第30話 マユリと猫

「じゃあね~。」

「うん、じゃあまた明日ね~。」

 マユリはハルカと別れ、家路につく。夕暮れの歩道を歩いて10分、もう間も無く家に着こうかというそのとき、マユリの目に愛くるしい姿の生き物が写った。

「あっ、あの猫・・・」

 自宅と道場を囲うブロック塀の上に、黒猫があくびをしていた。一昨年の夏頃から、どういうわけかマユリ宅に住み着いている猫だ。

 野良猫とは思えない、艶のある黒い毛。どこか気品のある所作。そして、賢いのだろう。人間の言葉をきちんと理解しているような行動をしばしば見せるのだ。間違いなく、他の猫とは一線を画するところがある。

 そんな黒猫を凝視するマユリは、心の中で思っていた。

 

 かっ、かわいい~🖤


 大の猫好きなマユリ。今までも触れ合えそうな猫を見つけては頭を撫でたり、顎の下をコロコロしたりしていた。心優しいマユリに警戒する猫はそうはいなかったのだが、この黒猫だけは違っていた。マユリが自分の半径1m以内に入ると、直ぐ様逃げ出してしまうのだ。

 しかし、妹にはとてもなついていた。それはもう、必要以上に。毎日夕方になると、妹は庭に出てこの猫と遊んだり、膝の上にのせてまったりしたりしていた。そんな微笑ましい様子を遠目から見ていたマユリは、いつも羨ましく思っていたのだ。


 何でボクはこの猫に嫌われてるんだろう。


 黒猫はマユリの思っている通り、物凄く頭がよかった。そして、感が鋭かった。優しさの裏にある、マユリの人外な力を察知していたのだ。頭など撫でられようものなら、そのまま首ごと子削げ落とされそうで怖かったのだ。

 黒猫はマユリに気付き、逃げの体勢をとる。

 

 ああ、また逃げちゃう・・・でも今日は、ちょっと追い掛けてみようかな・・・


 黒猫に対し、マユリは追い掛ける体勢をとった。ギョッとする黒猫。今までなかったことだ。いつもなら逃げればすぐ諦めるのに、今日は明らかに追ってくるつもりらしい。

 恐怖に駆られ、サッと逃げ出す黒猫。マユリは真剣モードになり、黒猫を追う。人間ならついて来れないだろうと、黒猫は屋根に登り、更に速度を上げる。

 暫くして、まさかもう大丈夫だろうと振り返ったのだが・・・追ってきていた。


 こいつ、本当に人間か?


 屋根の上は障害物が無いため、ドンドン距離を詰められてくる。これはまずいと思った黒猫は屋根を降り、複雑に入り組んだ道をジグザグに走る。今度こそ完璧に巻いたと思っていたのだが、マユリは何故か追い付いてくる。

 この時のマユリは、黒猫に『氣』を集中していた。従って、黒猫がどこにいようが位置を察知できたのだ。その他の物や人はすべて障害物と見なしていた。

 

 こいつは人間じゃない!人間であるはずがない!


 いよいよ戦慄が走る黒猫。このままでは間違いなく追い付かれてしまう。


 何か良い手はないか。


 黒猫は思い出したかのように民家の塀の上に登り、そのままその家に侵入した。最高の避難場所がここにはあるのだ。そして・・・


 いた!


 1人の少女が軒先の縁側に腰をかけていた。黒猫は直ぐ様その少女の背中に隠れ、ぶるぶると震える仕草をとる。

 マユリは当たり前のように軽々と塀を飛び越え、今度はジリジリと、ゆっくり黒猫に近づいていく。

「猫ちや~ん。もう逃げられないよ~。諦めて、潔くボクに撫でられなさ~い。」

 両手を広げ、満面の笑みで言うマユリ。ハッキリ言わせてもらおう。・・・怖いよ!

「お姉ちゃん!」

 ビクゥ!

 突然自分を叱りつける少女の声。一気に集中が途切れたマユリは、慌てて周りをキョロキョロと見た。そこは自分の家の庭だった。そして目の前にあるのは、怒った妹の顔。

「お姉ちゃん!この子に何したの?」

 黒猫を守る様に立ち上がる妹。その迫力に、たじろぐ姉。

「いや、その子の頭を撫でたくて・・・それで・・・」

 もうマユリはしどろもどろだ。

「ホントにそれだけなの?この子、こんなに怯えてるじゃない!」

 黒猫を見ると、もはや威嚇する余裕もないほどに、ガタガタと震えていた。

「ご、ごめんなさい。ボクのこと、そんなに嫌いだなんて思わなかったから・・・追い掛けちゃって本当にごめんなさい。」

 涙ぐみながら謝るマユリ。今まで、こんなにハッキリ嫌われたことがなかったのだ。未経験故の暴走。


 もう、諦めよう・・・


 悲しみに暮れる姉を見た妹は、切なくなってしまった。姉のこんな顔を見たのは、『あの時』以来だからだ。

 妹は黒猫を抱き上げ、姉の前に持っていく。

「撫でてみる?」

「え?」

 戸惑うマユリ。

「ニャ~」

 黒猫も妹の気持ちを汲んでくれたらしい。顔を下げ、頭をマユリに向ける。

「いいの?」

 恐る恐る手を伸ばし、黒猫の頭に触る。


 フワフワしてる・・・


 そしてそのまま、優しく撫でてみた。夢にまで見たこの感触。明らかに普通の猫とは毛触りが違う。なんと言っても驚くべきは、野良猫のはずなのに汚れている感じが少しもしなかったのだ。・・・なんだろう。この不思議な感じ。そしてこの違和感。


「この子・・・本当に・・・猫?」


 ギックゥ!?


 汗腺は無いのだが、冷や汗をかいた思いの黒猫。今日は特別として、やはりマユリとは距離を取ろうと改めて思ったのだった。


  確実に消される・・・


「何言ってるの?お姉ちゃん。クロちゃんは正真正銘の猫だよ。」

 大きな目で、クロとマユリを交互に見ながら言う妹。

「そ、そうだよね。変なこと言ってごめんね、ナノハ。」

 そう言いながら、和やかに笑い会う姉妹。いつも通りに戻ったようだ。


 マユリはナノハのことが羨ましかった。いつでもクロとじゃれあえるからだ。自分には決してなついてくれないクロ。しかし、それでも大事にしようと思う。

 きっとクロは、ナノハを守ってくれるとても大切な存在になるだろうから・・・

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