第11話『意外な? お返し』
歓迎会の翌日のことだ。
昼過ぎの
視線の先、デスクの上に置かれているのは、どうやら弁当箱のように見える。しかし自分のものではない。ライムグリーンが鮮やかな、プラスチック製。楕円形のそれは、成人男性用としては少々物足りない容量かもしれない。
しかし。問題はそこではなかった。
隣に立つ後輩・
「これ、本当に天戸さんが作ったの?」
「さっきからそう言ってるじゃないですか。どこまで信用ないんですか私は」
「あ、いや、天戸さんを疑いたいわけじゃないんだけど。弁当を作ってきてもらう理由が、どうにも思い当たらなくて。昨日の夜、なにか話したっけ」
記憶をなくすほど酒を飲んだつもりはないが、もしかすると妙なことを口走っている可能性はある。酔った自分の言動までは、理屈や計算で推し量れないのだ。
和也がちょっとした恐怖にかられていると、愛里咲は首を横に振った。
「花邑さんになにか言われたってことはないです。これは、私なりに考えた恩の返し方なので」
「ますます、わけがわからなくなった」
「昨日、パンを買ってくれたじゃないですか。コンビニで」
「確かに買ったと思うけど……え? それが理由? ホントにっ?」
まったく予測していなかった返答に、花邑和也は思考を停止しかけた。
いや、待て。考えることを放棄したが最後。すべてが終わってしまう。たとえ完璧な答えを導き出せなくても、頭を働かせ続けろ!
「えーっと、とりあえず確認。昨日の菓子パンのお礼が、この弁当ということで良いのかな?」
「はい、そういうことです」
即答だった。簡潔だった。
会話をしつつ真意を探ろうという和也の策は、早くも瓦解した。
「ドーナツ一つに対して手作り弁当って、どう考えてもお礼が過剰な気がするんだけど」
「私にとってはイコールです」
「……まず価値観の相違があったか。結構難しいなぁ」
「なんの話ですか? とにかく、このお弁当を食べてください花邑さん。もし今お腹が一杯ということなら、夕食代わりでも良いですから」
愛里咲は主張を譲る気がないようだ。
この一ヶ月弱で薄々感じていたが、この子、かなりの頑固者ではなかろうか。自分を曲げない信念があると考えれば、研究者向きなのかもしれないが。
「昼は適当に済ませるつもりだったから、まだなにも食べてないけど」
花邑和也がコンビニ袋を掲げてみせると、愛里咲の顔が一層引き締まった。
「ならどうぞ! 量は少し足りないかもしれませんが、味は保証します」
自信満々に弁当箱のフタを開ける天戸愛里咲。
まず目に飛び込んできたのは、色とりどりの野菜だった。レタスにきゅうり、トマトやパプリカが一口大に切られ、シーザードレッシングが掛けられている。
仕切りを挟んで隣には豚肉の生姜焼き。食欲をそそる匂いが、横の白飯をさらに輝かせているようだった。
和也の喉がごくりと鳴る。
「美味し、そうだ……」
「ま、まあ、花邑さんのお口に合うかはわからないですけど、とりあえず食べてみてください。研究者は体力勝負、粗食を続けてたら効率が落ちてしまうと思います」
もしかして心配されているのだろうか。
愛里咲とは研究中に意見が衝突することが少なくないし、生活習慣云々について言及されたりもする。それでも彼女を疎ましく思わないのは、言葉の根底に強い思いと、そして温かさを感じるから――花邑和也はそう分析した。
「わかった。じゃあいただこうかな。折角作ってきてくれたものを無駄にしちゃいけないしね」
「はい。あっ、箸はこれを」
ご丁寧にピンクのプラスチック箸まで用意してくれていた。弁当箱と言い非常に女子っぽい装いだが、不思議と恥ずかしい気分にはならなかった。
愛里咲謹製の弁当は見た目もさることながら味が抜群で。優しい味付けでありつつ食が進む、素晴らしい出来栄えだった。
箸を止めることなく平らげると、花邑和也はぱちんと両手を合わせる。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
「それは良かったです。作ってきた甲斐がありました」
「弁当箱、家で洗ってくるから返すのは明日で良い?」
「いえ、そこまでしてもらわなくても大丈夫です。美味しく食べてくれただけで十分ですので」
ひょいっと。愛里咲はデスクの上から弁当箱を取り上げた。
「でもさすがにそのまま返すっていうのは……あ、そうか。今日持って帰らないと、明日天戸さんが弁当作れないよね」
「それは別に問題じゃありません。お弁当箱はもう一つ持ってますから。ただ、あなたに渡したらそのまま忘れ去られて、部屋に放置されそうだったので」
「ちょっと?! いくらなんでも俺に対する評価厳しくないかな!」
「すみません。『忘れ去られる』は言いすぎでしたね。正しくは、お弁当箱を認識はしてるけど洗う気にならない、でしょうか」
「正しくない! なにも正されていないからねそれ。確かに俺、自分のことに関してはわりと適当だけど、そこまで自堕落な生活は送ってないつもりだよ」
和也ははっきりと断言した。
たとえ悪意なき言葉であっても、否定しなくてはならないことはある。
「自分のことはわりと適当、というのは認めるんですね」
「まあそれはね。なんとなく自覚はあると言うかなんと言うか……うん」
すぐに意気消沈してしまう花邑和也。が、愛里咲はなぜか口元を緩めた。同時に、眉をハの字に傾かせながら、
「すみません。さっきのは冗談です。本気でそう思っているわけではないので、安心してください。ただ、もっと自分のことに気を配ってほしいのは本当ですけど。朝まで研究室にいるとか、身体に悪すぎます」
「は、はあ……」
いったい、どこからどこまでが冗談だったのか。分析するには情報が足りず、和也はしばらく頭を悩ませるのだった。
そろそろ日付が変わろうかという頃、花邑和也は帰路についていた。
研究に一区切りついたからで、先程の愛里咲の忠告に従ったつもりではないと思うのだが、これまでの自分なら次の研究段階へ突入、眠気の限界が来るまで作業を続けていたような気もする。
(『もっと自分のことに気を配ってほしい』、か。やっぱり心配してくれてるってことでいいのかな、これは)
なんとなく自惚れにも思えてしまうけれど、もし本当に厚意なのだとすれば素直に受け取っておくのが良いのだろう。
(このところ朝寝昼起きが常だったし、たまには早く布団に入ってみようかな)
そんなことを思いながら、青年の足はコンビニへと向いていた。
早く寝て早く起きるとなれば朝食がいる。簡単に食べられそうなものを適当に買うつもりだった。
闇の中で一際強い光を放つ看板に導かれるように、自動ドアをくぐる。
「いらっしゃいませ」
落ち着いた感じの声に迎えられた。
弁当やおにぎりのコーナーへ真っ直ぐ向かう和也だったが、向かいの棚がふと目に止まる。
「菓子パンも悪くないかもなぁ」
朝は米を選ぶ方が多いが、たまにはパンというのも良いかもしれない。
和也は棚から『シュガーレーズン』と『チョコチップメロンパン』を手に取り、レジへと足を向ける。
レジには、穏やかな笑みをたたえた美女がいた。ポニーテールにまとめられたストレートの金髪は、本来は肩より少し長いくらいか。ツリ目気味の瞳は碧色で、北欧の雰囲気を感じさせている。
「はい。いらっしゃいませ」
美女店員は、慣れた手つきで商品のバーコードを読み取っていく。
「130円が一点、110円が一点。合計240円です」
流れるような動作と言葉だった。和也が財布の中身を確認している間に、菓子パンはビニール袋に入れられていく。
「250円からで」
「はい。250円お預かりいたします。お返しは――10円ですね」
「ありがとうございます」
受け取ったお釣りとレシートを、財布へと仕舞う。ビニール袋を手に立ち去ろうとした時、不意に声をかけられた。
「今日はあの子と一緒ではないのですね」
「あの子……と言うと?」
足を止め振り返る青年に、美女店員は淡く微笑む。
「天戸愛里咲さんですよ。昨夜、お二人でご来店されていましたよね?」
「ああ、天戸さんのことですか。昨日はたまたまと言うか、普段から二人でいるわけではないですよ」
「あらそうなんですか? 仲良くお話をされているようだったので、てっきり」
「そこで言葉を止められると、非常に意味深なんですが」
「ふふふっ」
不思議だった。初めて会話をするはずなのに、警戒心や緊張感が湧いてこない。その笑顔と穏やかな雰囲気に包み込まれ、自然と口を開いている感覚だった。
「確か、ここでバイト始められて長いですよね。あ、バイトかどうかわからないですが」
「大丈夫、アルバイトですよ。もう二年くらいになるでしょうか。大学に入ると同時に始めました」
だとするとひとつ年下かもしれない、と花邑和也は思った。
大学まで一緒かどうかはわからないが。
「愛里咲さんやあなたのことは、以前から拝見していました。ですがお二人揃ってというのは昨夜が初めてでしたので、少し嬉しくなってしまって」
「どうしてまた……」
「さあ、なぜでしょう。最近、天戸さんからあなたの話題を聞くことが多かったからですかね。うふふふっ」
またもや意味深な言い回しだった。からかわれているのだろうか。
自分のことを天戸愛里咲がどう話しているのか気になったが、深くツッコんではいけない気がして言葉を飲み込んだ。
「どうしました? じっと固まって」
「い、いえ……」
やはり不思議……いや、独特の雰囲気を纏っている人だと和也は感じた。どこがどうとは言えない。しかし、己のフィールドに相手を引き込む引力を持っているのは確かだ。
心理学を専攻している友人が、「人を従わせたり、言論を封じる話し方がある」と語っていたのを思い出した。
もしかして目の前の女性店員は、なにか目的があって自分に話しかけてきたんじゃないか?
(……いや、考えすぎだろ。俺とこの人には接点が少なすぎる)
軽く頭を振って余計な考えを追い出すと、花邑和也は再びドアに足を向けた。
「それじゃあ、長話もあれなので失礼します」
「はい、ありがとうございました。天戸さんに、よろしくお伝えください」
店員の柔らかな声に見送られながら、和也はコンビニを出た。
果たして今の「ありがとうございました」は、どちらの意味だったのだろう。「ご来店ありがとう」なのか、それとも「話をしてくれてありがとう」なのか。
今の和也には見当がつかなかった。
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