ヒヤシンスのせい


 ~ 二月七日(金) みみずばれ ~

 ヒヤシンスの花言葉 スポーツ



 昨日のお泊り会の影響でしょうか。

 生あくびしっぱなしでお仕事をする。

 葉月ちゃんと瑞希ちゃん。


 そして一番眠そうにしていた。

 と、言うか。


 レジで、ご注文を繰り返させていただく途中で立ったまま寝た、とんでも店員。


 藍川あいかわ穂咲ほさきは、今。


『てんちょーさん! 逃げないで欲しいの!』

『眠気覚ましにキャッチボールしようなんて言った僕が悪かった! もう勘弁してくれ!』


 ……逃げ回る店長を追いかけて。

 お隣りの空き地をぐーるぐる。


「バターになっちゃいます」

「ははは。いいじゃない、平和で」


 そして俺のお隣りでは。

 いつものように、平和に。

 朝からずっと、晴花さんがレジに抱き着いたまま動きやしないので。


 お昼のピーク時間帯でも。

 レジ待ちの列を俺だけですべてさばいたのですが。


 これ。

 ひとりだけ平和じゃないと思うのです。


 ――さて、お客様もぽつりぽつりとしか来なくなる頃合い。

 もうそろそろ三時になろうとしています。


「ふう……。ピークは過ぎましたかね」

「そうね~。お隣りの空き地の方は佳境だけど」


 晴花さんに言われて。

 耳をすましてみれば。


 可哀そうに。

 店長の悲鳴が聞こえてくるのです。


「ねえ道久君。なんで店長さんは逃げ回ってるの?」

「どういう訳か、穂咲がボールを投げると店長の顔面に当たるのです」

「どういう訳かって……」

「すいません、説明できないのです。まだ、人類はこの現象を解明できるステージまで到達していませんので」


 俺の真面目な解説に。

 晴花さんは、苦笑いで返してくるのですが。


 ほんとですって。


「しかし、解明ねえ……。そんな大げさに言わなくても、簡単に説明できるんじゃない?」

「え? ほんとですか?」

「うん。これは、呪い」

「ひどい」

「店長の嗜好次第では、祝い」

「ヘンを書き換えただけで大ごとになるのです」


 俺たちの会話に。

 くすくすと笑っていた後輩コンビは。


 上がりの時間だからと。

 更衣室へ続く廊下へ向かったのですが。


「「きゃーーーーーっ!!!」」


 お客さんも総毛だつ。

 絹を裂くような悲鳴のデュエット。


 俺はもちろん、間髪を入れず。


「ですから、キャーはやめなさい!」


 昨日、散々繰り返してきたせいで。

 反射的に突っ込んだのでした。


「道久君!」

「おっと、そうでした。何があったのでしょう」


 俺は晴花さんにレジを任せて厨房を抜けて。

 廊下へ突撃してみると。


「きゃあ! 不審者!!!」

「ひ、ひどいよ秋山君……」


 なんと、その声は店長。

 しかしその風貌では。

 勘違いするのもやむなしなのです。


「……相当気を使って美しい表現をしますが、フランケン?」

「そこまで酷い顔になってるかい? いやはや、まいったな……」

「て、店長! 痛そうですけど大丈夫ですか?」

「心配です……。すごいみみずばれ……」


 いえ、葉月ちゃん。

 それはみみずばれではなく。


 ボールの縫い目の模様が。

 顔の至る所にくっきりはっきりついているだけ。


「ねえ、穂咲」

「なんなの?」

「普通、ボールが当たったってそんなことにはならないでしょ?」

「…………寒い時期、店長にぶつけるといつもこんな感じになるの。はっ!? これがなぞなぞの答え!?」

「違うと思います」


 やっぱりこれ。

 呪いなのでしょうか。


 俺は、ぐったりと床にへたり込んだ店長に。

 救急箱を持って来てあげたのですが。


「こら! 揃いも揃ってサボってんじゃねえ! バイト代から差っ引くぞ!」

「おっと、それは勘弁してほしいのです」


 厨房から。

 カンナさんの怒鳴り声。


「上手い言い訳を考えないといけませんね……」

「え? 僕の治療ってことじゃダメなのかい?」


 だって。

 そんなことを言ったら。


「こんのあほんだら! 治療ぐらい自分でやって、バイトをとっとと働かせろ!」

「ひいっ! ご、ごめんね?」


 ほら。

 こうなっちゃいますので。


「でも、ちゃんと治療しないと痛そうなの」

「それを加害者が言う?」

「ちゃんと仕事しながら治療するの」

「仕事しながら治療?」


 ほう、それは面白い。

 どうやるのかちょっと興味があるので任せてみましょう。


 穂咲はまず、俺から救急箱を取り上げて。

 脱脂綿に、消毒液を付けて右手に構え。


 そして、葉月ちゃんが持っていたぞうきんを取り上げて左手に構え。


 右手で汚れた床を拭き始め。

 左手で……。


「ストーップ! カタカナの『ロ』と『エ』が逆なのです!」

「……はっ!? あぶなかったの! 変な突っ込みだけど助かったの!」


 そして穂咲は、店長の顔まで数センチと言うところでストップさせた左手で床を拭き始め。

 すかさず、床をピカピカにした右手で店長の顔をごしごしと……。


「うおっぷ! 藍川君! やめてーーーっ!」

「「きゃーーーーー!」」

「……やれやれ。きゃーと、あちゃあは禁止なのです」


 店長の顔を、真っ黒に塗りつぶした穂咲は。

 やっちまったぜな表情でしばらく固まっていたのですが。


 申し訳なさ過ぎたのでしょう。

 空き地の方へ逃げ出してしまったので。


 俺は改めて脱脂綿に消毒液を付けて。

 店長に手渡しました。


「すいません。今日ばかりは、悪気があってやったことではないので許してあげて欲しいのです」

「ああ、分かっているさ。カンナ君が妙なことを言わなければ、こんなことにはならなかったはずだよね」


 そう、ひそひそ声でつぶやいた店長が。

 がっくりと両肩を落とします。


「おや? 痛みますか?」

「そうじゃなくてね? カンナ君がイライラしている理由を考えると、胃が痛くって……」

「それって、お隣りの空き地の件ですよね?」

「うん。いいアイデア無いかな?」


 店長に言われて、ムムムと唸る俺たちでしたが。


 先日も散々考えたのに。

 そううまく、アイデアが出るはずは……。


「あ! スポーツ施設とかどうですか?」

「それ……、いいかも。でも、空き地で?」

「うん! バッティングセンターとか!」


 なるほど。

 それは悪くない。


 そう思った瑞希ちゃんの意見も。

 店長のお眼鏡にはかなわなかった模様。


「でもね、六本木君。初期投資の割には儲けが少ない気がするんだよ」

「大丈夫ですって! ちょうど、ピッチングマシンならありますし!」

「え? どういうことだい?」

「ネットの外に、店長にいてもらって。藍川センパイが投げれば、超高速ピッチングマシンのあるハンバーガーショップってことで絶対バズります!」


 瑞希ちゃんの思い付き。

 面白そうではありますけれど。


「それは残念ながら、上手くいかないのです」

「え!? どうしてです?」

「それはね?」


 論より証拠。

 俺は、扉の閉まった先にいる。

 穂咲へ向かって、大声を上げました。


「穂咲! このお店と反対方向に、思いっきりボールを投げてください!」

『わかったの~』


 そして待つこと数秒後。


「げふんっ!!!」


 どこから現れたのか見当もつきませんが。

 廊下に座っていた店長の鼻面に。

 ボールが直撃したのでした。


「「きゃーーーーっ!!!」」


 ……ね?


 ネットどころか。

 ドアを貫通。


 消える魔球なんて。

 打てるはずが無いのです。


「……あ。バズるという意味ではアリかも」

「僕の体がもたないよ!!!」



 こうして。

 バッティングセンター案は。

 白紙に戻ってしまったのでした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る