第14話『秘めたる真実』
「リーサ、まだ来ないのかな」
「どれくらい時間がかかるかは言ってなかったからね。待つしかないよ。『後から行く』って話してたし」
「うん。リーサが言うならそう……だよね、うん」
夕方の
いづみも部屋の中にいるが、壁にもたれかかったまま目を閉じ、先程から黙ったまま。なにかじっと思案している様子である。
魔法の一件があった後、和也たち三人は揃って研究室へ向かっていた。しかし途中で
残された二人で飛良研究室を訪れると、丁度部屋の主である准教授もやってきたところで。事情を説明して今に至るのであった。
テキストエディタが開かれたままの真っ黒なPC画面を見つめながら、花邑和也は考えを巡らせる。
(俺たち日本人、いや地球の人間が魔法を使えないことは、今までの研究で明らかになってる。つまり
「ふぅむ。ブラウグラーナの者がこちらの世界に紛れ込んでいる、という話は聞いたことがあるんだけどねぇ」
和也の思考を引き継ぐように、飛良いづみが言った。
「本当ですか? いづみさん」
「あくまで噂程度だがね。ただ米澤御大経由の情報だから、まったくの間違いということもないだろうと思っているよ、私は。彼のところに報せが入っていて、かつ彼自身が誰かに伝えているのなら、単なる噂とは切り捨てられない」
いづみの口ぶりからは、米澤東光との関係が信頼や信用とは異なるものであるように感じられた。いったいどのような間柄なのか。気になるところだが、今は別の問題が最優先だ。
「それって、リーサがブラウグラーナの人……っていうこと?」
信じがたいという顔で舞衣が問う。
いづみは普段どおりの表情を崩さず、冷静に応じた。
「君たちの話を聞くに、可能性は相当高いかな。天戸が使用したのが魔導科学ではなく本当に魔法で、彼女の言い分を信じるのなら」
「……っ、」
舞衣が言葉に窮したのは、驚きからか。それとも困惑からか。喉の奥で、声なき声が何度も潰れていく。
「状況から言ったら、天戸さんが魔法を使用していないと辻褄が合わなくなる……はずなんだよな」
和也は和也で己の発言にいまいち自信を持てずにいた。
さっきはあれほど、魔法に対して気分が高まったというのに。
「なんにせよ、だ。天戸くん本人から一度しっかりと話を聞かないことには、今後の方針が立てられない。あの子を待つしかないさ」
「方針って……魔法の存在をどうするかっていうこと? もしかしてリーサ、大学を辞めさせられちゃったりとか……!」
「まあ落ち着け高清水くん」
焦りと心配に飲まれかけた舞衣を、いづみが手で制する。
「仮に天戸がブラウグラーナの人間だったとして、性急に処分したりはしないはずだよ。今あの子を失うことは、大学にとっても痛手だろうからね。それと高清水くん、私が言った『方針』というのは、屋上から降ってきたという氷柱についてだよ」
「え? あっ……そっちの方か……」
高清水舞衣は大きく息をついた。
それだけ、愛里咲の身を案じていたということだろう。
「本来なら厳重管理されてるはずの物が持ち出されていた。誰が、なんのために、ですよね?」
「ああ。ただそれも、本当にウチの大学の所有物かどうか、現時点では定かではないわけだけどね。今頃職員の人たちが屋上を調べているだろうが、確たる証拠が出るかどうか」
「確かに、あたしたちもほんの少ししか見てないもんね。氷だったのは間違いないと思うんだけど」
すべては一瞬のうちに起こり、終わっていった。
はたして愛里咲は真相を知っているのだろうか。
そのようなことを和也が考えた時、研究室のドアがゆっくりと開かれた。
「リーサ……!」
「すみません。遅くなりました」
現れた天戸愛里咲の表情は、非常に硬いものだった。ドアが閉まりややあって、愛里咲は深々と頭を下げる。
「えっ? ちょっとリーサ?!」
「あ、天戸さん。いきなりどうしたの」
「すみません……」
動揺を隠せない和也と舞衣。一方の愛里咲は絞り出すように言葉を紡ぐ。
顔を上げた後、真剣な眼差しを崩さず、
「私天戸愛里咲は、今日をもって飛良研究室を辞めることになりました」
突然すぎる宣言だった。
その場にいる誰もが。おそらくいづみでさえ言葉の意味を理解するのに時間を要しただろう。
沈黙に押しつぶされそうになりながら、研究室の先輩二人がどうにか声を上げる。
「嘘……」
「天戸さん……辞めるって、いくらなんでも急に……」
「いきなりなのは本当に申し訳ないと思ってます。でも、これが一番良い方法なんです。私がここにいると、みなさんに迷惑がかかってしまうので」
明らかになった意志は強く、揺らぎそうになかった。
「ふむ。担当教官としては辞める理由を聞いておかなくてはいけないんだが……その様子だと今は話せないといったところかな」
「はい。いずれなんらかの形でご報告するつもりではありますが……すみません」
愛里咲は再び頭を下げる。いつもよりも少しかしこまった言い回し。どこか他人行儀のような、距離を感じさせる言葉が研究室に響く。
思案顔の准教授と、なにも言えない学生二人と。そして固まった時間を置き去りにして、天戸愛里咲は研究室を出ていった。
扉が閉まるよりも早く、廊下を駆ける足音が聞こえてくる。
「くっ……」
瞬間。花邑和也は弾かれるように床を蹴った。
「カズ……!?」
同期の声を振り切り、愛里咲の後を追う。
廊下に飛び出したところで、はたして目的の人物は50メートル程前を走っていた。
(も、もうあんなところに! 足速すぎじゃないかっ?)
しかし途方に暮れるわけにはいかない。
ここで彼女を逃してしまったら、すべてが終わる予感がした。
計算ではなく理屈とも違う。毅然とした愛里咲の表情が、なぜか無理をしているように見えた――それだけだった。
必死に足を動かす。研究一辺倒の身体はすぐに悲鳴を上げるが、立ち止まることは諦めと同義だと思った。
研究棟を抜け、大学の敷地内を疾走。一度後ろを振り返った愛里咲が驚愕したような気がしたが、真偽は定かではない。
とにかく背中を追い続けろ! 絶対に彼女を一人にするな!
自分で自分を鼓舞しながら、和也は走り続けた。
結果、辿り着いたのは大学からほど近いところにある公園だった。
「はぁっ……はぁ……や、やっと……追い、付いた……っはぁ、はぁ……」
オレンジ色の空の下、両手を膝に付き荒い呼吸を繰り返す。すぐにでも地面に寝転びたい気分だった。
「追い付いたんじゃありません。花邑さんがあまりにしつこいので諦めただけです」
東屋の側に立ち尽くしていた女性が振り返る。
「どっちも、同じ……はぁ、はぁ……意味、げほげほっ、では……」
「なんですか。私の真似ですか? その口調」
「ち、違……息が、くる……しくて……」
幾度となく肺に酸素を送り込み、息を整えようと試みる。
喉の奥がひりつきはするが、どうにかまともに話ができる状態に回復した。
「どうして逃げたのかは、聞かない方が良いかな?」
「あなたが追ってくるからです、と答えさせたいのならどうぞご自由に」
「じゃあやめとこう。他に気になることがあるし」
言いながら和也は一歩踏み出す。
愛里咲は、今度は逃げなかった。東屋のベンチに座り、暮れゆく街並みを眺める。
一人分間を空けて、和也もベンチに腰掛けた。
「物好きですね、花邑さんも。わざわざ追いかけてくるなんて」
「天戸さんから直接聞きたかったんだ。辞めるって言わなくちゃいけなくなった理由」
「その言い方だと、まるで私が研究室を辞めたくないみたいに聞こえますけど」
「違った?」
「それは……」
天戸愛里咲はなにかを言いかけ、結局口ごもってしまった。
「さっきの天戸さんの言葉、ちょっと引っかかったんだよね。辞めることに『しました』じゃなくて『なりました』ってやつ。本心は違うのかなってなんとなく感じたんだ」
それに、いづみが言っていた言葉もある。
大学側も性急には処分しないはず……ならばこれは、愛里咲からの申し出ということになるはずだ。だからこそ余計に気にかかる。
「なんとなく……。花邑さんらしくない根拠ですね」
呆れたような声が、オレンジ色の世界に溶けていく。
「でも、正解です。続けられるなら続けたいと思ってます。短い間でしたけど、あの研究室は私にとって大事な場所でしたから。ただ……そうですね、“大事な場所”だと思ってしまったことが、離れる原因になったんだと思います」
「それってどういう……」
「本当なら、愛着なんて持ったらダメだったんです。ブラウグラーナから日本に送り込まれたスパイである私が、あなたたちに愛着なんて」
「…………えっ?」
あまりに突然の告白に、和也の思考回路が止まりかけた。
魔法に紐付けて、ブラウグラーナに関わる人間だという予想はしていた。
だが――。
スパイ? 彼女が?
非日常な単語が頭を埋め尽さんばかりに膨張する。
「四年前に日本にやってきてから私は、魔導科学技術のことをずっと調査してきました。先に潜入していた人間の指示で、ずっと……。勿論ガナーズドライブについてもです。研究成果、進捗状況、すべて本国に報告済みです」
「……」
語られる内容を信じることなど到底できなかった。けれど、向けられる真っ直ぐな眼差しが真実だと告げている。
真っ白になりそうな頭の中を懸命に整理し、花邑和也は問う。
「俺たちの研究室に入ったのも、最初から報告目的で?」
愛里咲は小さく、しかししっかりと頷き、こんな風に告げる。
「元々私は、あなたたちにとって危険な存在だったんですよ。多分これからも、ずっと。私の役目が変わらない以上、みなさんに迷惑をかけることがまたあると思います。だから……」
「だから自分から離れるって言うのかな? 天戸さんは本当に納得してるの?」
「当然です。お互いのためになる結論を出すのが一番ですから」
この子は本当に頑固だと、和也は思った。一度決めたら、決して考えを曲げようとしない。
「先程本国から連絡があってはっきりしました。屋上から氷柱が降ってきた“事件”。あれはブラウグラーナからの忠告だったんです。私が本分を忘れてしまわないようにっていう」
「忠告って……一歩間違えたら大惨事になってたところだったんだよ!?」
「私なら対処できると思ってたみたいです。でも、みなさんに恐怖を味わわせるには十分。初めからすべて計算されてたんですよ」
ブラウグラーナのスパイだという女性は、自嘲気味に笑う。
憤りにも似た感情が和也の中に湧き上がってきた。
思わずぽつりと呟いてしまう。
「俺たちにとって魔法って……ブラウグラーナっていうのはそんなに危険な存在なのか……?」
「少なくとも日本にとっては」
悲しげを含んだ声で、天戸愛里咲は応じる。まっすぐに嘘のない言葉で。だからこその残酷さを持って。
「はぁ……本当は話さないでいなくなるつもりだったんですけど。あなたのせいですよ? 花邑和也さん」
言いながら、愛里咲は立ち上がった。
公園のすぐ側に設置された防災無線のスピーカーから、『夕焼け小焼け』のメロディが流れ始める。
漂う哀愁の中彼女は、
「最後に。あなたたちとすごした時間は、本当に楽しかったです。心が揺らいでしまうくらいに」
「天戸さん……」
「それでは……さようなら」
このタイミングで極上の笑みを残し、天戸愛里咲は去っていった。
遠ざかる足音が、気配が、存在が。一人の研究生を打ちのめす。一体自分は、今までなにを見てなにを聞いてきたのだろう。
(知らなかった……。天戸さんが、一人であんなに大きな役目を背負っていたなんて。本当のことを明かせずに、俺たちに協力してくれていたなんて……)
湧いてくるのは、愛里咲に対する怒りでも失望でもなかった。ただただ、自分自身の不甲斐なさを悔いる。
研究が好きでここまで来た。技術を極めたくて続けてきた。すべて己の欲望のためだ。でも彼女は、きっと違う。ブラウグラーナという国のために、危険を犯してでも成し遂げようとする意志がある。
ガナーズドライブを……武器を持っていないときも、人知れず戦っていたのだ。
そんな天戸愛里咲を引き止められず、彼女が大事にしてくれていた居場所を守れなかった。力に……なれなかった。
元来武器を持てない自分ができるのは、それくらいなはずだったのに。
うなだれる和也の背中で、夕陽が少しずつ沈んでいった。
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