『幼年期の終り』――生命の目指すところ

「宇宙人の船で密航して、世界最高のピアニストを目指す話なんですけどね」

 葉月の言葉に、蛹はソファに横たわったまま、視線だけをこちらに向けた。

「……えらくざっくりとした要約だし、そもそもそんな話だっけ、って感じなんだけど」

 ここ二、三日は調子が悪いらしく、葉月が勝手に上がり込んでも起き上がる様子はない。こういうときの彼は、五感を遮断しているかのように、何を言っても反応しないのが常だった。葉月が彼の家で何をしていようと口も出さない。だからこのとき、言葉が返ってきたことに、葉月は少なからず驚いた。

「ええと、じゃあ、宇宙人がやって来て、人類がワンランク上の知的生命体に進化するのを見届ける、という話です」

「ああ、そんな話だっけ……もうちょっとこう、大宇宙的なあれだった気もするけれど……」

「あの、あんまりクオリティ高い要約を求めないでほしいんですけど。それに、無理しなくていいんですよ……?」

 蛹の声は、呼吸のついでに声帯を震わせてみた、というようなものだった。

「ああ、別に気にしないで……でも、そこに転がっている水を取ってくれると、助かるかな」

 葉月は言われたとおり、ローテーブルの横に転がっていたペットボトルを拾い上げて渡した。たまたま手から転げ落ちて、そのまま取りに行くのも辛かったという風だった。彼女が来なければ、多分、喉が渇くに任せていたのだろう。そういうところが蛹にはある。辛い思いをして身体を動かすくらいなら、いっそ干涸らびた方がマシだ、というようなところが。


「……生命体としての進化というのは、環境への適応とか、構造の複雑化とか、まあ色々あるけど……目的は一つしかない」

蛹の声は、水を飲んだせいか、いくらかまともになっていた。

「それは、種の保存ですか」

 葉月は問う。

「まあ、長い目で見れば種も変わるわけだから、厳密に言えば種の連続性―――もっと言うなら、生命の連続性というところかな」

「連続性」

「ああ、でも、ちょっと違うかな……何と言えばいいんだろう」

 ペットボトルを手元で玩びながら、しばらく目を閉じて何か考えているようだった。

 そのまま眠ってしまうのではないかと葉月は思ったが、少しして、蛹はまた口を開いた。うまく言葉が出てこないというように、時折もどかしげに指先を動かしながら、言う。

「ええと、その世界では、人類のほかにも知的生命体は存在しているだろ? それも、人類よりも遙かに高度な科学技術を持ち、遙かに高度な精神性を持った生命体が」

「そうですね。人類を見守るのも、そういう生命体だったかと」

「うん、で、そういう生命体は、宇宙を知り、宇宙を行き来し、意志の交流があり、理解がある。つまりは、全体としての連続性だろうね。一つの宇宙、一つの世界、っていう発想は、あまり愉快なものではないけれど……でも、そこにある種の希望はあるかもしれない。存在の意味とか、証明とか、そういう方向の。あるいは世界との一体感、と言い換えてもいい。この世界の全体を知り、また自分自身がその一部であり全体でもある」

 はあ、と。

 葉月は力なく頷いた。言っていることは分からなくもないが、想像できる感覚ではない。彼女は個であることが何より優先する、しがない旧式の生命体だった。

「それが、生命の目指すところ、と」

「うーん、まあ、そんなとこ、かなあ……」

 蛹はそこで一つの話が終わったというように、大きく息をついた。

「はあ、そんなとこ、ですか……」


 少し間を置いて、ふと思いついたように、葉月が言う。

「それで、生命の連続性って、何か意味があるんです?」

「……さあね。何もないと思うよ。少なくとも、俺はそんなものに希望なんて感じないしね……だって、この身体ひとつ自由にならないんだ。続いたところで何になる?」

 そして、蛹はもう体力と気力の限界というように、目を閉じてしまった。




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幼年期の終り (ハヤカワ文庫 SF )

アーサー・C・クラーク

早川書房 / 1979年4月1日発売


(2013年10月5日)

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