第45話

水面


 あまりに唐突な出来事に、浮き足立った人々が、ようやく落ち着きを取り戻し、市都(まち)に前と変わらぬ暮らしぶりが戻り始めた頃、男は空飛ぶ箱を四方に飛ばした。

島々(くにぐに)の王への親書を乗せて。

 砂の海は、既にない。

 そこにあるのは、その面に日の光を映してきらめく海原。

 満々と湛えられた水…

 それは、元の岸辺からは遥か沖合いにたゆとうている…

けれど、最早、水を汲むための役務は、どこにも存在しない。 

砂人は、最早、苦役を担う必要がない。

男はこの世界に水を取り戻した…


 男は、島々の王に何を託したのだろうか。

 男の託した親書は、私たちの島(くに)の王にも届いただろうか。

 女が言う。

「島へ戻りましょう」

 私たちは、男にその旨を伝える。

 男は、快く、私たちを空飛ぶ箱に乗せて島へと送り届ける。

 男は別れ際に言う。

「暫くしたら、迎えに来る。準備は程なく整う。共に故郷へ帰ろう」

 男は本当に星々の彼方へ帰るというのか…

 私も、その星の彼方から来たというのか…


 王は、満面に笑みを浮かべて私たちを迎える。

「よく戻った、素晴らしい土産とともに」

 王は宮殿の窓から遥か遠くの海を見やる。

 王は言う。

「砂人は、もういない」 

 王は、男からの親書を私たちに見せる。

 親書には、「全ての『人』みな等しく扱われんことを」…と記してある。

王は、その趣旨を理解した数少ない者の一人だったかも知れない。

 いや、初めから、既に、王の心のうちには、砂人というものは存在しなかった…

 女は、父である王の満足げな顔を見て、微笑を浮かべる。

 この世界のあるべき姿の体現…

 しかし、私は何かを忘れているようで、どこか落ち着かない気持ちだった。 

 それは、本当に忘れてしまっている「私」自身のこと…いや、そうではない。

 何か…何か、零れ落ちてしまっている、この世界の、秩序…



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る