『世界屠畜紀行』――「死」とどう折り合いを付けるか

「世界各国の屠場について、イラスト入りで丁寧に解説されていますね」

「うん、この本に倣って屠畜と呼ぶけれど、屠畜の現場を実際に見て、スケッチしたイラストが非常に分かりやすいと思う。手順も、道具も、文化によって様々だし、こういうことを詳しく書いた本はあまりない」


 葉月は頷いた。確かに、こういう本は探してもあまり出てこない。

 少なくとも、本屋の目立つところには置いていない。


 夕飯の席でこういう話は、相手によっては嫌がるものなのかもしれない。

 けれど目の前で淡々と食事を続ける蛹は、そういうタイプではなかった。

 蛹は咀嚼しながら、手を止めて少し考えるように上を仰いだ。

「ところで」

 と、食べ物を飲み込んでから、再び口を開く。

「この本のもう一つのテーマとして、屠畜に関わる人の社会的地位というものがある。日本では、そういう仕事は低い身分の人が行ってきた歴史があるだろ。他国ではどうか、ということを、見学先でインタビューしているわけだ」

 葉月は頷く。

「その辺も、色々と書かれていますね。文化や宗教が違えば、屠畜に関わる人の社会的地位も変わってくるんですねえ……卑しい仕事と見られている国もあれば、家畜を屠れるようになって一人前、という国もあるみたいですし……もちろん、数ある職業の一つに過ぎない国も」

 うん、と、蛹は頷く。

 そこまでは、別段、この本を読むまでもないことだというように。

「そうして各国の様々な状況をリポートしているのだけれど……」

「ええ、……何か、問題が?」

「この著者の立場は一貫していて、肉を食べる以上は屠畜の現場というものを理解すべきだと考えている。その『理解』の中には、差別意識を消し去ることはもちろん、穢れや恐怖という感覚も無くすべきだという考えが見えるんだよね、何となくだけど」

「ええ、確かに。間違ってはいないと思いますが、うーん……」

何か腑に落ちないという様子の葉月に、蛹は同意するように、後を継ぐ。

「間違ったことは言っていないし、俺自身はそういう感覚で生きている。家畜だけじゃなく、実験動物なんかも含めてね。でも、そう思えない人もいる。穢れや恐怖の感覚を、どうしても拭えない人がね。この著者は、そう言う人たちに対して、考えを改めるべきだという主張なんだ。理解し、共存しようという感じではない」

「ああ、それ。何となく、著者の考えを押しつけられている感じがあるんですよね。書き方の問題かもしれないと思ったけど……」

 蛹は、わずかに首を横に振った。

「穢れや恐怖の感覚というのは、もちろん歴史や文化や宗教が背景にあるわけで、その点については一応リポートしているんだ。でも、そういう文化や宗教的な思想が出来た背景については突っ込んでいない」

「日本や欧米を含めた多くの国々で、なぜ屠畜が日常から切り離されたのか、ということですか」

「そう。……うん、そういうこと」

 ようやく言いたいことがまとまったというように、蛹はわずかに笑って頷いた。

「それはこの著者が述べるような、『可哀想』とか『残酷』という感覚だけじゃない。それはあくまで家畜に対する感情だけど、そもそも屠畜を日常から遠ざけた意図は、それが『死』だからだろう? 自分自身の死も含めての」

「死を連想させるものをできるだけ遠ざけようとした、ということですか」

 うん、と。

 小さく、蛹が頷く。

「文化も宗教も、結局のところ、『死』とどう折り合いを付けるか、ってことじゃないのかな」

 私感だけどね、と、蛹は付け加えた。

「結局は、色々な背景を持った色々な人がいる、って話ですか」

「すごくざっくりまとめたね……」



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世界屠畜紀行

著者 : 内澤旬子

解放出版社 (2007年1月1日発売)


(本稿は2013年11月3日に書かれたものです)

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