ミステリーツアーにようこそ
東雲まいか
第1話 クルーズへ
ここ、やすらぎ通り商店街では、年に数回福引をやっている。僕、風間夏樹はいつもこの商店街で買い物をするので、期間中は、買い物の度に抽選券をもらい、ポケットの中には抽選券がたまっていくことになる。ポケットに手を突っ込むと、福引券の束に手が触れた。これだけたまったんだ。何か当たるかもしれない。今日は引いていこう。
商店街のわき道に福引を引く場所が設けられている。そこでは、取っ手を持って回転させて球を出す、昔風の福引の箱を使用している。ガラガラと音を立てて回転させ、色のついた球をひとつづつはじき出す。
「八回です」
係の女性が言った。
回すたびに、どうか赤以外の球が出ろ、と思いきり念じる。赤は外れだ。ティッシュしかもらえない。回す手に力が入り、手に汗がにじむ。係の女性はそんな気持ちを知ってか知らずか、平然と見守っている。チャンスは八回か……
一回回し、赤い球が出ると、がっくりと失望感に打ちのめされる。そんなことを七回繰り返し、最後にはもうどうにでもなれと渾身の思いを込めて回した。取っ手を握る手には、力が入り回転するときの球がぶつかり合ガラガラという音が悩ましい。
―――ことり
あーーれーー、白い球が出てきた。七つの赤い球の後に、白い球が一つ。
―――これは何等賞なんだろうか!
女性の表情が、急に笑顔に変わり、置いてあったベルを思いきりふり、甲高い音を出した。
カラーーン、カラーン。
「おめでとうございまーす、一等賞豪華旅行当選でーす!」
「当たったんですか。一等に!」
「はい、一等にみごと当選しました!」
「信じられない! 何度も福引を引いたことはあるけど、一等が当たったのは初めてです」
「一等が当たった方は、ほとんどそうおっしゃいます。どうぞ、こちらが一等の旅行券です」
「ハイっ、ありがとうございます!」
「楽しいご旅行を!」
久しぶりの旅行、しかし行先はどこだろうか?
「あの、行き先はどこですか?」
「さあ、私どもにはわからないんですよ。詳しい内容につきましては、目録をお読みください」
「そんなあ。あっ、ああ、わかりました」
まあ中身を見てみよう。当たりには変わりない。何か特別な趣向が凝らされているのだろう。
『ミステリーツアーにご招待』
ほお、ミステリーツアーか。行き先を知らされずに行く旅行だ。聞いたことはある。
チケットには出発日と時刻、場所が書かれている。持ち物は着替えのみ。全行程食事付きと書かれていた。至れり尽くせりだな。きっと豪華な旅行に違いない。その日から、旅行の日が待ち遠しくてたまらなくなった。
旅行の日がやってきた。スーツケースに、着替えを詰めこみ集合場所へ行くと、大きな黒塗りの車が待っていた。中からアシスタントと思しき人が出てきて聞いた。
「風間夏樹様。お迎えに上がりました。」
黒いスーツを着た精悍な表情の男性が、恭しく車のドアを開ける。
ヴィップ待遇だな、と優越感に浸りながら、道行く人を一瞥して乗り込む。特別感満載で興奮してくる。人間の格も上がったような気がする。
「シートベルトをお締めください」
礼儀だだしい態度に、ゆったりと腕を横にし、安心しきって深々と体をシートに沈めた。
「これから港へ向かいます」
「港って、あれ、船に乗るんですか」
「この旅は、豪華客船でクルーズをするツアーです」
「わお、そうだったんですか」
なんだ、早く言って欲しいなあ。
車は、ほとんど揺れることなく港へ着き、案内されるまま船に乗り込んだ。
「こちらのお部屋です」
案内された部屋は、
―――なんと、最上階の最も広い部屋、スイートルームだった。
広さは2LDKぐらいはあり、船の中にホテルの部屋が現れたようなものだった。
「どうぞごゆっくりおくつろぎください」
「おー、広いねえ。ほんとにこんな旅行に招待してくれたのか」
「ハイハイ、太っ腹な方ですから」
「なんか言った?」
「いえ、なんでもございません。もうすぐ出港でございます」
「そう、クルーズと言えば、出港の際にテープを投げたりデッキでウェルカムドリンクを飲んだりしないの? 乗ったことないけど知ってるよ」
「そういった催しは行っておりません。ただしサロンで、お嬢様が歓迎のパーティーを計画していますので、どうぞおいでください」
「お嬢様って?」
「この船の持ち主のお嬢さんです」
「それはすごい。今すぐ、伺います」
部屋には大きなベッド、応接セット、ライティングデスク、テレビがあった。部屋は最上階にあったので、入船したときに通ったサロンへ降りていった。一人の女性が、サロンのソファに深々と寄りかかり、こちらの動きをじっと追っている。
「あの……この辺にお嬢様がいらっしゃるはずなんですが」
「ハア? 私がそのお嬢様よ。どうぞお掛けになって」
余りにラフな服装、くつろいだ姿勢が意外だった。
自分でお嬢様と名乗ったその女性は、体を斜めにし、あごに手を置き目をすっと細めた。
「私は寺島美羽。見事福引で一等賞を射止めた幸運なあなたを歓迎するわ。よろしくね」
右手を差し出したので、急いで僕も手を出し握手した。柔らかく小さい手だった。
「運がよかったんです。こんな船に乗るの初めてです。今まで、福引で二等にも当選したことがなかったんですけど、ついてました」
「そう、喜んでくれてよかったわ」
そう言って、遠い目をしている。歓迎の言葉は掛けてくれたが、どことなくつんとお高く留まっていて、人を寄せ付けないょうな雰囲気がある。
話をしていると、向こうの方から、もう一人女性がやってきた。ひざ丈ほどのフレアスカートに、ブラウスを着ている。
「どうぞお掛けになって」
「ありがとうございます。神崎ハコです。私、福引で当たって、ミステリーツアーっていうからどんなどころに行くのかと楽しみにしていたら、すごいですねー。豪華客船でクルージングなんて」
彼女は、興奮で頬を上気させていた。
「オホホホ、落ち着いてくださいな。喜んでくれてご招待した甲斐があったわ」
「どうぞよろしくお願いします。そうそう、一つ聞いていいですか? さっきから、気になっていたんですが、他のお客さんに合わないんです。一般のお客さんたちとは別のスペースで生活するんですか。なんせ、私スイートルームに泊まるのなんて初めてなので」
「実はね……」
美羽は額に手を置いて一呼吸した。
「お客さんはあなたたちお二人だけ。特別ご招待なのよ」
二人だけとはどういうことなのだろうか。
僕は言いようのない不安に襲われた。
「そんな、いくらお金持ちのお嬢さんでも、そんなもったいないことをするなんて」
「どうして、二人だけなんですか? 人が少なすぎて、なんだか怖いわ」
ハコは、次第に小さくなっていく陸地を見据えて言った。
「あら、もちろん食事や飲み物の用意をしたり、部屋を掃除する係員は十分に乗っているからご心配なく」
「そんなことじゃなくて……」
ハコは、どうにか必死で不安を顔に出さないように努力し、泣き出しそうな気持を押さえているようだった。
「お二人とも、ただでこんな豪勢な旅行が出来たのよ。もっと喜んでくださいな」
この時、薄いブルーのサングラス越しに美羽の眼がちらりと見え、水晶の様にきらりと光っていた。僕は、そこで美羽さんと、一緒に乗り合わせ旅をすることになった神崎ハコさんとシャンパンを頂き部屋へ引き返した。一人でいることが不安で、ハコさんに声を掛けて部屋で話をすることにしたのだ。ハコさんも話をしたがっていた。
「ハコさん、なんだかこのツアーおかしいですよ。あなたも感じてたでしょ?」
「当たり前ですよ。私はてっきり旅行社が企画するツアーだと思ってました。招待してもらってこんなこと言うのもなんだけど、あの社長のお嬢さんて言うのも、つんと澄ましていて冷たい感じですね。何か企んでいるような……」
「僕も、彼女は一癖あると思いました。よし、二人でこのツアーの狙いを探ってみませんか?」
「探ってみるって、怖いです。私には無理です。でも、乗客が私一人じゃなくてよかった」
「ハコさん、あなたも福引でこの旅行を当てたって言ってましたよね。僕もなんです。ミステリーツアーと書かれていました。まさに、書かれていた通りのミステリーでした。僕は、美羽さんの目に触れないところで、いろいろ探ってみます」
「何か分かったら、必ず私に教えてください」
「当たり前です。協力しなくちゃね」
僕たちは、夜が更けるまで同じ部屋で過ごし、不安な時間を共有することで、打ち消そうとした。僕たちの共通点は、おなじ商店街で買い物をし、福引で当たったツアーに参加したことだけだった。
その日の夕食から、食事はいつもダイニングで、美羽さんと取るようにと言われた。広いダイニングでたった三人が大きなテーブルの端に座っている。なんだか寒々として、気温が数度下がったような気がする。危険な何かが忍び寄っているような気がするがそれが何かわからないだけに、どう立ち向かえばいいのかもわからない。
「お二人とも、そんなに緊張しないでくださいな」
「緊張しないでと言われても、無理ですよ。乗客が二人きりだなんて」
もくもくと食事を口に運んでいたハコさんが、美羽さんに挑むような目を向けた。その眼には怯えが見えた。
「何も、特別な意味はないわ。私もクルーズを楽しんでいるの。たった二枚のくじを当てたラッキーな方と一緒にいたかったのよ」
「でも、こんなに大きな船に、乗客が二人きりだなんて。何か狙いがあるのですか」
昨日からずっと心の中にわだかまっていた疑問が、とうとう抑えきれず口から出た。
「狙い、ねえ。難しいわねえ。私は一人で時間を持て余していた。商店街の福引で旅行を当て喜んで参加してくれたお二人は、いままでにこんな旅行をしたことがなかったから、喜んでくれている。両者の利害が一致すればいいんじゃないかしら。あまり深く考えないで」
こんな説明で納得しろという方が無理だろう。しかし、これ以上のことは聞きだせるとは思えず聞くのをやめた。
「ねえ、ずっと座っていると体がなまってくるでしょ。デッキに出て輪投げをしましょう」
「輪投げ……ですか?」
なんだか懐かしい響きだ。
「私ずっと部屋にいるから、外に出てみたいわ。やりましょう」
ハコさんが少しだけ笑った。気分転換したがっていたのだろう。
外は、三百六十度視界を遮るものが無く、太陽の光はまぶしかった。三人でしばし時間を忘れて遊んだ。今まで、固い表情を崩さなかった美羽さんも、投げた輪が見事棒にかかると楽しそうにはしゃいでいた。今までの、あの表情が信じられない位だった。
「久しぶりに体を動かして、楽しかったわ」
美羽さんの表情は、柔らかくなっていた。
太陽の光が白い肌の上で輝いている。サングラスの下の瞳は光を反射する水面の輝きにも劣らない。美羽さんの別の面を垣間見たような気がした。
「美羽さん楽しかったです。外は気持ちがいい」
本当にこの船に乗ってから初めて楽しい時間を過ごし、この時は心からリラックスしていた。
「私も、皆さんと一緒で楽しいわ」
その時には、僕は漠然と抱えていた不安は取り越し苦労だったのではないかとさえ思っていた。
「あっ」
美羽さんがよろけて、危うく転びそうになったところで、そばについている世話係の男性がさっと手を差し伸べ体を支えた
「美羽さん、もう中へ入って休みましょう」
男性は、僕たちに会釈してデッキを後にした。僕たちも後からついて中へ入った。
「美羽さん、どこか体の具合が悪いんですか?」
僕は後ろから訊ねた。
「ちょっとお疲れになったようです。何でもありません」
世話係の男性が、代わりに答えた。
僕とハコさんは、ラウンジで飲み物を飲み、話をした。
「美羽さんの言っていた話は本当なのかもしれませんね」
「ああ、ラッキーな人たちと一緒に旅をしたかっただけという、さっきの話ですか?
ハコさんを不安にするつもりはないけど、僕はまだ信じられない」
「私は、そうじゃなかったら怖いから、信じたいの」
「恐れないで、落ち着いて生活していた方がいいと思います。パニックにならないようにしましょう」
美羽さんが抱えている秘密を知ることが恐ろしいことを引き起こすのではないかと思うと、今ハコさんを刺激するのは避けなければならないだろう。
「わかりました」
ハコさんは、僕の眼を見て必死に縋り付くような表情をした。
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