命乞い

命乞い




 気付いた時には、頬が切れていた。


 魔人の腕が、俺の頬のすぐ横にあって、

 魔人の顔が、目と鼻の先にあった。


 俺の顔を覗きこんで笑っている。


 俺は強い。

 最強ではないが、相当なレベルの強者だ。


 だから、分かる。


 こいつが立つ丘は、決して妄想なんかではなく、しかも、




 俺には想像もできないほど高い丘だった。




 俺は、自慢の剣をポトリと落とす。

 失意で握力がなくなったのは初めてだ。


「グリムアーツ『ソニックフィスト無式』 大サービスで魅せてやった訳だが、どうだい、少しでも観えたかな?」


 魔人は嗤う。


 心底イヤなヤツだと思った。


 あんなもの、

 見える訳がないだろう。


 頬が切れて、血が流れて、それが地に落ちてから、ようやく知覚できた。

 そういうレベル。


「どうした? そんな、神を見るような眼で俺を見てきて」


「そこまでの感想は抱いてねぇよ……」




 ※




 ハルスは、拳をおさめると、サーバンに背を向けて、三歩前に進んだ。

 そして、クルリとふりかえり、サーバンの顔を見て、


「さて、それじゃあ、本番を始めようか。ここからは、死闘の時間だ」


 声に重さを感じた。

 ズシンとのしかかってくる威圧感。


 酷くピリついた空気の中で、サーバンは、


「ふふ……」


 と、笑った。


「どうした、サーバン。何がおかしい?」






「全力で逃げだしたとして、俺は……何秒生きられる?」






「5人いれば、二秒は生きられる。それ以下なら一秒で全員殺せる。いい情報を手に入れたな。分裂するなら今だぞ。同じ存在値で5人以上になれるなら、二秒以上生きられる。お得な話じゃねぇか。なぁ?」



「は、はは……」



 力なく笑ってから、サーバンは、アイテムボックスに手をのばす。



 そして、一冊の書物を取りだした。



 分厚い赤色のハードカバーで、

 表紙に金糸でサーバンの名前が刻まれている。


 それは、


「自己紹介が遅れたな。俺は……こういう者だ」



 それは、栄誉の具現。

 この世界における、数少ない、『選ばれた者』である事を証明してくれる勲章。

 ――冒険者の証。


 『冒険の書』






「……だろうな。そうだと思っていたよ。頭も強さも、凡夫にしては、上等すぎる。冒険者になれる器。ならば、冒険者にならない理由はない。……なんで、冒険者ともあろうものが、闇社会に沈んでんのか知らねぇが、まあ、人に歴史ありってヤツなんだろう。詮索はしねぇさ。興味もねぇ」



 サーバンは、冒険の書をアイテムボックスに戻して、


「――俺は、これまでの人生で、絶対に勝てないと思った存在が一人だけいる。一度も会った事はないが、噂を聞いただけでも、絶対に勝てないと確信した相手。顔を見た事すらないのに、絶対に刃向うまいと心に決めた相手」




「聞くまでもないだろうが、一応聞いてやる。それは誰だ?」




「この国の第一王子。世界最強の冒険者。完成された個。神に最も近い超人……すなわち、勇者だ」


「正解だぜ。……そいつには、誰も敵わない」


 『殴り合いのタイマンなら、な』と、誰にも届かない声で、ボソっと、つけたした。





 サーバンは、続けて、


「勇者以外が相手なら、俺は、どんな状況からでも、逃げるくらいなら、絶対にできるという自信がある。そして、冒険者としての当り前のプライドも持っている。だから、俺は、仮に、『状況悪し』と判断して、撤退を考えたとしても、決して、媚びることなく、己の力だけを信じて動く。疑うことなく、全力で、そして、確実に逃げ切る。決して、命乞いなどしない。絶対に……絶対……」




「で?」




「命だけは助けてくれ。まだ死ぬ訳にはいかない。だから、どうか、見逃してくれないか」


 そう言いながら、サーバンは、落としてしまった魔剣を拾い、勇者の前に放り投げた。


 プライドも、剣も、全て差し出す。

 だから、許してくれと、命乞いをする。



「判断力も合格だ。本当に、なんで、お前が、ヤクザなんざやってんのかねぇ」




 言いながら、ハルスは、足下の炎流を見つめる。

 改めてみると、凄まじい武器。

 この世に存在する『全ての剣』の中でも、確実にトップ20には喰い込む一品。


 ありえないが、仮に、これ以上の武器を隠し持っていたとしても、

 これを手放す事が大きな痛手になるのは間違いない。


 サーバンは続ける。


「俺はスジ者だが、冒険者だ。……色々と事情があって、表では動けないが、ウラでの顔はそれなりに広い。使える人間だ。見逃す価値はある。――どうだ」




「……」



 ハルスは数秒考えてから、



「今後、一切、俺とあのガキに関わるな。なにかしら記録が残っているなら、一つ残らず全て消せ」



「仰せのままに。――そして、その剣を証にしよう。それを持つ者に近づいてはならない。火龍会の掟に加える。反するバカはいない。俺を本気で怒らせるバカはいない。いても問題はない。俺が殺す。必ず、全てのバカ共に伝えておく。冒険者サーバンの名にかけて、全ての約束を必ず果たすと誓おう」



「良い態度だ。その潔さに免じて、一つだけ質問を許してやる」



 ハルスの譲歩に、サーバンは、ホっとしたように、ニっと微笑んだ。


「……俺は、記憶力が悪くてな。悪いが、教えてくれ。……俺は、今日、あんたの前で、俺が所属している組織の名前を、一度でも口にしたかな?」



「くく……」


 勇者は、炎流を拾い、


「確か、街角のパン屋に勤めているんだったか?」



「……ありがたい」



 言いながら、警戒を怠らずに、歩を進め、気絶しているゲイドを脇にかかえると、




「もう一つだけ、質問させてくれ……それは、どういう魔法だ? それともアイテムか? 魔人になれる魔道具など聞いた事がないが」



「色々あったんだよ……多分、お前も相当な『色々』を抱えているんだろうが、間違いなく、俺の色々には劣るぜ」



「……そうかい、やはり苦労するものなんだな……たとえ世界最強であっても」





「俺にも、一つ聞かせろ。サーバン。虚偽は許さねぇ」


「なんだ」


「興味ないと言ったが、あれは嘘だ。答えろ。お前は……なぜ、『そんな場所』にいる?」



「……自分の意志で、『ここ』を自分の戦場に選んだ。それだけだ。事実、それ以外に、答えようがない」


「……」


「まさか、何かのご立派な理由があるとでも思ったか?」



 サーバンは、ゆっくりと、距離を取っていき、



「見誤るなよ、世界最強。……誰も彼もが、あんたのように『強く』『尊い』訳じゃない」






 最後にそう言いのこすと、サーバンは裏路地の闇に消えていった。






 残されたハルスは、サーバンの剣を拾い、



(……くだらねぇ……まだ、俺は……)



 どこかで、いまだに、もしかしたら、と思ってしまう己の優柔不断ぶりに辟易する。




 もしかしたら、この世界は、変われるんじゃないか、なんて……




「ありえねぇんだよ……」


 言葉にして、自分に刻む。


 もう二度と、忘れぬように。


 きっと、どうせ、また、いつか、燻り返すのだろうけれど、

 せめて、それまでは、忘れていられるように。








 なんで、親指の爪をはがさないんだって?







 ……さぁな。


 答える義理がねぇ。






「ぁ……あの……」




 サーバンの姿が見えなくなってから、セイラが、




「ぁたし……わたしぃ……」



 ボロボロと泣きながら、ハルスの腰にしがみついてきて、



「ぁりがとう……ありがっ……た、助けてくれて……ありがとぉ……っ」



「脳がねぇのか、この生物は」



「誰も……今まで……」


「あん?」



「誰も助けてくれなかった……たすけてって……たくさん、さけんだのに……おねえちゃんを……わたしを……だれも……わたし、わたし……」



「言いたい事があるなら、最低限、まとめて喋れ。お前はアレか? 俺を怒らせる選手権、決勝出場者か? 今大会における仕上がり具合についてインタビューできるほど、今の俺に余裕はねぇぞ」



「ありがとう……うぁあああ……あり、がっ……うあぁあああ」



 自分にしがみついて、ワンワンと泣き出したセイラを見下ろして、


 ハルスは、天を仰ぎ、右手で顔を隠し、


「……ドン引きだぜぇ。これから、この莫大な負債を抱えて生きていくのか……あまりの途方のなさに、目眩(めまい)がとまらねぇ」



「ありっ、がと……うわぁあああああああ―――――っ」


 やかましいセイラの口を、強引に手でふさぐ。

 右手でセイラの後頭部を掴み、左手で、しっかりと口を閉じ込める。


「お前が、俺の殺意を稼ぐ天才だってのは、もう充分わかったから、流石に、もう黙れ」



「――むっ――ぅ」





「今後、お前を守ってやる。共に生き、ありとあらゆる外敵から全力で守ってやる」





「っ!」



 ハルスの言葉に、セイラは顔をカァアアアと真っ赤にして、目をクゥゥっと見開いた。



「いいか、これは契約だ。絶対に守ってやる。だから、頼むから、俺をイラつかせるな。感謝するな、泣くな、わめくな。分かったら、頷け」


 まだポロポロと涙を流しているが、セイラは、コクっと頷いた。


「契約を無視したら、俺はお前の前から消える。いいな? 手を放すぞ。その下水を下回る汚ぇ水が止まっていなかったら、わかっているな?」


 手を放すと、セイラは、目と口をギュっと閉じて、自分のフトモモを必死につねっていた。

 どうにか、抑えようとしているが、

 ぽろ、ぽろ、

 と、一瞬だけ、涙袋に水玉をつくってから、ゆっくりと垂れる。


 声も、わずかにこぼれてきている。



(まさか、この俺に、ガキのお守をする日がくるとは……精神を鍛える修行とでも思わねぇとやってられねぇなぁ)



 深く長いため息をついたところで、


 キュ~


 と腹のなる音がした。


 セイラが、バっとお腹を抑える。

 さきほどとは少し性質の違う、真っ赤な顔で俯いた。

 不思議と、涙が引いた。


「はわ、はわわ……ちがっ……これ――」


 セイラの感情など無視して、ハルスは、



「腹か……減ったな、俺も……」



 言いながら、最初の一歩を踏み出した。



「まず、どっかでメシを食って、食糧を買って、それから……グロラリアのダンジョンでも行くか。ガキの装備、どうすっかなぁ……こいつのサイズに合う装備ってなれば、最適化の魔法がかかった魔道具しかねぇ……持ってねぇんだよなぁ……ぁあ、めんどうくせぇ。もういいか、装備なしでも。俺の『光壁ランク5』を壊せるヤツなんざ、そうそういねぇし、仮に、そんなヤツに攻撃されたら、そこそこの装備品を身につけていても意味ねぇ」


 ブツブツ言いながら、路地裏を進んでいくハルスの背中を、


「っっ――ま……まっ……てっ」


 慌てて追いかけるセイラ。






 勇者ハルスあらため、魔人ハルス、


 人生初めての二人旅スタート。

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