第7話

当時の私から見れば、とてもいい両親だと私は思っていた。

休みの日に遊んでいくれる父もそれを微笑ましく見守る母も大好きだった。

それが壊れたのが小学4年の頃の大雨の朝。父がいなくなったのだ。

死んだとかではない、ただいなくなった。

それは単純に離婚したということなのだけど、当時の私では受け止めきれなかった。

あんなにも仲良さそうだったのも、毎日があんなにも楽しかったのも――――全部が嘘。

たまらない気持ちになった。絶望とはこういう気持ちなのだ。

母と一緒にいたくなくて、家にいたくなくて家を飛び出した。

行き場を無くした私が向かった先は、学校だった。

選択肢のない小学生からしたら当然なんだけど、一人でいるより他人がいる方がマシだと考えたの。

濡れて登校してきた私を見て先生は軽く心配していたけれど、私が「大丈夫です」と伝えると何も言わなくなった。

そこからも苦痛だった。

周りの子達が私を心配して話しかけてくれたりしたけど、全部上辺だけ。

薄過ぎて透けて見えそうなくらい。

それがたまらなく嫌で、その顔を見ているだけで両親を思い出しそうで、視界も心も閉ざした。

チャイムが鳴るまではただそこにいるだけで、価値のない置物のように。

家で散々泣いたからか、不思議と学校に着いてからは涙は流れなかった。

その代わりに派手な音を立てながら、空が泣いてくれていた。


放課後がやってきて、周りの子は真っ直ぐに家へと返っていく。

そういう私も普段ならそうしていたのだけど、今日は帰りたくない。

下駄箱で靴を履き替えて、そこではじめて気づく。傘がない。

行きになかったのだ、当然だった。

迷うこともなく私はそのまま雨の中に飛び出した。

体を雨が伝う感覚や轟音に包まれると不思議とクラスに居る時よりも気が楽になった気がした。

だから、だろうか。自分の目から乾ききったはずの涙が溢れてくるのは。

止められないそれを拭おうとも思ったけど、雨が掻き消してくれてわからないと思った。

そもそも、みんなはそんなに私に興味がないだろう。

このまま雨に打たれ続けて、なにかを流しきれば私はまた上手く立つことができるだろうか。

上手く歩んでいけるだろうか。

そんなことは無理だとわかっていてもそれに縋るしかないと私は思っていた。


そんな時視界の先で誰かが立ち止まるのが見えた。

歪む視界では傘を差した男の子ってことぐらいしかわからなかった。

目が合った気がした彼は私を見透かしている様に思えて、少し怖かった。

早くどっか行って、その感情だけが渦巻く。

でも、彼は私の願い通りの行動は取らなかった。

それどころか私に奇跡を与えてくれた。


「な、なにしてんだよ。暇なら一緒に遊ぼうぜ!」


それが、彼、集真君との出会いだった。

私は目を見開いて驚いた。

こんな状態の私に投げかける言葉は心配だとかそういうものではなく、いつもどおりの日常の言葉。

嘘偽りのない彼の真っ直ぐな言葉。

その瞬間だった。

集真君に話しかけられた瞬間は雨の中なのに、日が射したみたいに明るくて温かい光に包まれたような気がした。



◆◆◆



「それからも、集真君は私に色々なものをくれた。私には返せないそれを私は集真君のそばで返していこうと思ったの」


藍の語るものは俺が今まで聞いたことのない事柄ばかりだった。

親のこと、あの日の真実。

それを話してくれたこと自体はとても嬉しかった。でも、とても辛い気持ちになった。


「というより私が集真君の傍に居たかっただけなんだけど」


泣きそうになりながら笑う彼女を思わず抱き締める。


「えっ……え」


困惑した様子の藍だったけど、安心したように抱きしめ返してくる。


「どうしたの?」


「辛かったな……」


言葉で聞いても彼女の辛さはすべてはわからない。わかったつもりになってはいけない。

それでも、彼女の話を聞いただけで押し潰されそうになっているこの心より、藍は確実に傷ついた。

そんなもの俺だったら耐えられそうにない。それを今まで一人で抱えてきたのだ。

本当にすごいと思う。

今目の前で震える彼女を抱き締めることぐらいしか俺には出来ないけど、それでもしてやりたいと思った。


「集真、君……」


耳に届く声は震えていて、感情のダムが決壊したように藍は泣き始めた。


「つ、つらかったよぉ!ああああぁぁぁああぁっ――――!!!!」


「……あぁ」


叫ぶように泣く彼女をより一層強く、しっかりと抱き締めることしか俺には出来なかった。




「……ごめんね」


「気にするな」


泣き止んだ後も腕の拘束を解かないまま、しっかりと抱き締め続ける。


「もう大丈夫」


「……本当か?」


離れた藍は少し目が腫れていたが、弱々しさは微塵も感じなかった。

寧ろ藍の温かみがなくなった分、俺の方が寂しかった。


「辛いことはあったけど、集真君がいたから耐えられた。集真君からいっぱいエネルギーを貰っていたの」


「……」


黙って俺は藍の話を聞く。

それを確認した藍は言葉を続ける。


「中学の時のトラブルも集真君は私を守ってくれた。小学生の頃に抱いた感情に気づいたのもこの時だったな……」


大きく息を吸い、呼吸を整えてから藍はもう一度口を開く。



「集真君、あなたのことがずっと好きでした。付き合って下さい」

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