第15話『それでも前へ』

 天戸あまと愛里咲ありさが研究室を訪れなくなってから数日。花邑はなむら和也は可能な限り気丈に振舞っていた。

 研究もこれまでどおり進め、今は舞衣と協力して競技用ドライブの論文を書いているところだ。一見すれば普段と変わらない姿だが、近しい人にはバレバレだったようで。


「ねえカズ、少し休んだら?」

「ん? 大丈夫だよ。さっき始めたばかりだし」

「開いてるファイル、一昨日の実験のやつだよ。それはもうまとめてあるでしょ?」

「あっ……」


 昼過ぎの研究室に、間の抜けた声が零れ落ちた。

 PC画面に映し出されているのは、舞衣が言うように既に精査済みの内容である。和也は苦笑しながらファイルを閉じた。


「ごめん。まったく気付いてなかったよ。昨日のデータはこっちかな」


 隣のアイコンをダブルクリックするが、パスワードを要求されてしまい開けない。


「あれ? 嘘っ……?」

「はいこれ、パスワード。あんたが自分で決めたんじゃない。しかも、データで残しておくと危ないからって紙に書いてさ」


 呆れ混じりに差し出されたメモ用紙を受け取る。書かれている文字列には、確かに見覚えがあった。


「ホントは大丈夫じゃないんでしょ? リーサのこと気にしてるって身体に書いてる」

「顔にじゃなくて?」

「じゃなくて。なんかもう、全身が今にも干からびそうっていうか、炊飯器の蓋が開いてて乾燥しちゃったご飯みたい」


 どうやら随分と潤いを失っているようだった。


「自分だと、普段どおりできてるつもりだったんだけどなぁ」

「普段どおりかどうかに意識向いてる時点でダメだと思うけど」

「あはは……ごもっともな意見で」


 ズバリ指摘された花邑和也は、淡く笑いながら隣のデスクに目をやった。

 誰も座っていない席は資料がきちんと整理整頓されていて、和也のそれとは大違いだ。


「リーサ、大学を辞めたわけじゃないんだよね」

「うん。いづみさんの話だと退学届は出されてないし、除籍扱いにもなってないって。だからもしかすると、学内のどこかにいるかもしれないけど」

「もう……ここには戻ってこないのかな」

「…………」


 愛里咲のデスクには、ガナーズドライブの試作機が乗せられている。和也が設計し、愛里咲と舞衣で欠点を見つけ出したドライブ。


 起動&使用実験の成功が遠い昔の出来事のようだった。


「俺は信じてるよ。天戸さんは帰ってくる。このドライブを取りにね」

「カズ……」


 どれだけ可能性の低いことを言っているのか、和也自身もよくわかっていた。けれど、そう思わないと心の空白を埋められそうになかったのだ。


「──なるほど。研究に身が入らないというのなら、失敗が許されない程重要な題材を与えようじゃないか」


 いきなりだった。

 声がした方を見やると、飛良ひらいづみ准教授が研究室のドアにもたれかかって腕を組んでいた。


「いつの間に現れたんですかいづみさん」

「君たちが感傷に浸り始めたあたりだったかなぁ。しかしそれは大した問題じゃない」

「気配殺して登場するの、いい加減やめて欲しいんだけど……」


 高清水たかしみず舞衣の呆れ気味な抗議にも、いづみは動じる様子がない。悠然とした歩みで和也の方に近付いてくる。


「花邑。君にはこのドライブを設計してもらいたいんだ」

「ドライブの設計ですか? ……って! いづみさん、これは……」


 手渡された資料。表紙には『第二次ガナーズドライブ計画』と記載されていた。

 横から資料を覗き込んだ舞衣も驚きの声を上げる。


「ガナーズドライブって、リーサのあれだけじゃないの?」

「天戸くんが使用していたのは言わば初号機なんだ。ガナーズドライブには汎用性の高さも期待されている。で、初号機と対になる機能を持つ弐号機を、今回作ってみようという話なんだよなぁ」


 資料の紙をめくると、設計概要が載っていた。


 どうやら基礎部分は初号機と同様だが、反対の効果を発揮する代物を製作する必要があるようだ。

 『矛に対しての盾』なる表現で説明がされている。


「外観は他の研究室で開発されたものを使うから、花邑に頼みたいのは回路の設計だね。既にある程度のデータは揃っているし、前回よりは難しくないはずだよ」

「ま、待ってイヅミ先生。揃ってるデータってつまり初号機の……リーサのガナーズドライブのものなんでしょ? それを使うなんて……」


 舞衣はこう言いたいのだろう。天戸愛里咲の不在を否が応でも意識してしまう、と。


 和也としても不安がないわけではなかった。今でさえこの体たらくなのだ。もしガナーズドライブを扱うとなれば、一層の喪失感にさいなまれる可能性がある。


 ――けれどそれでも、


「わかりました」

「か、カズ……!?」


 すんなりと言葉が出ていた。これにはいづみも意外だったようで、感嘆のため息を漏らした。


「ホントに良いのっ? だってカズ……」

「良いんだよ。俺がやるべきなのは研究とか開発を続けていくこと、魔導科学技術の発展に少しでも貢献することなんだからさ」


 そう。

 やらなきゃいけないことは、いつだってある。

 それが自分にしかできないことなのかはわからないが、今は頭と手を動かす時だ。


「ありがとう。助かるよ花邑。『第二次ガナーズドライブ計画』は、“私たち”にとって非常に大事な意味を持つからねぇ。他に必要なデータや設備なんかがあったら言ってくれ。可能な限り用意するから」

「はい。よろしくお願いします」


 力強く頷いた和也を見て、高清水舞衣は大げさに肩を上下させた。


「カズ、ちょっと付き合って」

「えっ? いや俺、これから資料を読み込まないと――待った待った! 押すなって!」


 同期の背中をぐいぐいと押しながら、ドアへと向かう舞衣。


「イヅミ先生、少し出てくるねー」

「ああ。あまり遅くならないうちに戻ってきてくれると嬉しいな」

「なに二人で話進めてるんですか……!」

「まあまあ、悪いようにはしないから。ね?」


 意味深な笑みを浮かべる舞衣に押し出されるように、花邑和也は研究室を退室した。


 どこへ連れていかれるのかと戦々恐々だったが、なんのことはない。大学のはずれに位置するベンチだった。木陰になっており、五月の日差しを木々が和らげてくれている。


 来る途中に寄った購買で買ったおにぎりを片手に、二人はベンチに腰を下ろす。


「カズ……たまにはお茶とおにぎりっていう定番を試す気はないの?」

「いや、こっちのが個人的に美味しいと思うし」


 和也の傍らには、紙カップに入ったコーヒーが鎮座していた。とにかくどんな食べ物にもコーヒーが欠かせないのだ。


「あたしに言わせたらおにぎりに対する冒涜だけど、まあ人の好みはそれぞれだからいいや。いただきまーす!」


 ビニールの包装を解くと、愛里咲は幸せそうな顔で食事を始めた。一方の和也はまずコーヒーを一口飲む。


「こうやって外で食べるのって、随分してなかったね。半年ぶりくらいかな」

「もぐもぐもぐ…………そうだねー。あたしが研究室に仮配属になる前は、結構カズのこと連れ出してたっけ」

「そうそう。『息抜きも必要だー』って言われて半ば無理やり」

「だってあんた、放っておいたら研究室とアパートの往復なんだもん。最悪泊まりこんだりするし。無茶しすぎ……あむっ、もぐもぐ」

「あははは……」


 苦笑を返しながら、花邑和也は視線を上げた。木漏れ日が心地良く、不思議と気分が落ち着いていく。


(いつも、こんな感じだったよな)


 外に連れ出した後、舞衣はなにを言うでもない。ただただとりとめもない会話がそこにはあって、気が付けば心が穏やかになっている。


 自分が研究室所属になってから、随所で舞衣に助けられていたのかもしれない。


「ありがとう、舞衣」

「んー? なにがー?」

「いろいろとだよ。今日までも、多分明日からも世話になる気がするから」

「はははっ。まさかカズからこういう感じで感謝されるなんて思わなかった。珍しいこともあるもんだねー。明日はおにぎりが降ってくるかも」

「確率0%の例えを出されても?!」

「あれー? 研究者が簡単にゼロパーとか言って良いんだっけ?」

「くっ……」


 他愛のない話に笑ったり時には怒ったりする。気の置けない関係にどれだけ救われてきたのか、花邑和也はようやくわかった気がした。


「なんだか、肩の力が抜けた感じだよ」

「うんうん。カズはそれくらいが丁度良いと思う。ただでさえ、研究に没頭したら周りが見えなくなって、滅茶苦茶気負っちゃうんだし」


 そう言うと、同期の友人はペットボトルのお茶を一口飲んだ。


「さっきは止めようとしたけどさ。カズが本当にやりたいって思ってるんなら、応援する。絶対に」

「ありがと。思うところがなにもないわけじゃない。でも魔導科学の未来をこの目で見たいっていう気持ちがあるのも確かなんだ。だから――やるよ」


 好奇心だけでここまで走ってきた。突き詰めたいことがあって、環境が用意されていて、ひたすら日々を費やしてきた。


 けれど、出し続けた結果は自分だけのものではなくなり。やりたいようにやることが、己の望む未来とは別の道に繋がろうとしていた。武器を持たぬ自分だが……武器開発に関わっている。


 それが良いことなのか悪いことなのか、答えはまだ出ない。

 ただ――胸の奥に灯り続けている原初の光を、花邑和也は思い出せた気がした。

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