第7話 彼女

 菅原の人気のなさからもわかっていたことだけれど、女の子は、浮気だとか二股だとか、不誠実な行為については徹底して厳しいものらしい。

 そしてそれは、同性に対してのほうが、より厳しくなるものらしかった。


 いざ人にとられると惜しくなるのだろうか。お世辞にもこのクラスでの菅原の人気は高いとはいえなかったはずのに、八木が菅原と付き合いだすと、途端にクラスの女子たちの八木への態度がよそよそしくなった。

 全員が全員そうというわけではなかったけれど、一部の女子たちは結構あからさまだった。菅原と八木が一緒にいると、遠慮なく視線を向け、顔を寄せて会話を始める。毎回なにをそんなに話すことがあるのかと不思議なくらいだが、彼女たちには尽きない話のネタがあるらしく、飽きることなくそれを繰り返していた。そして八木はそれに気づいているようで、教室での彼女は、なんだか居心地が悪そうにしていることが多くなった。

 菅原と一緒にいるときとはまた種類の違う、冷たい非難の視線が八木へ向けられていることにも、俺は気づいていた。それは決まって、八木が俺と一緒にいるときだった。友達のほうに近づいてうまいこと取り入ったのではないかという、女子生徒の言葉を思い出す。

 そういう見方をするのは、どうやらあの子だけではないらしかった。



「あー、さっむ」

 ぶつぶつとそんなことを呟きながら菅原が教室に入ってくると、八木は弾かれたように顔を上げた。机の上に置いていた両手を意味もなく膝の上へ持っていき、猫背気味だった背中をぴんと伸ばす。

 菅原はしっかりマフラーを巻いて、校則で禁止されているニット帽まで深々と被っているというのに、ひどく寒そうに背中を丸め、両手をせわしなく擦り合わせていた。

 おはよう、と挨拶をする八木の声からは、あいかわらず緊張の色が抜けない。菅原もいつもどおりの笑顔でおはよう、と返してから

「手袋が欲しくなるなあ」

 両手に息を吹きかけながら、八木へ向けてというより独り言のような調子で呟いた。そんな何気ない言葉にも、八木はやたら真剣な表情で相槌を打っていた。


 いつものように八木の隣の席に座りながら、菅原はふっと俺のほうを見て

「そういや、なんで清水も最近早く来てんの?」

 と聞いてきた。

「八木ちゃんと喋りたいからですよ」

 何とはなしにそんなことを言ってみれば、菅原には、あっそ、と軽く笑っただけで流された。隣の八木も、おかしそうに笑っただけだった。予想はできていたけれど、ここまで淡泊な反応を返されるとさすがにちょっと傷つくなあ、と思っていると

「あ、そうだ八木。今日さ、先帰ってていいから」

 唐突に菅原が言った。え、と八木は少し不安そうな声を漏らす。

「どうして?」

 かすかに強張る表情で尋ねる八木に、菅原はいつもと何ら変わらない笑顔で

「なんかよくわかんねえけど、親が、早く帰ってこいって言ってて」

 ひどくさらっとした口調で言った。聞き慣れた台詞だ、と思いながら菅原のほうを見ると、菅原も一瞬だけこちらを見て目が合った。言うなよ、とでも言いたかったのだろうか。心配しなくても、俺はなにも言う気はなかった。

 八木は視線を落として、そっか、と強張る表情のまま呟く。

「じゃあ部活も出ないんだね」

 うん、と頷いてから

「ごめんな。一緒帰りたかったんだけど」

 菅原がそう言って優しく笑うと、八木はぱっと顔を上げた。慌てたように、首を大きく横に振る。

「う、ううん、いいよっ」

 余裕のない顔で笑う八木を、なんだか哀れだと思いながら、俺はぼんやりと眺めていた。



 手編みのマフラーとかさ。右手に持つゴミ箱の角を度々床にぶつけながら、沙代ちゃんが言った。

「いいと思わない?」

 彼女の反対側からゴミ箱を持っている俺は、少し腕を持ち上げてゴミ箱を床から離しつつ

「なに、菅原の誕生日プレゼント?」

 と、一応確認しておく。沙代ちゃんは短く頷いて

「他の女の子とは違う、郁美の家庭的なところとか甲斐甲斐しいところとかアピールできそうじゃない。手作りのプレゼントって、やっぱり嬉しいものでしょう。良いアイデアじゃない?」

 満足そうに聞いてくる沙代ちゃんに、俺は、んー、と声を漏らすと

「いいとは思うけど、でも」

 俺の渋い反応に、沙代ちゃんは首を傾げて「なに?」と言った。

「菅原さ、この前マフラー新しく買ったんだよね」

「え、そうなの?」

 うん、と苦笑しつつ頷いてから

「だからマフラーはちょっと、良くないかも」

 沙代ちゃんは短く相槌を打ってから、視線を空中へずらし、うーん、と唸った。

「じゃあ何がいいのかなあ」

 自分のことのように真剣に悩んでいる沙代ちゃんは、さすが友達思いのいい子だと、頭の隅で思いながら

「手袋は?」

 と、ふと思いついたことを提案してみた。

「手袋?」

「うん。菅原、欲しいって言ってたし」

 今朝の菅原の言葉を思い出してそう付け加えると、沙代ちゃんはぱっと表情を明るくして

「なんだ、そうなの? じゃあ決まりじゃない」

 と、満足げに笑った。


 中身が空っぽになり軽くなったゴミ箱を沙代ちゃんから受け取ってから、教室へ向かって歩き出したとき、「ねえ清水くん」と、にわかに沙代ちゃんが低く呟いた。振り返ると、彼女がけわしい表情でこちらを見ていたので、ちょっと驚いた。

 なに、と聞き返せば

「菅原くんってさ、どうなの。大丈夫なの?」

 ひどく言いづらそうに、そんなことを聞いてきた。

「大丈夫って?」

「だから、ほら……菅原くんって、なんていうかさ、女の子にだらしないでしょう。平気で二股かけるとか聞くし……今も、もしかして郁美の他にも、付き合ってる子とかいるんじゃないかって」

 疑っているというより、ほとんど確信しているような口調で、沙代ちゃんは言った。俺は曖昧に笑うと

「どうだろ。俺もよく知らないんだよね」

「菅原くんと、そういう話しないの?」

「あんまり。菅原、そういうこと喋りたがらないから」

 そっか、と沙代ちゃんはけわしい表情のまま呟いて、ため息をついた。


 菅原の女の子関連の事情について、詳しいことは知らない。菅原は進んで話そうとしないし、それなら俺も、あまり聞き出したいと思う話でもなかったので。

 ただ、二週間前に付き合い始めたという他校の彼女の存在は知っていた。別れたという話は聞かないし、菅原が二週間ぐらいで彼女と別れるなんてことは今までなかったし、きっとまだ関係は続いているのだろうと思う。だけど、そこまで沙代ちゃんに教えてやる気はなかった。



 言っていたとおり、終礼が終わると菅原は八木を置いてさっさと教室を出て行った。沙代ちゃんも航も放課後は用事があるらしかったので、久しぶりに八木と二人で帰ることになり、靴箱までやって来たときだった。

 脱いだスリッパを拾おうと腰を屈めたとき

「だいたいさ、どう考えても遊ばれてるでしょ。わかんないのかなあ」

 下駄箱の向こうから聞こえてきたのは、聞き慣れたクラスメイトの声だった。嘲るように笑う高い声は、ひどく醜く響く。先日図書室で聞いた笑い声と、よく似ていた。

 同じようにスリッパを拾おうとしていた八木が、ふっと動きを止めるのが、視界の端に見えた。

 だよね、と下駄箱の向こうで同意の声が続く。同様に、いやに耳に響く高い声だった。

「今日だって、どうせ他校の彼女さんのところに行ったんでしょ、菅原くん」

「あー、知ってる知ってる。この前見たけどさ、すっごい美人だったよ、その人。間違いなくあっちが本命だよね」

「多分さ、清水くんと仲良いじゃない。八木さんって」

 下駄箱の向こうにいるのは、例の三人の女子のようだ。一人がはっきりと八木の名前を口にしたとき、なにも聞こえない振りをして下駄箱から靴を取りだそうとしていた八木が、びくっとして一瞬手を止めた。

「だから、清水くんに菅原くんとの仲取り持ってもらったんじゃないの」

「だろうね。清水くん、優しいからねえ」

「でも虚しくならないのかなあ。あたしなら絶対嫌だな。本気で好かれてるわけじゃないってわかってるのにさ。なんかみじめじゃない」

 他の二人も笑いながら頷く。引きつった表情で靴を取り出している八木は、どうやら聞こえぬ振りを決め込んでいるようなので、俺も彼女に合わせることにした。無駄に大きな声で行われている下駄箱の向こうの会話はまったく気にしていない素振りで、靴を取り出すと

「八木ちゃん」

 三人と鉢合わせるのを避けたいのか、やたらのろのろとした動作でスリッパをしまっている八木へ声を掛ける。すると彼女はようやく我に返ったようにこちらを向いた。

「行こっか」

 軽い調子で促せば、八木はなんだかほっとしたような表情で小さく頷いた。それでも、笑おうとしているらしい口元は、ひどく引きつっていた。


 そしてまた、こういうときに図ったようなタイミングで現れるのがナナコだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る