『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』――その社会性を、人間の条件とした
「他者に共感することが、人間の証? 笑っちゃうよね」
彼はそう言ったが、顔は笑っていなかった。いや、わずかに微笑みは浮かべていた。けれどもそれは、おかしいから笑っている風ではなく、ただ、これといって浮かべておくべき表情が見つからないので、仕方なく微笑んでいるという印象だった。
「俺はむしろ、その真逆じゃないかと思うのだけれど」
彼の言葉について、葉月はコーヒーをすすりながら、少し考えた。
「それは共感しないこと、と? つまり、他者の感情を理解しないこと、ですか?」
「理解というものが、一体何なのか分からないけれどね」
彼は、言う。
「共感というのは、相手の気持ちを『分かる』ことだろう?」
「ええ。それはこの本の中にも描写がありますね。例えば凄惨な場面において、その当事者を憐れむ気持ちだとか……ふーん、だとしたら、人間失格なんていくらでもいるんじゃないかしら」
「まあ、それもある。他人の不幸をハイエナのように食い荒らす奴らがね。でもそれが自然だ。違う人間に育てられ、違う経験をしてきたなら、違うことを感じるのが当たり前じゃないか」
「では、共感、とは?」
「感情のコピー。ムードオルガンと同じだろ。例えば、ある場面に遭遇する。それがムードオルガンのスイッチだ。それによって、皆が同じ感情を抱く」
「でも、映画も本も、そういう風に作られているでしょう? 泣きどころと笑いどころが用意されていて、感想だってみんな同じ」
「でもそうでなければ、ヒットは生れない」
彼はそう言って、頷く。そして今度こそ、おかしそうに笑った。
「もう一歩踏み込めば、そうでなければ社会は成立しない。異なる個の相互理解なんてハードルの高い話は諦めて、個の均一化を社会性と定義した、ということかもしれない」
「そしてその社会性を、人間の条件とした」
「うん、つまりは、そういう話じゃないのかな」
彼はソファを立ち、コーヒーを淹れ直すためにキッチンに入っていった。
残された葉月は、とりあえず残っていたコーヒーに口を付けた。冷めている。猫舌のアンドロイドなんてのも、あるのだろうかとふと思う。
キッチンから、彼の声が聞こえてきた。お湯を沸かしている間、彼も暇なのだろう。
「そういえば昔、AIBOなんてのもあったね」
「ああ、電気犬」
「この小説風に言えば、そうなるね。今では忘れられているけれど、発売当時は飛ぶように売れた。見るからに機械だろ? でも、売れた」
それは独白のようだった。葉月は冷めたコーヒーをすすりながら、彼の言葉を聞いていた。
「あれはね、結局のところ、対話しうるかどうかなのだろうね。子どもにとっての縫いぐるみと同じだ。語りかけ、想像だとしても何かしら答える声がある。それに癒されるなら、生きた犬と何も変わらない」
そして、やがて彼は新しいカップを二つ持って戻ってきた。
「でも、まあ、賢くも愚かな俺たちは、残念ながらアンドロイドは人ではないと『知って』しまっている。彼らの言葉が、人間によって作られた工業製品だと知っている。故にそれに人格を見いだすことはない」
「人間の証など、主観的なものだと」
「ま、その辺に落ち着くよね」
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アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF )
フィリップ・K・ディック
早川書房 / 1977年3月1日発売
(本稿は2013年9月29日に書かれたものです)
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