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「……っさん。ちょっと、おっさん」

 スーツの裾を引っ張られて、ようやく自分を呼んでいたと気付き振り返る。

 いたのは少し息を切らせた女子高生。

 どこか恨みがましくこちらを見上げる。

 ナニコレ? 女子高生と関わりなんか、全くないし、もちろん恨まれる覚えがあるはずもない。

 アレか? おやじ狩りみたいな? 一時期流行ってたよな。女子高生だから力技ってことはないだろうけれど、痴漢だとか冤罪つけられたら終わる。いろんな意味で終わる。

 思わず軽く両手を上げる。

「な、なにか?」

 こっちの行動を不審げに眇めた女子高生は何かを突き出す。

 思わず後ずさるが、その後のアクションもなく、女子高生の手元に目を落とす。

 その手には見覚えのある名刺入れ。

「あ」

「落とした。何回も呼んでも気づかないから」

「ごめん。ありがとう」

 ほんと、申し訳ない。親切な行為を疑っておやじ狩りだなんて思って。いやまぁ、これ返してもらったら高額請求されるという罠があるかもしれないが。

「別に。放置するのも後味悪いだけだし」

 ぶっきらぼうに言い残すと、名刺入れを押し付けるようにこちらに寄越して、女子高生は踵を返す。

 良かった。金銭を要求されなかった。

 ……じゃなくて。

「ありがとうっ」

 小走りで立ち去る女子高生の背中に声をかける。

 返事はなかったけど、かすかに頭を下げたように見えた。



 あ。

 駅前を横切る女子高生を見つける。

「あ、あの」

 声をかけようと思って思わず固まる。

 なんて声をかけるべきか。

 名前も知らないし、「そこの女子高生」などと声をかけたら完全にヤバい人だし、後ろから肩たたいたりなんかしたら完全通報コースだ。

 偶然見かけただけで、別にあとをつけてたりとか探してたりとかじゃない。誓って。

 でも、今更ながら誤解されてもおかしくない状況か?

「えぇと、あの。そこの、きみ」

 声がだんだんと細くなる。

 しかし気が付いてくれたのか、女子高生は振り返る。

「あぁ、このあいだの……おっさん」

 口の悪い子だなぁ。

「僕はこれでもまだ二十九なんだけどね」

 いやまぁ、女子高生からしたら普通におっさんか。来月には三十だしな。

「……うちのおかーさん、三十二だよ」

 何を言われたか一瞬わからず、そしてその後思いきり肩を落とす。

 お母さんが三十二歳?

 ちょっと待てよ、高校生ってことは最低でも十五歳だろ。見たところ中学生という感じでもないし。そうだとしても、若い母親だ。

「……えぇと、ちなみにお父さんは?」

 おそるおそる尋ねると女子高生は愉しそうに笑う。

「おとーさんは今は二十五歳」

 は? おれより年下?

 それだと十歳くらいの時の子か? 

 っていうか、今はって言った?

「キミのお父様は歳が変動するのか?」

 女子高生は大きな目を真ん丸にしたあと、吹き出す。

「な、なんで、そういう発想? びっくりする。後妻じゃなくて男の場合は後夫? 後夫なんて言葉ある?」

 笑いながらもなんだか難しい顔で悩んでいるが、残念ながら答えはわからず肩をすくめる。

「ま、何にしろ意味は分かった」

 普通に考えれば、そりゃそうだ。我ながらなんであんなことを考えたのか謎だ。

「で、なんか用だった?」

「あ、あぁ。この間、ろくにお礼も言えなかったから。ありがとう」

 自分の名刺だけでなく、取引先からもらった名刺も入っていたから、本当に助かった。

 女子高生は目を瞬かせる。

「……律儀だね」

「あ、別に探してたとかストーカーとかしてたとかじゃないから。たまたま見つけて、」

 だからまったくノープランなのだ。

 お礼って、何すれば良いよ。女子高生相手に。

 食事に誘うわけにもいかないし、金銭なんて渡したらはたから見れば完全援助交際だ。

「……あのさ、言いたくないんだけどさ。おっさん、余計なこと言って自滅するタイプだよね。そんな言い訳、聞かなきゃ思いもよらなかったよ」

「……おっさんからしたら、女子高生なんて未知の生物すぎてどうしたら良いかわからんのよ。下手すりゃ、犯罪者街道一直線だ」

 笑いをかみ殺すようにしている女子高生にため息まじりのボヤキを返す。

「ま、そういうことでおっさんとしてはお礼をしたいと思いつつ困ってるんだが」

「考えすぎじゃない? あと、別にお礼もいらないけど……どうしてもって言うなら、あったかいのおごって」

 拒みすぎるのも悪いと思ったのか、女子高生は近くの自販機を指さす。

 口は悪いけれど、気遣い屋だなぁ。

「お好きなの、何本でもどうぞ」

「全部に売り切れランプがつくまで。……っていったら、出すの? 口は災いのもとだよ」

 完全に呆れ口調の女子高生はミルクティひとつと続ける。

 しっかり者だな、女子高生。

 自販機に小銭を投入して女子高生リクエストのミルクティを押す。

「ありがと。遅くなっちゃったから、行くね。ごちそうさま」

 取り出し口から自分で缶を取り出した女子高生はぺこんと頭を下げて走り去った。



 あれ?

 見覚えのある制服の見覚えのある後姿。

 コンビニのお菓子コーナーで立ち止まったその横顔と目が合う。

「あ」

 やっぱりあの女子高生だ。

 ちいさく頭を下げたのでこちらも無視するわけにはいかないだろう。

「こんな時間に何してるんだ?」

「塾の帰り。まだ十時前だよ」

 高校生の女の子が一人でふらつくには十分遅い時間だと思うのは、こっちがおっさん所以だろうか。

 思いが顔に出ていたのか女子高生はため息をつく。

「別に、ふつー。もっと遅くまでやってる子もいるし」

 女子高生は手に取っていたチョコレートを棚に戻す。

「買わないのか?」

「それじゃ足りない。にくまんにする。おなかすいた」

 空腹のせいなのか妙に言葉がたどたどしい。

「いいねぇ、肉まん。おれもそれにしよう。一個で足りるか?」

「二つも三つも食べたらふとる」

 不満そうにこちらを見上げる顔が子供っぽくて笑える。

 がりがり女子高生が何を言ってる。もっと肉つけたほうが良いぞ。

「ついでに払うよ。……あと肉まん二つね」

 女子高生が戻したチョコレートをカウンターに置き店員に告げる。

「なんで?」

「あ?」

「おっさんにおごってもらう理由ないし」

 不機嫌そうな女子高生にとりあえず肉まん一つとチョコを渡して店を出る。

「お礼が缶ジュース一本じゃあ、かっこつかないでしょ、おっさんとしては」

 チョコと肉まんだって大した金額じゃないけどな。総額五百円もいかない。

「ごちそーさまです」

 なんだか納得いかなげな表情で、それでも一応もらってくれるらしい。

 包みを開けて肉まんにかぶりつく。

「おっさんは、仕事帰り?」

 駅までたらたらと歩いていると半分ほど肉まんを食べた女子高生が口を開く。

「そ。会社近いんだよ、ここから」

 今日は久々早く終わった。というか、明日が休日出勤になったので、やってられるかともろもろ捨ててきた。明日出来ることは明日やればいいんだ……。

「ふーん。遅くまで仕事してるんだね。大変だね」

 思わず苦笑いが漏れる。

「そっちの方が大変だろ。学校のあと、こんな時間まで塾行って勉強して」

 自分の高校生の頃を振り返ると、思い出したくもない。勉強とか、テストとか。

「なんか飲む?」

 駅前の自販機でコーヒーを買った後に女子高生に尋ねる。

「……自分で買う」

 女子高生はどこかむっとしたように自販機にお金を入れる。

「ごめん。迷惑だったか」

「ちがう。おごられっぱなしっていうの、苦手なだけ。おっさんに限らずだから……なに?」

 思わず漏れた笑みに女子高生は不審そうな顔をする。

「なんでもない」

 なんだかんだいって真面目で、口の悪さとギャップがおもしろい。

「あっれー。菅やん、何やってんの、こんなとこで女子高生と仲良く二人で、仕事さっさと引けたと思ったら」

 うわ。めんどくさいヤツに見つかったな。

 会社最寄り駅前でふらふらしてりゃ、見つかるのも仕方ないが、よりによって歩く誇大広告のような同僚に見つかるとは。

「あぁ」

 女子高生、巻き込むわけにもいかないし、どう言い訳したものか。

「あの。お兄ちゃんの会社の人ですか? お兄ちゃんがいつもお世話になってます」

 女子高生が半歩前に出てぺこりと頭を下げる。

 今までのちょっとぶっきらぼうな女子高生はなりを潜めて、にこやかなかわいらしい女子高生に大変身。

 ええと、どういうつもりだ?

「妹?」

「従妹です」

「かわいいねぇ、従妹ちゃん。おにーさんとつきあわない?」

 何がお兄さんだ、いけずうずうしい。冗談にしても腹だたしい。

「先輩。カノジョにメールしてきましょうか? 明日からの旅行がステキなことになりそうですよねー」

 携帯出して見せると表情が凍りつく。

 先輩の彼女も同じ会社の人間だから連絡先も知っている。告げ口なんてし放題だ。そのあたりを考慮してないあたり、迂闊すぎる。

「いやいやいやいや、菅やん。そんなおっかないこと言うなよぉ。じょーだんでしょ、じょーだん」

「もちろん。冗談ですよ、先輩。お二人がけんかして事務所内がぎすぎすするのは、僕としても避けたいですし、ねぇ?」

「じゃ、そういうことで」

 嫌味を混ぜつつ愛想笑いで返すと先輩はそそくさと立ち去る。まったく。

「……なんで、従妹なんて言ったんだ?」

 先輩の姿が見えなくなってから隣の女子高生に尋ねる。

「…………ものすごく、面倒なとこ見られたって顔してた。迷惑だったなら、謝る」

 さっきのにこやかな女子高生は幻だったかのように、つっけんどんな態度。

「迷惑どころか、正直助かった。あの人、一を百にして絨毯爆撃するから、厄介なんだよ。借りばっかり作ってるなぁ、おれ」

 ずっと年下の子供に借り作ってるって、いい大人として情けない。

「『お兄ちゃん』とか呼ばれたときはどうしようかと思ったけどな。いつも『おっさん』なのに」

「だって、」

「おれ一人っ子で妹とか欲しかったから、ちょっとうれしかったかな」

 何か言いたげにこちらを見つめる女子高生の視線に冷たいものが含まれている気がしてあわてて付け足す。

「いや、これからそう呼べとかいう強要じゃないから。断じて」

「……だからさぁ、そういうふうに余計なこと加えるから」

 女子高生はあきれたようにくすくす笑う。

 そんなこと言われてもなぁ。

「じゃあ、またね……菅さん」

 やわらかな声で名前を呼ばれたことに驚いて、何も返せないでいるうちに女子高生の姿は駅に消える。

 なんていうか。

「……かなわないな」

 ため息に混ぜて零して、そしてゆっくりと駅へ向かう。

 きっと、また会うだろう。その時、またお礼をすることにしよう。

 

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