聖典②

 少年は学校の枠組みに存在するあらゆる校則を嫌っていた。人権宣言を諳んじさせる一方で、主張の許されない一方的な法の拘束が無垢な少年少女の自由を奪っている。社会の授業では、人間が権力に戦いを挑み自由を獲得してきた歴史が紹介されているが、現実の教室に目をやるとそこでは歴史を逆行するような腐敗が進んでいるのが分かる。教師たちは、自分自身で人類の進歩を語りながら、偉大な革命の足跡に土をかけていることに気付いていない。

 ところで、少年はそんな滑稽な授業科目の中でも社会を、詳細には世界史を好んでいた。世界史を習うのは二年生からというのが彼の通う学校の通例であるが、彼はすでに基本的な知識を参考書から学び取り、その知識では教室の誰よりも長けているとの自負を抱いていた。なぜ彼が普段毛嫌いしている教室の学問に専心しているかというと、これも聖典に刻まれるべき言葉を探っているからである。少年は、ただ無目的に時間を消費して自らの好奇心を埋めることに熱中できるほど社会の目から自由でなかった。あわよくば、試験の点数も得られるという打算を隠しながら、彼は歴史を探り共感を見つけ出そうとした。歴史上に名を遺す程の人間との共感。それは、何より彼の自尊心の癒しであった。

 初めての三者面談で担任の教師は少年に問う。

 「いつもおとなしそうに見えるけどクラスは楽しいかな。」

 そこにはまさに教師らしい忖度があった。もちろん直接的に彼の孤独への配慮を見せてしまうと、繊細な彼の自尊心を大きく損ねかねない。そして、親を目の前にして、この現状に一切触れないこともまた後に起こりうるなにかを予想するに避けられないことだ。

 「どうなの。部活もやってないんだし、周りの人とは仲良くできてる。」

 母もその呼び水に応え、普段聞くことのできない気がかりを問う。

 彼は大丈夫ですと答え、教師はそうかと返す。確信には踏み込ませない。上辺だけのやりとりで自らの緻密な思想哲学に踏み込まれることを彼は嫌がった。彼は、いくつかの言葉を思い浮かべた。

 「孤独こそが思考の源である。」

 「烏合の衆に加わるものなどは、いくつあっても小心者だ。」

 「 少年は学校の枠組みに存在するあらゆる校則を嫌っていた。人権宣言を諳んじさせる一方で、主張の許されない一方的な法の拘束が無垢な少年少女の自由を奪っている。社会の授業では、人間が権力に戦いを挑み自由を獲得してきた歴史が紹介されているが、現実の教室に目をやるとそこでは歴史を逆行するような腐敗が進んでいるのが分かる。教師たちは、自分自身で人類の進歩を語りながら、偉大な革命の足跡に土をかけていることに気付いていない。

 ところで、少年はそんな滑稽な授業科目の中でも社会を、詳細には世界史を好んでいた。世界史を習うのは二年生からというのが彼の通う学校の通例であるが、彼はすでに基本的な知識を参考書から学び取り、その知識では教室の誰よりも長けているとの自負を抱いていた。なぜ彼が普段毛嫌いしている教室の学問に専心しているかというと、これも聖典に刻まれるべき言葉を探っているからである。少年は、ただ無目的に時間を消費して自らの好奇心を埋めることに熱中できるほど社会の目から自由でなかった。あわよくば、試験の点数も得られるという打算を隠しながら、彼は歴史を探り共感を見つけ出そうとした。歴史上に名を遺す程の人間との共感。それは、何より彼の自尊心の癒しであった。

 初めての三者面談で担任の教師は少年に問う。

 「いつもおとなしそうに見えるけどクラスは楽しいかな。」

 そこにはまさに教師らしい忖度があった。もちろん直接的に彼の孤独への配慮を見せてしまうと、繊細な彼の自尊心を大きく損ねかねない。そして、親を目の前にして、この現状に一切触れないこともまた後に起こりうるなにかを予想するに避けられないことだ。

 「どうなの。部活もやってないんだし、周りの人とは仲良くできてる。」

 母もその呼び水に応え、普段聞くことのできない気がかりを問う。

 彼は大丈夫ですと答え、教師はそうかと返す。確信には踏み込ませない。上辺だけのやりとりで自らの緻密な思想哲学に踏み込まれることを彼は嫌がった。彼は、いくつかの言葉を思い浮かべた。

 「孤独こそが思考の源である。」

 「烏合の衆に加わるものなどは、いくつあっても小心者だ。」

 「偉大な事をなすには、否応にも周囲との隔絶を経験せねばならない。」

 そして、彼は当たり障りのない進路に関する質問を一つ二つして、上辺のやり取りの舵を取った。


 彼のクラスには彼と同様の境遇にある少年Bがいた。Bは、いつ何時と文庫本の小説を手から離さず、暇さえあればそれを読むことに没頭していた。そんなBが入れ違いに三社面談の席へと向かうところにすれ違った。廊下を歩くBは、母親の目を気にしながら気まずそうであった。いつもは、俗世に我関せずのBもやはり純然とあのポーズを取っているわけではないのだ。そんな帰り際の映像を、母の運転する自動車でながれるパンクロックにのせて回想していた。

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