第2話
やはりと言うべきか、彼女は目を見開いて驚いている様子だった。
してやったりと、当時の俺はほくそ笑んだ。
俺達の邂逅に興味を持つ者も少しはいたが、今は下校時間。ましては雨の中である。
足を止めてまでその欲求に答える者など一人もいなかった。
「……」
黙ったままの彼女に自分の傘を傾けて一緒に入れてやる。
背負っているランドセルが濡れてしまうが、そんなことはどうだってよかった。
「どうすんだ?」
もう一度問い直す。催促ではなく、尋ねるように。
「……ぶ」
「えっ?」
ぼそっと呟いた彼女の言葉は俺の耳に届く前に雨音で掻き消される。
「……遊ぶ、遊びたい!」
確かな彼女の言葉を聞いて、俺自身も嬉しい気持ちになったことを今でも覚えている。
暗かった彼女の表情が幾分かマシに感じた。
「じゃあ、行くか!」
「うん!」
びしょ濡れになりながらも彼女と一つの傘の下で同じ帰り道を歩んだ。
とりあえずは帰ってから何しようかとか考えながら隣を歩く彼女に話しかけていた。
「……あ」
「……?」
ここからが俺の考えの至らないところである。
直接俺の家に連れていこうと思ったものの、彼女も俺もびしょ濡れなのである。
本来なら互いの家で着替えてから集合すればよかったのだが、なんとなく今だけは彼女を一人にさせたくなかったのだ。
「お前の家ってどこらへんだ?」
「あっちの方……」
指差されたのは俺達が歩いてきた方角だった。
「まじかー……」
本当にそれなら先に寄ればよかった。
小学生ながら頭を抱えそうになった。
「じゃあ、一旦家帰るか」
しかし、俺のこの言葉に彼女は頭を振って否定する。
「でも、このままってわけにもいかないだろ」
「……」
少し俯いたまま彼女は黙ってしまった。
何か事情があるのかもしれないが、当時の俺には検討もつかなかった。
そうしていると見慣れた平凡な一軒家が見えてきた。俺の家だ。
「まー……とりあえず、入れよ」
このままってわけにもいかず、とりあえず母親に頼ることにした。
「ただいま」
玄関を開けて、いつも通り元気よくリビングに居るであろう母親に聞こえる様に言い放つ。
中からどだどだと慌ただしい音の後にリビングに繋がる扉が開かれる。
「おかえりー、雨すごかったけど大丈夫……ってあら?お友達?」
現れた母親は俺達を見るや否や、ジロジロと観察してきた。
怪しむのも仕方がない事だとは当時の俺でも思った。
何故、こんなに濡れているのだろう、と。
「びしょ濡れだったから連れてきた。傘を忘れたんだって」
彼女がこんなにも濡れている理由を簡潔に述べる。実際はなんでなのかは知らない。
「あら、そうなの。大変だったわねー」
そう言いながらタオルを素早くとってきて俺達にくれる。
それで頭や顔を拭きながら俺は説明を続ける。
「それでこの後遊ぶんだけど、家には帰りたくないんだとさ」
「困ったわね。服は集真(しゅうま)ちゃんのがあるとして、一応親御さんには連絡入れておかないと……」
優しく諭すそうに語りかけながら、二人で着替えの服を選びに行った。
まあ、任せておけば大丈夫だろうと判断した俺は冷えた体を温めるべく、風呂に入った。
10分程して上がると俺の服を着て、母さんと仲良さそうにしている彼女の姿があった。
「やっと上がってきた。次は藍(あい)ちゃんも入ってきてね」
「うん」
本当にこの10分間で何があったのか知りたくなるぐらい打ち解けている。
ぎくしゃくされるよりよっぽどよかったので、黙って風呂場まで案内する。
それからの時間経過はすぐだった。
彼女が風呂に入っている間に彼女の親に連絡を入れてから遊びに興じる。
意外なことに彼女はどのゲームのルールも知らなかった。
そのことに驚きつつも、俺は知っているものを片っ端から教えていった。物覚えのいい彼女はすぐに理解し、できるようになっていく。
そんな事を繰り返しているとあっという間に時間が来てしまった。
元々、平日の放課後なのだ。あまり時間はなかった。
それでも、彼女との時間はあっという間と表現が一番正しいのではないかと思えるほど、すぐに経ってしまった。
「今日はこの辺ね」
母親の声を皮切りに俺達は動きを止める。最後の抵抗、時間稼ぎ。
言葉をほとんど交わさないまま家の車に乗り込む、俺と彼女。
雨がまだ降っているから送っていくそうだ。
車だったからなのか彼女の家にはすぐに着いた。
マンションの中に車を入れれないため、近くに止めて入り口まで歩いていく。
その足取りは重い。
いつ連絡を入れたのか知らないが、彼女の母親が入り口まで迎えに来ていた。
「今日はありがとうございました」
「いえいえ、ウチの息子がわがまま言っただけですから」
「そんなことないですよ。ほら、藍もちゃんとお礼言いなさい」
「ありがとうございました」
そう言って頭を下げる彼女は儚げに見えた。
ここで、俺が何か言わなくてどうする。でも、言葉が上手く出てこない。
母親と共に去っていく彼女の背中を無言で見送ることはどうしてもしてはいけない気がした。
「ひ、日生!」
初めて彼女の名前を口にする。
俺の言葉に振り向く彼女に言葉を続ける。
「……あ、雨の日は大体暇だから……。また、遊ぼう!」
精一杯の約束。それ以外俺には出来なかった。
少しだけ嬉しそうに微笑みながら頷く彼女に俺は満足した。
帰りの車の中で母親に「やるじゃん」と嬉しそうに言われた。
――そこから二人の奇妙な関係は始まった。
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