第5話

高校の入学式。それ自体に何の感動も俺は持っていなかったが、周りの人間に驚いていた。

当たり前のことなのだが、大半が知らない奴らばかり。

家からかなり近い所なのだが、別の場所のように感じた。

クラス発表の時に探した名前は自分のものだけではない。藍のものも探した。

幸い、そんなに手間ではなかった。何故なら、同じクラスだったからだ。


そんな高校生では大きな変化が訪れた。

それは、藍とクラスでも普通に話すようになったこと。

それどころか、複数人で遊びに行くなんてこともしばしばあった。

それでも、雨の日のあの関係だけは変化することなく継続していた。

あと、密かに藍は人気があるらしい。

顔は整っていて可愛いし、落ち着きがあって清楚なのが良いそうだ。

中学の時のようなことも危惧していたが、大人になったと言うべきかそんなことは全く無かった。

せいぜい藍との関係を軽く聞かれたり、藍が告白される程度だった。

藍への告白も結果は知らないが、その後の雨の日も普通に来ていたので、振ったのだろう。

俺には縁のない話。俺の高校生活は花も咲かないまま朽ち果てるだけと考えていた。


高校2年の時に訪れた不意の転機。

朝の階段で見知らぬ後輩から放課後の呼び出しを受けた。

ちょっとだけ怖そうなイメージの彼女に俺は悪い予感ばかりが頭を過ぎった。

だから、ふと聞いてみた。


「お前それ告白じゃね?」


「いやいやそれはないだろ……」


否定しながらもその可能性を考慮していなかった自分に気づく。


「なんでそんなテンション低いんだよ」


「いや、最悪シメられるのかと思って……」


「お前何時代の人だよっ!」


友達には笑われたが俺は本気でそう思っていた。というかその発想しかなかった。

中学の一件以来、自分が好意を持たれるなんて考えたこともなかった。


「そんなに不安ならついて行ってやろうか?」


「お前の言う通り、告白だったら相手に悪いし。最悪、シメられるならすぐに逃げるわ」


「逃げ腰だなー。なんにせよ頑張れよ」


「おう」


放課後までの間に呼び出された体育館倉庫裏からの脱出経路を色々模索したが、それは全部無駄に終わった。


「急に呼び出してすみません!」


「……えっ?」


体育館倉庫裏に行くと、待っていたのは別の女子生徒だった。

リボンの色を見る限り1年生だろう。


「呼び出したのって君だっけ?」


「あ、朝は友達に頼んだので!」


朝の友達とは違い、大人しそうな子で緊張のせいか少し震えながら一所懸命言葉を紡いでくれた。


「私が入学してすぐの時、困っているところを天見先輩に助けていただきました。あの時は上手くお礼を言えずすみませんでした」


「俺が助けた……?」


思い当たる節がなかった。

2年になってからだと最近といえば最近だけど、そんなことしたっけ?

頭に疑問符を浮かべながら懸命に検索をかけてみたものの、ヒット数は残念なことに0件だった。


「はい!駅で私の定期を一緒に探してもらった件なんですが、覚えてますか?」


「ああ!あの時の子か!」


言われてすぐに思い出した。

ある休みの日、電車で買い物に行こうとした時に困っている二人組みを発見した。

聞いてる限りだと、定期をどこかに落としたみたいで探しているだとか。

周りの人は急いでいるのか誰も手伝っている様子もなく、駅員すらも探していなかった。

友達のほうが懸命に呼びかけていたな。


「この子が定期を無くしたみたいなんで、それらしい物を見かけた人がいたら教えて下さい!!」


誰も反応しなくても懸命に、懸命に。

人の為に行動しているその子がとてもすごいと思って、俺も軽く話を聞いた。

どんなものなのか写真も見せてもらい、駅員を通して落とし物であがっていないかも調べてもらった。

その時の駅員のやる気のない態度に少しだけ苛立ったのを覚えている。

結局見つかったのは電車の中だった。降りる際に落としてしまったのだろう。

正直、完全なる善意で行ったことだったので、何も求めてなかった。

だから、お礼の言葉も早々に電車に乗り込んで逃げたっけ。

でも、あれ?おかしいな……。


「お礼ちゃんと言ってもらったけど」


「あれだけでは全然足りません!本当にどうしようもなくて困り果てていたので!」


あんまり感謝されても反応に困るので逃げたんだけどなと思いながら、次はどうやって逃げようかと考える。

彼女の目が真っ直ぐにこちらに向き直し。顔は紅潮していた。


「正直、格好良くてもう一度会えたらなと思っていました」


てへへと笑うその顔は素直に可愛いと思った。


「そんな時に学内で天見先輩を見かけて、絶対この人だ、そう確信したんです。それからも目で追ってしまい、ここにはいないかな、あっちにはいないかなと探している自分がいたんです」


「……」


純粋で真っ直ぐな力強い気持ちは俺の中にずしんと伝わり、体を心を暖かくする。

真剣な気持ちだからこそ、俺に真剣に向き合いたいと思った。


「天見集真先輩の事が好きです!私と付き合って下さい!!」


そう言って頭を下げる名前も知らないその彼女に見惚れる。


「その気持ちは素直に言って嬉しい。ありがとう」


嬉しい告白だった。下手な飾った言葉よりもよっぽど心に響いた。

何も知らないこの子だけど、この子とならと素直に思えた。

――でも。


「っ……」


言葉に詰まる。

俺の考えの中に予想できない何かが浮かび上がってきて混乱する。

『でも』ってなんだよ、『でも』って。

素直にそう思えたんならこの子の告白を受け入れるだけなんじゃないのか。

『でも』もなにもないだろ!

頭の中の俺の叫びは虚しくも響かない。絶対的な壁に阻まれる。

邪魔するものはなんだ、何がひかかってるんだよ……。

やるせない気持ちを抱きながら心理の海へと沈んでいる。

わからない違和感の正体。『でも』に続く言葉の先を懸命に探し続ける。

俺がこの子の告白を受け入れられない何かがあるっていうのか。

この子を知らないから?そんなことなら元々ああいう思考には至らないはず。

俺のもっと大事なもの。彼女と付き合いことで失ってしまう何か……。


「……あ」


小さく漏れた俺の言葉は誰にも届かなかっただろう。

思考の海の底に沈んでいたのは一つの小さな箱だった。

それはかつて俺が開けてはいけないと定めたパンドラの箱だった。


中身、それは藍だった。

日生藍。俺の人生に大きく関わっていて、彼女の人生にも大きく関わった。

初めてあった時、泣いている様に見えた彼女をどうにかしたいと思った。

藍を笑顔にしたい、そう思った。

その時からだったのだ。

子供だから気づかないフリをして、見ないようにしてきたこと。



――――俺は藍の事が好きなんだ。



そう考えると自分の中で胸にストンと落ちた。

俺の中での藍の優先順位が上なわけ、中学の時に周りを拒絶出来たわけ。全てに納得がいった。

俺の感情の一喜一憂が彼女によるものが多かったのだなと痛感する。

そりゃあ、『でも』になる。後輩への返事に躊躇するわけだ。


初めて自覚した恋心をしっかりと握りしめながら、俺は後輩からの告白をしっかりと意思を持って断った。


「でも、君とは付き合えない」


「っ!?」


はっきりと濁したりせず、バッサリと。


「ごめん……」


「わかり、ま……した。あ、ありがとぅ……ござい、ま……すっ」


涙を浮かべながら去っていく彼女を見つめながら俺は大きな罪悪感に胸を締め付けられていた。

一度は彼女の告白を受け入れそうになったこと。彼女と藍を知らず識らずの内に比べてしまっていたこと。


「最低だ……」


気分も俺自身も……本当に最低だ。

彼女の最後の言葉だけが耳元で木霊し続ける。

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