第2話 轟く銃声

その晩遅く、外の景色を見ようと何気なくバルコニーへ出てみると、美羽さんが自室のバルコニーで一人座っているのが見えた。すぐ声を掛けるのはやめ、じっと彼女の様子をうかがった。彼女は上を見上げて空を覆いつくしている星を眺めたり、じっとうつむいては考え込むような仕草をしていた。そうしてどれだけの時間がたっただろうか。ほんの数分なのか、半時間ほどが過ぎたのか時間の感覚がなくなっていたその時、美羽さんが立ち上がり、周囲を見回した。咄嗟のことで身動きが取れずにいた僕と目が合った。その時美羽さんの瞼の中に月明かりに照らされて、光るものが見えた。

 僕は、慌ててバルコニーにいた言い訳を考えた。なにも、そんな必要は無かったのかもしれないが。

「こんばんは。なかなか寝付けなくて……バルコニーに出たら、星がきれいで見とれていました。もうお元気になったんですね」

「ちょっと疲れただけですから。少し休んでいれば大丈夫です」

「ロビーで少しお話しませんか? もし嫌でなければ」

「そうね、ではロビーで待っていてください。すぐ支度をしますから」

 美羽さんは、軽く手を振って部屋へ戻っていった。確かに美羽さんは何かを考えながら泣いていた。何を心配しているのだろう。

僕は、すぐにロビーへ行きソファに座った。

「お待たせしました。暖かいココアを持ってきてもらうように頼みました」

「ココアですか。いいですね。お呼びだてしてしまったみたいで、申し訳ないです」

「いいの、私もちょっと退屈していたから。私のこと変な女だと思ってるでしょうねえ」

「いえ、とても聡明で……神秘的な方だと思います。この船はどこへ向かっているんですか?」

「南東へ進んでいます」

「南東ですか。どんどん日本から離れてしまいますよ。僕はパスポートを持ってくるようには聞いていませんので、外国へ入国することはできません」

「大丈夫、外国へは行きませんから。このまま進めば小笠原諸島に着くでしょう」

 美羽さんはふっと悲しげな表情をし、外へ視線を写した。

 船のゆったりとした揺れに一日中身を任せていたこともあり、胸の奥底に吐気がたまっていくようだった。僕とハコさんは美羽さんに操られているような気がしていた。

「そろそろ部屋へ戻って休みます。おやすみなさい」

 そういうと、美羽さんはポケットからハンカチを出し汗を拭くと部屋へ戻った。

僕は、美羽さんの言葉が頭の中でぐるぐると回っていたが、まるで迷路の中に立たされ出口を見つけられない子供のようだった。

 部屋へ戻って、いままでの考えを整理しようと立ち上がった。

と、その時、テーブルの下の赤いじゅうたんの下に、小さな透明な袋に入った、長方形の包みが見えた。あれは、なんだろう? 

僕は手の平に乗せた。それは……薬だった。美羽さんの忘れ物では……すぐに届けようか。

僕は、迷った末に、すぐには届けずにハコさんに話してみることにした。ハコさんの部屋は僕の部屋のすぐ隣になっていた。

「ハコさん、この薬、あなたのではありませんよね?」

「違います。一体この薬……どこにあったんですか?」

「先ほど美羽さんと話をして、彼女が部屋へ戻った後でテーブルの下を見ると、これが落ちていたのです。あなたのじゃなければ、美羽さんが落としたのでしょう」

「もしこれが美羽さんのものだとすると、彼女重い病気にかかっています」

「重い病気というと?」

「大変言いにくいのですが、これは……癌(悪性腫瘍)の治療薬です」

「ハコさん、あなたはなぜ……そのことを」

「なぜわかるのかって、私ドラッグストアで働いているんです。私、薬の名前は色々知ってます。この薬は調剤薬局でなければ買えません。薬剤師をしている同僚に聞いたことがあります」

「そうだったんだ」

 パズルのピースがつながっていくような気がした。

「重い病気を患った美羽さんは、元気なうちに自分のやりたいことをしようと思った。そして、町内会の福引のスポンサーとして旅行券を提供し、それを当てた二人を旅のお供に選んだ」

最後の旅のお供、一体それって何なんだ。

「最後の旅になるかどうかはわかりませんが、何か思い詰めているような雰囲気は伝わってきました。美羽さん何をたくらんでいるんでしょうか?」

 一人で海を見つめて流した彼女の涙の理由を突き止めなければ。そうしないと何かが起こりそうな予感がする。

 食事の時間が来て、三人が顔を合わせた。

「あの、昨夜ラウンジに落としませんでしたか。美羽さんのじゃないかと思ったんですが、時間が遅かったんで持っていました」

「わたしのです。風邪をひいてしまったようで、ありがとうございます」

 美羽さんは、そういって薬を受け取ると、急いでバッグに入れた。病気のことは言いたくないだろう。

「美羽さん、そろそろ話していただけませんか。この旅行の本当の目的を」

「またそのお話ですか。お二人は、偶然この旅行でご一緒しただけ。何も目的なんてありません」

「大変な病気を抱えてまでこの旅行を計画した目的は、一体何なんですか?」

 一瞬美羽さんの表情が凍り付き、青ざめ震えていた。

「私はたくさんのものを持っている。でもそんなものは病気の私にはまったく価値がない。若いお二人には、自由に使える時間が有り余るほどある。私とお二人の住む世界は、遠く隔てられているんです」

「美羽さん、そんなことを言わないでください。みんな限られた時間を過ごしていることには変わりはない」

「きれいごとは言わないで! 私、お医者さんからあと三か月の命だって言われました。三か月で何ができるっていうんですか? だから私は……」

「僕たちと過ごしたかったんですか?」

ベランダで、空を見上げていた時の横顔、瞳の中にあった涙。それが嘘だとは思いたくなかった。

「私は、あなたたちの運命を操りたかったのよ! もうほっといて!」

 美羽さんはガタンと立ち上がり、ダイニングから走り去った。

「美羽さん、人生の最後に他のお客さんは乗せずに静かに旅をしたかったのね。それが可能だから最高に贅沢な時間を過ごしたかった」

 ハコさんが同情を込めてつぶやいた。

果たしてそうだろうか。どうしたらいいんだ! 何かがおかしい。何が。

僕は立ち上がり、全速力で駆け出した。目的地は、もちろん、彼女が涙を流していたあの部屋。美羽さんの部屋だ!

 僕はドアを思いきりノックした。

「美羽さん、開けてください。お願いします」

 部屋に戻っていったはずなのに、物音がしなかった。いてもたってもいられなかった。僕は、思い切りドアノブを回そうとした。

が、当然のことながら、中からロックしてあり開かない。

誰か、誰かいないのか!

キーを持っている人は……そうだ! いつも、美羽さんのそばにいる部屋係の男性が合い鍵を持っているはずだ。

 僕は近くの部屋のドアを片っ端からたたいた。ドアの一つが開き、世話係の男性が顔を出した。

「お願いです。美羽さんの部屋を開けてください! 様子がおかしいんです。早く!」

 彼は、慌ててベッドにつまずきながら、引き出しを開けて鍵を取った。

急いでくれ!

 再び美羽さんの部屋のドアを力任せにたたいた。

「美羽さん、美羽さん、開けてください!」

 僕は、今度は叫び声を上げた。

どうにか間に合ってくれ! 僕は祈るような気持で、部屋のドアをたたき続けた。額からは汗がにじみ、心臓の鼓動が早くなり、体がぶるぶると震えていた。鍵はまだなのか!

 やっと世話係の男性がカギ穴にキーを差し込み、ドアノブを回した。

 どうか無事でいてくれ! 祈るような気持で二人で部屋内部へ倒れ込んだ。

 ベッドの横に、手に銃を持った美羽さんが立ち尽くしていた。入ってきた二人を見て、体をこわばらせ、銃口をこちらへ向けた。

「美羽さん、やめろ! こんなことで、あなたの大切な船を汚さないでくれ!」

「あなたに何がわかるの? 私の最後の旅に付き合ってくれたあなたたち、私の人生の最後にも付き合ってもらうわ!」

いつの間にか騒ぎを聞きつけたハコさんが僕たちの後ろにいた。

「美羽さん、銃を下ろしてください。私たちの命も美羽さんの命も、この海の上では同じ長さしかありません。私たち同じ運命で漂っているんですから。美羽さん、命の続く限り生きてください!」

 美羽さんの顔がゆがみ、銃を握る手が震えだした。銃口を下に向けて、皆がほっとした次の瞬間、銃は美羽さんの頭の方を向いた。

「ダメだ、美羽さん!」

銃口が美羽さんの頭部に向かう直前に、世話係の木本さんが、美羽さんにとびかかった。

耳をつんざくような銃声がして、まるで機械仕掛けの人形のように、二人はベッドの横に倒れた。

僕の口からは、

「あっ」という小さな叫び声だけしか出なかった。

銃に対する恐怖で、逃げだしたい衝動にかられたが、必死で体だけを前に進めた。

「美羽さん! 木本さん! 返事をしてください」

 最悪の事態を予想し、吐きそうになるのをこらえながら、視線を頭部に向けた。

美羽さんは、微動だにしなかった。そして、静かに木本さんだけが、目を開けこちらを見た。安どの表情をしていた。では、この銃から発射された弾丸はどこへ行ったんだ?

「天井を見てください。あそこに穴が開いています」

 ハコさんが僕の顔と天井を交互に見て、消え入りそうな声を発した。そこにはくっきりと穴が開いていた。

「よかった。美羽さんは……無事だった」

 木本さんがゆっくりと起き上がり、美羽さんの上半身を抱え起こした。

「美羽さん! 分かりますか。僕です、木本です」 

 彼は、美羽さんの耳元で大きな声を出した。そこに居合わせた三人はかたずをのんで見守った。美羽さんは、かすかに口元を動かし、うーんと唸り、顔をしかめた。目を開けても事態が呑み込めないようだった。

「うーん、私、生きてるんですか? 弾は当たらなかったんですね」

「頭をかすめて、ほら、天井に穴が開いています」

「私、生きててよかったんでしょうか?」

 苦しい思いをしながら治療をし、果たして残りの人生を充実して過ごせるのかどうか、逡巡している様子が見て取れた。

「生きてていけない人なんかいるわけないじゃないですか。美羽さんは、僕たちに旅行をプレゼントしてくれた。この旅の終わりまで、僕たちと一緒に楽しい時間を過ごさなきゃダメすよ」

「美羽さん、一人で苦しまないでください!」

 ハコさんがしゃくりあげながら、精いっぱいの声を上げた。

この旅行をプレゼントして、僕たちを道ずれにしようとしたことが、美羽さんが暗闇の中から、灯りを見つけようともがいていた心模様を表しているのだと思った。最悪の結末だけは避けることができ、僕は膝から崩れ落ちた。

「命の火が消えるまで、もう少し生きろっていうことなんですね」

 美羽さんは、そういいながら、涙を浮かべていた。僕たちにではなく自分自身に言い聞かせるように。

 僕たちは丸二日ほどかけて、小笠原に到着した。地平線に沈んでいく夕日や、鯨の潮吹きを見て歓声を上げた。島に上陸し、固有の動植物を見て回った。

 帰りの船旅は、美羽さんの身の上話を聞き、最後には皆すっかり打ち解けて、よく食べ、トランプなどに講じた。

 僕とハコさんは時間を見つけては美羽さんを見舞った。日ごとに衰えていく美羽さんを見るのは辛かったが、

「まだミステリーツアーは続いているんですよ」

 などと冗談を言って笑った。


そして一年後、僕とハコさんは再び前回と同じツアーに参加していた。今度は、大勢の乗客が乗り込み、船内は賑やかだ。二人は、船内での再開に喜び合った。

「またこのツアーに参加できるとは思わなかったわ」

「ほんとだね。美羽さんの計らいで、またスイートルームに泊まることができた。美羽さんがいないことだけが前回と違うけど……」

 ハコさんが、寂しげに海のかなたを見つめていた。

 僕たちは、美羽さんから旅行の招待状をもらっていた。送るようにと、木本さんに頼んでおいてくれたらしい。今回は福引の当たりではない。

一年前の旅の最後に三人で撮った写真を、僕は大切に抱えて、海に向かって小さな花束を投げた。

「来年も一緒に来よう、って言ったでしょ……美羽さん」

 今回は、二人だけのミステリーツアーになってしまった。

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ミステリーツアーにようこそ 東雲まいか @anzu-ice

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