
シャボン玉に浮かんだ虹のように。
沢山の色が同時に浮かんでいますけど。
……でも。
俺は思っていたのです。
おじさんとは。
何かが違う。
何が違うのだろうか。
ぼーっと考える俺の前を横切って。
穂咲は手すりに乗ったシャボン玉へ手を伸ばそうとして。
……ずるっ
「どわあああっ! 川に落ちるわ! 何だって君はそうなの!?」
「……くびぃ」
「ほら、何かに掴まりなさいな。……だから、なぜ自分のコートを掴む」
手すりから落ちた半身を。
ずるりと引き戻すと。
慌てて手すりを掴んだ穂咲が。
そのままきょろきょろと。
手すりの上を探すのですが。
「……お探しの品なら、ミトンが食べちゃいました」
「やむなしなの。命には代えられないの。危うく道久君の似顔絵描かなきゃいけなくなってたとこなの」
「他人のせいにしなさんな。自分の似顔絵描きなさいよ」
違うのと。
あたしのせいじゃないのと。
言い訳しながらのっそり立ち上がる穂咲は。
ぽむと、ミトンの手を打って。
どうしようもないことを言うのでした。
「地球のせいなの」
そうですね。
じゃあ、地球の髪形と花は。
俺が描くとしますか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます