スイートピーのせい


 ~ 二月十三日(木) 氷の彫刻 ~

スイートピーの花言葉 私を覚えていて



 お花屋さんを早めに閉めて。

 おばさんも伴って向かった先は。


「おお。道久君のわりに、なかなかやるの」

「わりにとはなんです失礼な」

「これ、答え?」

「そう思って連れてきたのですが……、まっすぐ伸びるという感じではありませんよね」

「じゃ、ハズレなの。綺麗だからいいけど」


 山を越えて北へ。

 車で二時間半。


 俺たちは、氷の彫刻展に来ています。


 ライトアップされた氷像が立ち並び。

 その間を楽しそうに走り回るこいつはあいかドシン。


「いでええええええ! 投げないでえええええ!」

「穂咲ちゃんと並んで歩くとは、貴様何者じゃ!」

「道久君なの」

「道久君です」

「道久さんですね」

「そんなことは聞いとらん」


 雪の上ならば。

 投げ飛ばされても痛くなかろうと。

 穂咲のおじいちゃんたちもお誘いしてみたわけなのですが。


「歩くところは踏み固められて氷同然んんん……」

「ふん! これしきで泣き言とは情けない! ほれ、穂咲ちゃん。こんな馬の骨は放っておいて、あったかいココアでも飲みに行くぞい」

「彫刻は見たいから、歩きながら飲むの」

「がっはっは! よし来た任せるのじゃ! 新堂! そこいらでカフェを一軒買い取って、移動販売に経営を変えさせるのじゃ!」

「そんなことしないでも急いで買って来ればいいじゃなぐはああ!」


 だから投げ飛ばさないで!

 いつもの、土の地面と桁が違う!


 俺は氷に転んで腹ばいで滑るペンギンの偉大さを初めて知りました。


「世界中の子供たちから愛されるために、陰ではこんな苦痛に耐えていたのですね……」

「何をわけのわからぬことを。さあ、恥を斯様に続けては世間様に目の毒。早々にお立ちなさい」

「そうは言っても、背中がものすごく痛くて……」

「泣き言を重ねますか。立つよりも、正座がお望みと見受けますが?」


 冗談じゃない。

 急いで立たないと。


 俺は慌てて立ち上がろうとしたのですが。

 滑って転んで大分県。


「ぐおおおおお! 顔面から落ちると鼻が痛くて熱くて冷たいっ!」

「しょうの無い方ですね……」


 俺を投げ飛ばして。

 穂咲と共に暗闇へ溶けていくおじいちゃん。


 そんな後姿を地べたから見つめていたら。

 おばあちゃんが手を差し伸べてくれました。


 俺よりも小さくて。

 細い体をした穂咲のおばあちゃん。


 しかしその手に掴まると。

 俺は軽々と立たされてしまったのです。


「…………ここで一句。おばあちゃん。見かけによらず、細マッチョ?」

「合気道の応用です。失礼なことを口にしないように。…………芳香さんも、何があなたを斯様に笑わせますか?」


 おばさん。

 細マッチョがピンポイントだったご様子。


 慌てて口を押さえても手遅れですって。


 俺は、おじいちゃんに散々な目に遭わされたので。

 おばあちゃんの矛先はおばさんが引き受けるといい。


 こっそり、気づかれないように。

 少しずつ活性化しつつある休火山から距離を取っていると。


 おばあちゃんが、おばさんの手を見て。

 いつもの真剣なまなざしをさらに定規で整えながら。

 こんなことを言い出したのです。


「以前から気になっていたのですが。芳香さんは、指輪をなさらないのですね」

「え? ……ええ。お花仕事の邪魔になるので」


 これは、ずっとおばさんが言っていたことなので。

 何の違和感も感じなかった俺なのですが。


 この、スイレンの浮かぶ透明な水面は。

 小さな波紋も見逃さないのですね。


「…………何を隠していらっしゃるのでしょう。真の理由を墓まで持ち込む後ろめたさを持つと、今生の茶が濁るというもの。どうぞお話しなさい」

「い、言えません……」


 おばさんは。

 俯いて、おばあちゃんの目から逃げ出してしまったのですが。


 今まで、何百回も正座させられてきた俺にはわかります。

 その目から逃げるには。



 電車を使わないと無理。



「……あれから何年経ったと思っているのです。言いなさい」

「う……」

「言いなさい」


 仏の顔は、三回で打ち止め。

 おばさんにもその気配が感じられたのでしょう。


 ようやく観念すると、肩をすくめて。

 おばあちゃんに向き直るのでした。


 ……子供と、親と。

 はしゃぐ声は、いくら雪に飲まれて消えても絶え間なく生まれ。


 そんな幸せな世界で。

 一人、針のむしろに腰かけるような表情で。


 おばさんが、ようやく。

 冷たく閉ざされていた口を開きました。


「…………あの人の性格ですし、そうは思ったとしても絶対に口にすることはなかったのでしょうけど。もしもあの人が、藍川に戻りたいと考えたときに、小さな枷が指に巻かれていては不自由だろうと思いまして」

「あの子が家を捨てて芳香さんを取ったというのに。そんな寂しいお考えで指輪をなさらなかったのですか? あの子も幾ばくか胸を痛めたことでしょうに」

「ええ、そうですね。…………あ、でも。ちょっと違いますね。この考えは、寂しいものじゃなくて。嬉しい気持ちから生まれたものです」


 そしておばさんは。

 本来指輪があるべき指を軽く撫でながら。


 随分恥ずかしそうに。

 頬を赤らめて。


「だって、後はわがままに、自由にして欲しかったんです。もう十分だったから。…………私を選んでくれた。それだけで」


 そうつぶやくと。

 コートのファスナーを鼻まで上げて。

 顔を中に隠してしまったのです。



 これにはおばあちゃんと。

 顔を見合わせざるを得ない。


 俺は、すっかり幸せな気分で。

 でも、どうしてか流れる涙をぬぐいながら。


 おばさんに言ったのでした。


「そう言われてようやくわかった気がします。おじさんが気をつかって無理をするたんびに、おばさん怒ってたなーって」

「道久君!? なに言ってるのよお義母様の前で!」

「……芳香さん」

「は、はいいいい!」

「私も、我を口にせず曖昧なことを言うあの子を、よく短気にそそのかされて正座させたものです」

「…………はい?」


 真剣な表情を。

 くしゃっとゆがめたおばあちゃんは。


 さらにこめかみへ指をあてながら。

 ため息交じりに続けます。


「自分のやりたいことは何かと尋ねると、藍川が自分に命じることだと答える始末。そんなものを溜めに溜め込んだから家を捨てるなどと思い詰めることになったのです」

「確かに……。お家の仕事をしながら、趣味で花屋をやるでもよかったはずなのに」

「然りと首肯するより他に術もございません。そうそう、中学生の時分には……」

「なんのなんの。渋谷でデートした時は……」


 そしてお二人は。

 おじさんの気弱で我の無いところをあげ連ねて。

 悪口のラリーを始めてしまったのですが。


 お二人は、おじさんを心から愛している。

 そのことを知らない人にとっては。


 ……いや。

 そのことを知ってる俺にすら。


「もうやめてあげて! おじさんが可哀そう!」


 魂の叫びを聞いて。

 ようやく『我』という名の仮面をかぶりなおしたお二人さん。


 前々から感じていましたが。

 この人たち。


 根っこのところで。

 そっくりなのです。



 ……おじいちゃんと穂咲がいないから。

 こんな話ができたのでしょうけど。


 いつか、おじいちゃんも穂咲もいる場で。

 おじさんの昔話をしながら。

 思い出してはカリカリとして。

 そして、あははと大笑いして欲しいのです。


 きっとそこには。

 おじさんもいて。


 おばあちゃんに正座させられながら。

 おばさんに頭を下げながら。



 幸せそうにしていることでしょう。



「……よくわかりました。指輪はしないでよろしいでしょう」

「はい。今更指輪をするとあの人に叱られそうな気がしていたので。そう言っていただけると助かります」


 おばさんが、鼻まで隠れた顔を前に倒すと。

 今しがたまで笑っていたおばあちゃんが。

 ひとつため息をつきました。


「以前、あなたは藍川の墓に入りたいと言っておりましたが、家督は正次郎のもの。お墓には入れませんよ?」


 え? そういうものなのですか?

 俺は、先祖のお墓って。

 一族みんなが入っているものだと思っていたのですけど。


 初めて知った事実に驚いていた俺は。

 おばさんが、立てた襟の中に顔をうずめてしまったことにようやく気付いたのですが。


 慰めの声をかける前に。

 

 くすくすと。


 笑い声が聞こえてきたのです。


「……今度は私の方が読めました。お義母さま、正直にお話しくださいな」


 え? 正直に?


 どういう事かしら。

 俺にはまるで分からなかったのですが。


「…………良い人を、見つけなさい」


 以前聞いた覚えのあるおばあちゃんの言葉に。

 なるほど、得心したのです。


「そうはいきません。私は、お義母様とお墓の中でずーっと口げんかするのが夢なんですから」

「ですから、藍川の墓に入れません。結婚式も見せていない親不孝者が、何を偉そうにおっしゃいます」


 そう口走ったおばあちゃんの顔が。

 おばさんのニヤリと歪んだ目を見て。

 はっと硬くなりました。


 うん。

 俺も気づいた。

 今、言いましたよね。



 親不孝者って。



 これは俺にだってわかる。

 子供と扱われたことが。

 おばさんを、いったいどれほど幸せにしていることでしょう。


 嬉しそうに、スノーブーツをじたばたさせると。


「ようし! そう言われちゃしょうがない! じゃあ、私の代わりに孫の結婚式をお見せしましょう!」


 そんな大々的な宣言をして……。



 おばあちゃんと同時に。

 振り向きましたけど。



「…………ん? 俺はおばあちゃんの孫じゃありませんよ?」



 穂咲ならおじいちゃんと一緒に……、ああ。

 そういう事ですか。


「そうと決まれば! 千草さんの所に顔出しに行こう!」

「そうだ、なんでおばさんが千草さんのことを……、ではなく。連絡取ってどうする気?」


 その、何かを企んでいる顔。

 鼻まで隠れてても。

 丸わかりなのです。



 ……ええ。

 お隣に立っている。

 おばあちゃんと同じ顔してるのですよね?


「…………人類史上最凶タッグ、爆誕」


 そして、この場から逃げようにも。

 この時間では、電車など無いので。


 式は洋装か和装かなどと。

 勝手に盛り上がる二人の話を。


 まるで聞こえぬお地蔵様を決め込んで。

 雪のちらつく会場の隅に立ち尽くしました。



 一時間後、イベント終了時。

 氷像と間違えられて撤去されそうになりました。

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