ガーベラのせい


 ~ 二月十一日(火祝) 霜柱 ~

  ガーベラの花言葉 神秘



 寒い朝。

 寒いから。


「こんなことになるなんてね……」

「手伝うの」

「君、今日も面接でしょうに」

「そんなの、まだ何時間も先なの」


 藍川家と秋山家を隔てる安っぽい垣根が。

 浮いてしまっているのですが。


 これって。

 霜柱のせいですよね。


 数日、珍しく冷え込んだものだから。

 えらいことになってしまった垣根を前にして。


 ミトンの手に、巨大なハンマーを握って立っているのは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪は、まだセット前。

 ぼっさぼっさに爆発したまま武器を構えているせいで。



 ……なんか怖い。



、こちらへ貸しなさい。俺がやりますので」

「なんで? こんな楽しそうなこと、横取りするの?」

「餅つきの時だって、臼どころか地球をついてしまう人が何を言ってます」

「だいじょぶなの。いつもずれるってことは、はなから違うとこ狙えばピッタリ命中なの」


 おかしなことを言い出した穂咲さんが。

 かけやを肩に、よっこいしょと担ぐと。


「…………なぜ俺の方を向きますか」

「きっと道久君を狙ったら、びったり杭に当たると思うの」

「ほんとやめて!? 打率は低くても狙い通りに当たる時あるでしょうに!」

「大丈夫なの」

「大丈夫じゃないです! 君の打率、何割くらいでしたっけ?」

「九分九厘外すから安心するの」

「何割って聞いてるのに! 九分九厘って言われたら!」


 九割とんで一厘の確率で命中しちゃいますよ。

 冗談じゃない。


 俺がすかさず射程から距離を取ると同時に。

 穂咲の気合の入った掛け声が響きます。


「ふんす! …………ふ~んす!」

「おいおい」

「ふんぬううううううむり」


 いやはや。

 叩かれる危険はなくなりましたが。


 かけやを地面にどすんと落として。

 泣きそうな顔で見つめられましても。


「叩きたいのは分かりますが。身の丈を考えなさいな」

「む。身の丈とか言われると、ちっと腹が立つの。そんならリタイヤするの」

「リトライと言いたかったのですよね?」

「たいして変わんないの」

「真逆です」

「ふんぬううううう」


 もう一度、肩にハンマーを背負ったところまではいいのですが。

 そこから上へは、まるで持ち上がらず。


 よたよたふらふらとしながら棒を握りしめて。

 掛け声ばかりが響くのです。


「ふんぬううううう」

「……酔っ払いの駕籠屋かごやなのです」

「ふんぬううううう」


 これだけ千鳥足で揺すられては。

 お客さんまで酔ってしまいそう。


 そんな穂咲の姿を。

 納屋からのっそりと姿を現した母ちゃんが見て。


 早朝から、ご近所迷惑な音量で大笑い。


「わはははは! 穂咲ちゃん、頑張んな! ほれ、道久はこっち手伝うさね」

「……ああ、霜避けのシートですか」


 役割が真逆と。

 思わなくはないですが。


 母ちゃんが抱えた重たいロールから。

 シートをゆっくり引き出して。


 ハサミでちょきちょきと。

 苗木の間隔通りに穴をあけていきます。


「ねえ、母ちゃん。持ち上げながらやること無いでしょうに」

「地面につくのが嫌だから、何となくさね」

「……これから、地面にかぶせるのに?」


 変なことを言い出す母ちゃんでしたが。

 まあいいか。


 シートの向こう岸が宙に浮いているので。

 頭の上に持ち上げた方が作業しやすい。


 俺は、シートを頭の上にかぶりながら。

 下からハサミを入れていったのですが。


 今切ったばかりの切れ目から。

 顔がすぽんと外に出てしまいました。


「おっと。あはは、まるでもぐらたたきです」

「ふんぬううう! とうりゃ!」

「どわあっ!!!!!」


 すると。

 すっかり放っておいた駕籠屋のおばちゃんが。


 ようやく持ち上げたハンマーを。

 俺の鼻先すれすれに叩き落したのです。


「危ないわっ!!! ほんとに狙ってました!?」

「……つい」

「ついってなにさ!」

「つい、もぐらに見えて」

「ふざけんななのです」


 俺はシートを穂咲に持たせて。

 代わりにかけやを奪い取って。


「やれやれ。危うく1点取られるところだったのです」

「青いモグラだったから3点なの」

「今知りましたよ。あれは恐怖のあまり青ざめているのです」


 そう思ったら、可愛らしいアーケードゲームが。

 途端に極悪なものに思えてきました。



 やれやれですが。

 しかしこれで。


 ようやく適材適所なのです。


 俺がこんこんと、浮き上がった垣根を地面に打ち込んで。

 母ちゃんがシートを抱えて。

 穂咲が霜柱を踏んで遊ぶ。


 適材適……。


「こら」

「さくさくがカイカン」

「仕事をなさいな」


 母ちゃんすら呆れて。

 シートのロールを小脇に抱えて頭を掻いていますけど。


 しょうがない奴なのです。


 垣根の修復は後回し。

 母ちゃんが早くしろと言わんばかりですので。


 もいちどシートとかけやを交換です。


「まったくもう」

「でも、さくさくが気持ちいいの。……はっ! まっすぐ伸びるもの、これ!?」

「違うでしょうね。今日はこいつのせいで散々ですし」

「…………ん?」

「おい。この垣根を持ち上げたのもそいつの仕業でしょうが」


 え? って顔やめなさいな。

 そう思っていたら。


 またまた~って顔になっちゃいましたが。


「こんな簡単に踏みつぶせるのに?」

「百キロぐらいのものを持ち上げるって聞いてますが……、あぶなっ!?」


 ちょっとほんとに危ないから!

 かけやで叩こうとしなさんな!


「そんなので叩かれたら地面に埋まってしまうのです!」

「そのまんま、ずっと立ってると良いの!」

「その状態を立っていると表現していいのでしょうか? それより、何をそんなに怒っているのです?」

「百キロなんて無いの!」

「…………ああ」


 なるほど。

 それは確かに失礼しました。


「頑丈なのと弱いのとあるのですよ。例えば……、そこのとか」


 ずいっと持ち上がった地面の断面に。

 みっしりと柱が立っているそのあたり。


 俺が指差す先へ。

 穂咲が恐る恐る足を踏み入れると。


 やはり。

 霜柱はつぶれることなく。

 穂咲をしっかりと支えたのです。


「……おお、神秘のパワーなの。ほら、百キロなんて無いの」


 そして調子に乗って。

 霜柱の上でジャンプなどしていますけど。


 ああよかった。

 なんとかご機嫌は直ったようですね。


 ……しかし。

 あちらを立てればこちらが立たず。


 穂咲の機嫌取りをしているうちに。

 母ちゃんのイライラがとうとう限界を超えたようで。


「ほら、遊んでないで! さっさとやっちまうよ!」

「うわ。ごめんごめん」

「ごめんなさいなの。でも、神秘なの」

「あんたたちはシートに穴開けてな! 垣根はあたしがやっとくから!」


 そして、めちゃくちゃ重いロールを俺に押し付けて。

 穂咲のそばを通って垣根へ向かう母ちゃん。


 …………ざくっ、ざくって。

 霜柱が無残に潰れていくのですけど。


「神秘が……」

「ええ。母ちゃんは、神秘を凌駕する生き物なのです」

「ねえ、道久君。霜柱、どんだけ持ち上げるって言ってたっけ?」

「……0.1トン」

「こら、トンで言うんじゃないさね! こんな儚い乙女をつかまえて……、よっと」


 そして、儚い乙女は。

 かけやも使うことなく。


 垣根の支柱によっこらせとぶら下がると。

 元の高さより深く刺しこんだのでした。



 やれやれ。

 俺も体を動かさないと。

 明日は我が身なのです。


 ひとまず。

 シートに穴を開けましょう。


 ……ん?

 穴?


「……ああ、穴掘り」

「穴掘り?」

「ええ。……今日こそ面接に合格してきなさい。明日は、就職祝いに楽しいものをプレゼントしてあげますので」

「ほんと!? 頑張るの!」




 ……そして、大方の予想通り。

 就職祝いは。

 残念会に化けました。

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