ジンチョウゲのせい
~ 二月十日(月) ため息 ~
ジンチョウゲの花言葉 実らぬ恋
駅前の喧騒と。
周囲を空気ごと凍り付かせるほどに冷えたベンチ。
音のギャップ。
その、音のしない側へたたずんで。
ぼーっと、雲一つない空を見上げるこいつは
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、珍しく下ろしっぱなしにして。
冷たい
はあとため息をつくたびに。
まっすぐな、白い煙が。
浮かんでは消え。
浮かんでは消え。
「きっと、これが正解なの」
「おじさんは、そんな寂しいなぞなぞ出さないでしょうに」
土日で八件。
すべからく面接で落とされた穂咲さん。
そんな彼女の皮算用。
今日は宇佐美さんと日向さんと一緒に。
就職決定祝賀会を催すことになっていたのですが。
「あ! いたいた! おーい!」
「う。……その表情、まさか」
「いえ、宇佐美さん。そのまさかなのです」
「そうだったか……」
「あちゃー! じゃあ、急きょタイトルは変更っしょ!」
「そうですね。タイトルは、『目指せ百軒・藍川穂咲の採用ふられ旅』なんてどうでしょ……んでもありません」
おお怖い。
視線って、人の左心室をちょっぴり止める力があるんですね。
さすがは、穂咲大好きの第一人者。
泣く子も黙るヤンキー風貌の宇佐美さんなのです。
「まあまあ、秋山っちの血も涙もない冗談はさておき」
「あと、情けも容赦もないの」
「……もはや人とは思えねえ」
「ひどい」
「ここは、パーっと行くっしょ!」
そして、みんなの元気印。
この寒空に、生足を腿までむき出しにした日向さんに連れられて。
俺たちは、駅前ショッピングを開始したのでした。
……明日から、クラスの幾人かと卒業旅行に出かけるらしいお二人は。
そのための買い物をしたいと言っていたはずなのですが。
さすが、女子のお買い物。
気になった店へふらふらと。
今も、アクセサリーショップへ入って。
ヘアアクセの品定め。
旅行とは関係ないですよね。
なんて無粋な言葉。
言えるはずもありません。
「レイナっち、シックなピンをワンポイントに使えば絶対ウケると思うっしょ!」
「笑う方のウケるって意味だろ?」
「違うっしょ! ねえ、穂咲!」
「うん。……レイワちゃんには、こんなんが似合うと思うの」
そう言いながら、穂咲が手にしていたのは。
シルバーで出来たハートマークに。
斜めに矢が突き刺さるという大胆なデザインのマジェステなのですけど。
「いや、ハート形って……。私、髪のアレンジとかしないし。そもそも、どう使うものか見当もつかない」
「うえ~!? さすがにそれはないっしょレイナ!」
「興味無いんだからしょうがないだろ」
「しょうがある! 乙女なんだから、勝負に使える武器はいくつも持っておくもんっしょ!」
「まったくなの」
「よし穂咲! こいつの使い方を教えてやるっしょ!」
「どう使うの? 道久君」
……うん。
気持ちは分かるから。
「日向さん、床に罪はありません」
「どうなってんのよこの二人は!」
「そんなに叩いたりしたら、地面に横たわったまま二度と立ち上がれなくなります。床が」
「秋山ちゃんの方が穂咲より女子力高いのは知ってたけども! 知ってたけども!」
…………え?
大変。
初耳です。
「ちょっと。それはどういう意味です?」
「無駄にお花に詳しいし、無駄にヘアメイク上手いし!」
「無駄とは何です無駄とは」
地面に崩れ落ちて。
目に涙をためて床を叩き続ける日向さん。
そんな彼女捨て置いて。
穂咲はいつものマイペースで。
話を戻します。
「ねえ。これの使い方教えて欲しいの」
まとめた髪に、カーブの付いた装飾をあてがって。
横から棒を通して固定するヘアアクセサリー、マジェステ。
……君の頭にも。
年に二、三回刺さってますけど?
「ねえ。教えるの」
「やれやれ。お団子に刺すのですよ」
「ああ、なるほどなの。これを使えば、櫛団子の最後の一個が簡単に取れそうなの」
「せっかくのアクセが、もっちっちになっちゃうのでやめてください」
やれやれ仕方ない。
そんなにするものでもないですし。
俺はレジでお金を払って値札を切ってもらって。
手櫛で簡単に穂咲の頭にお団子を作って。
湾曲したハート形をお団子に当てて。
矢の形をした棒を斜めに刺して固定してあげました。
「……ね? こうやるの」
「ね? じゃありませんよ」
「ね? じゃあるの。こうやって道久君に聞けば何でも分かるの」
……多分、次回そいつを使う時も。
君は使い方を覚えていないのですね。
俺は呆れてため息をつきながら。
マジェステを外して宇佐美さんへ渡そうとしたのですが。
「いや、私には似合わないだろう。それより、穂咲の前で他の女子にプレゼント渡そうとするんじゃねえ」
お礼どころか。
デコピンを頂戴いたしました。
……宇佐美さん。
穂咲の事が大好きで。
俺には妙に冷たくて。
でも。
俺が留年しそうになった時には必死に先生に弁護してくれて。
そして、失恋した時には。
俺を頼って、泣いてくれた人。
なんだか。
よく分からないのですが。
はっきり言えるのは。
「……そろそろ腹が減ったな」
「それなら、屋上の屋台に行きましょう」
「はあ!? この寒いのに屋上?」
……その猛禽類のような目でにらまれると。
おしりがきゅっと引き締まってしまうのです。
「いいっしょいいっしょ! 寒空であったかいもんとか、きっとうまいっしょ!」
そしていつものように。
悪い空気を軽々と吹き飛ばす日向さんが、宇佐美さんの背中を両手で押すと。
俺に小さくウインクをしながら。
エレベーターへ乗り込むのでした。
「…………ねえ、道久君。千歳ちゃんにおごってあげると良いの」
「そしたら宇佐美さんに、穂咲の前で日向さんにおごるなと言われちゃうのです」
「千歳ちゃんだけにおごらなければ済む話なの」
「ああ、なるほど。全員にご馳走すればいいのですね?」
俺は、悪だくみについては頭の働く穂咲に。
デコピンをくれてやりました。
~🌹~🌹~🌹~
既に慣れ親しんた屋上の光景。
そして、未だに慣れないこの人の食生活。
「ここでは子供の目がありますから。泣くなら休憩室で」
「パック焼きそばなんて……。こんな味の付いた料理、一週間ぶりに食べるし」
「普段、何食べているのです? もやし?」
「パンの耳……」
今時聞きませんよ、ほんと。
初見の日向さんと宇佐美さんが眉根を寄せる中。
俺と穂咲は鼻をすする猫の手を引いて。
いつもの屋台の裏へ連れて行こうとしたのですが。
「あれ? 金網?」
「そうそう、子供が忍び込むとまずいからって付けたんだし! でも、金具がめっちゃ固くって! 道久君、開けてみてちょ!」
今まで素通りだったところに。
金網製の扉が作られていたのですが。
俺は、力に自信ありませんし。
もし開かなかったらカッコ悪い。
そう思って躊躇していたら。
「……私が開けよう」
宇佐美さんが事も無さげに近付いて。
簡単に金網を開いてしまったのですが……。
「あぶないし! そっちじゃなくて!」
れんさんの声も間に合わず。
どえらい勢いで閉まった扉に。
宇佐美さんの長髪が挟まってしまったのです。
「金具が固いって! そっちだったのですか!?」
「くっ。まさかな……。それより、留め具が変な音を立てて勝手に閉まったんだが……」
宇佐美さんが、試しに留め具へ手をかけたのですが。
どうやらびくともしない様子。
――これ。
いつぞやと同じ状態なのです。
掃除用具入れに髪を挟んだ宇佐美さん。
そんな彼女を心配した穂咲が。
「早く助けるの! 髪が傷んじゃうの!」
今と同じセリフを吐いて。
おじさんのボールペンで強引に扉をこじ開けたのでしたっけ。
今日は、マジェステの棒を抜いて。
留め具に引っ掛けて、両手で力いっぱい持ち上げようとしていますけど。
「それ、秋山に貰ったばっかりの……! おい、やめないか穂咲!」
「ふんがー!」
「おい! 穂咲!」
「……いいから、動かないで欲しいのです。髪、傷みますよ?」
「髪なんかどうでもいいだろ!」
「それ、スタイリストを目指してる俺に言いますか? マジェステの方がどうでもいいのです」
「いや、でも……」
珍しく。
悲しそうな表情を浮かべた宇佐美さん。
そんな彼女の切れ長の瞳が。
俺と穂咲の間を交互に泳いでいたのですが。
バキンと金属が悲鳴を上げた音に合わせて。
ぎゅっとつむられてしまいました。
「やったの! 開いたの!」
「おお。でかしたのです、穂咲」
「だけど……、髪留めが……」
なんとか開いた扉から。
宇佐美さんの髪はするりと離れたのですが。
留め具は壊れて地面に落ちてしまいましたし。
マジェステの棒も、みごとな『く』の字。
ボールペンに続いて。
穂咲の部屋に。
また、他人から見たらどうしようもない宝物が一つ飾られることになるのです。
「ほい、ゴミなの」
「おい」
あれ?
ボールペンと違って。
これはいらないの?
「ひん曲がっちまったから、おんなしの、もう一個買って欲しいの」
「ほんとに、おい」
「……やれやれ。じゃあ秋山、私にも同じの買ってくれ」
「いい加減にしろ」
まったくもって。
この人たちの事がよく分かりません。
でも、仲良く楽しそうに屋台の裏へかけていく二人を見つめていたら。
どうでもいいかと思ったのでした。
そんな俺の後ろで。
残った二人が。
なにやらひそひそ話をしているのですが。
「……ねえ」
「どうしたっしょ、お姉さん」
「あの、髪の長い子、ひょっとしてなんだけど……」
「ああ、内緒にするっしょ」
「…………何のお話です?」
「何でもないっしょ」
「何でもないし」
ほんとに。
女子の考えていることは分からない。
でも。
それもどうでもいいか。
俺は、小さな思い出になった。
曲がった棒と壊れた留め具をポケットにしまいながら。
寒空に、まっすぐのびる白い息を引きずって。
みんなの後を追うのでした。
「…………そんなの持って帰るし?」
「やっぱ女子っしょ」
……その件はどうでもよくないので。
ちょっと真剣に考えよう。
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