第三章

第13話『魔法と、魔導と』


 学舎裏には、重たい空気が鎮座していた。俯く天戸あまと愛里咲ありさに対し、高清水たかしみず舞衣は言葉を掛けることができず。そして花邑はなむら和也もまた言葉を探していた。


 さっき目にした光景。あれはいったいなんだったのか。


 頭上から降り注いだいくつもの氷柱が、一瞬のうちに溶け、雲散霧消うんさんむしょうしたように見えた。おそらく愛里咲の所業だろう。しかし彼女はドライブを起動させた様子がなかった。


 いや、たとえドライブを――最先端かつ攻撃性能が高いガナーズドライブを使用したところで、対処できる状況であったかどうか。


(仮にレベルサードのエネルギーをぶつけたとしても、きっと不可能だ。氷柱の一本でも破壊できればマシだと思う。そもそも現状のガナーズドライブじゃあ炎は扱えない。だとしたら)


 だとしたら、考えられる可能性は……。


「ごめんなさい」


 最初に口を開いたのは天戸愛里咲だった。

 頭を垂れたまま、ぽつりと呟いた後、こう続けた。


「さっきの出来事はみなさんの胸の中に仕舞っておいてください。もう二度と、使うことはありませんから」

「それってつまり……天戸さんが魔法を、ということ……?」

「……はい」


 和也の問いに、愛里咲は小さく頷いた。表情はよく見えないが、決して芳しいものではないことが想像できた。


「え……ちょっ、ちょっと待って。魔法って……えっ? 冗談……だよね?」


 ようやく言葉を発した舞衣は、明らかに動揺していた。


「リーサが魔法を使える? 魔導科学じゃなくて魔法? そんなことって……」

「あるんです。すみません、詳しいことは言えないんですけど、私には魔法を操る力が備わっています」

「そんな……」


 愛里咲の返答を聞くと、高清水舞衣は再び絶句した。


 多分これが正常な反応だと和也は思う。それに引き換え自分はどうだ。頭の中に浮かぶのは、『魔法』に対する興味じゃないか。自分たちを襲った危機・愛里咲の様子を脇に追いやりながら、未知の現象への好奇心が膨らんでいる。


 もっと知りたい。魔導科学が目指したその力について、もっと――!


「これ以上騒ぎを大きくすることはできません。勝手なお願いだというのはわかっているのですが、さっき起こったことは忘れ――」

「ま、待って天戸さん! 魔法について調べたら、魔導科学の研究がさらに前に進む可能性があると思うんだ」

「ちょっ、カズ……!」


 舞衣の制止にも構わず、花邑和也は言葉を継ぐ。


「デバイス工学も発展するし、そうなったらガナーズドライブだけじゃなくて、ドライブ全般が今よりもっと進化する。だから天戸さん!」


 口から出てくるのはもっともらしい理由ばかりだった。根底にあるはずの思いを、なぜか覆い隠してしまう。本来なら飾りの言い分ではなく、己の欲求をそのまま伝えるべきなのに。


 今の花邑和也にはそれがはばかられた。


「すみません花邑さん」


 俯いたままの後輩は、態度を変えなかった。冷たくも温かくもない、温度のない声が空気乗って耳に届く。


「私が魔法を使ったり、魔法について話したりすると、みなさんに迷惑がかかってしまうんです。だからこれ以上は……」


「天戸さん……」


 愛里咲がなにかを抱えていることはわかる。けれどそれを問いただせる雰囲気ではなかった。


「ま、まあまあ二人とも落ち着こう? いきなり変なことが起こっちゃって、混乱してると思うし。ね?」

「ありがとうございます舞衣さん。でも私は大丈夫です。あれぐらいで取り乱したりはしないように言われてきたので」

「うっ……そ、そう、なんだ」


 間に入った高清水舞衣だったが、上手く場を収めることができなかった。普段とは違う空気に、彼女もまた囚われているようだった。

 和也は焦る気持ちをどうにか抑えるべく深呼吸をし、学舎の屋上へと目をやった。


「とにかく。被害が出なかったことを喜んだ方が良いのかな、今は」


 つられるように、愛里咲と舞衣も視線を上に向ける。


「そうですね。周りに私たち以外の人がいなかったのも幸運だったと思います」

「落ちてきたのは多分実験用の氷柱だと思うけど、どうしてそんなものが屋上にあって、そして落下したのか。疑問は残るけど俺たちがどうにかできることじゃなさそうだね」

「そのへんはイヅミ先生に話したら、大学の方で調べてくれるんじゃないかな」


 妙な緊張感はまだ完全に解けていない。

 しかし、あたりに漂う空気は少し軽くなっているように感じられた。


「このままここにいても仕方ないし、とりあえず研究室に行くか。天戸さんも、舞衣もそれで良いかな」

「はい、大丈夫です」

「あたしも賛成ー」


 屋上から地上へと。視線を移した三人は、ゆっくりと歩き始める。

 一瞬。氷に触れたような冷たさを覚えた花邑和也だったが、その感覚はすぐに消えた。


 ──立ち去る和也たちを見つめる瞳が、学舎の屋上にあった。碧い色と穏やかな笑みを宿した双眸。肩までまっすぐ伸びた金髪と相まって、異国の雰囲気を漂わせている。


 さらに特徴的なのは彼女の服装だ。白を基調としたジャケットにタイトスカートという、民間人らしからぬ格好が目を引く。ジャケット付けられた紺と金の肩章も、ただの人間ではないと語っているようだった。


 断じてコスプレではない。花邑和也たちにとっては、コスプレだった方が良かっただろうが。


 エリカ=バランタイン。屋上から眼下の景色を眺めている女性は、魔法国家ブラウグラーナの情報局大尉だった。

 胸の下で腕を組んでいるからか、元々豊かな双丘がさらに強調されている。すらりとした体型は美しく、その奇抜な格好を除いても注目を集めそうな人物と言えた。


 ただ、一度近づけば逃れようのない強力な磁場を持つ、魔性の存在でもあるわけだが。


「予定どおり、ね」


 唇が小さく動いた時、呼び出し音と共にエリカの目の前に半透明のモニターが展開された。タッチパネルを操作するようにしなやかな指が滑る。

 これは、地球とブラウグラーナとの間で通信を行うために開発された、最新式デバイスであった。


 ややあって、重厚な男性の声が情報局大尉の耳に届く。


『首尾はどうだね、エリカ=バランタイン大尉』

「問題ございません。計画は滞りなく進んでおります。このまま進行すれば、ガナーズドライブの技術も必ずや我々の手に」

『うむ。重畳だな。こちらの予定にも変更はない』


 満足気に頷く姿が目に浮かぶようだった。

 エリカは湧き上がる高揚感を抑えきれず、口が滑らかになる。


「『運命の日』が待ち遠しくございます。優れた技術、強大な力は我らブラウグラーナが持つに相応しい。長きに渡り策を講じてきた甲斐があったというものです」


 言葉を発すれば発するほど、エリカ=バランタインの気持ちは盛り上がっていく。

 計画の成功、国家の繁栄、自身の昇進。そんなものは彼女にとって瑣末だった。


「“あの子”にも揺さぶりを掛けたところですので、今後の推移が楽しみ――ええ、非常に楽しみです。こちらの世界に愛着など持ち始めていた“あの子”が、どんな反応を見せてくれるのか……うふふっ」

『大尉。作戦を楽しみたがるのはお前の悪い癖だ。私情を介入させるものではない』

「これは失礼いたしました。以後慎みます」


 一段低くなった声に頭を下げるエリカだが、瞳には怪しげな笑みが張り付いている。


『その言葉、何度聞いたことかわからぬな。大尉の作戦遂行能力は買っておるが、故に失敗はないものと今一度心得よ。もし計画に蹉跌をきたした場合には――』

「承知しております。このような滾る出来事を前にして、天に召されたくはございませんので。ご安心ください。王国にとって最良の結果を導いてご覧に入れます」

『言動はともかく能力は信用している』

「ありがとうございます。……あら、そろそろ時間ですね」


 モニターに黄色いランプが点滅し始めた。通信の制限時間が近づいている証である。


『ふぅ。もう少々長い通信ができれば良いのだがな』

「現状の三分でも随分マシになった方ではありませんか」

『確かにそうなのだが。大尉と話をしていると圧倒的に時間が足りないのだよ。せめて今の倍はほしいところだ』

「うふふっ。たとえ三分が六分になったとしても、話す内容の比率は変化がないかと」

『……なら、仕方あるまいな』

「ええ。仕方のないことでございます」


 通信相手は半ば諦めたような口調だった。しかし、最後に緊張感を持たせるように、


『エリカ=バランタイン情報局大尉。以後も貴君の尽力を期待する。努々、浮かれてばかりいないように頼むぞ』

「了解であります、ロベルト=ノブクリーク統合幕僚長」

『「勝利を――」』

「『青き空と赤き大地へ』」


 合言葉を最後に通信は切断された。訪れた静寂が屋上一帯へと広がっていく。


 穏やかな春の風に揺れる金色の髪。

 エリカはしばし瞳を伏せたあと、ゆっくり開いた。


 狂気を伴った冷たい双眸がそこにはあった。


「さあ愛里咲。あなたの魔法をもっと見せて。悩んで、揺れて、押しつぶされそうになった心がどんな力を引き出すか。もっと私に見せてちょうだい」


 ニヤリと笑みを浮かべながら、ブラウグラーナの美女は再びモニターを呼び出した。

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