第10話『意外な共通点』

 飲めや歌えやの大宴会と化した歓迎会兼打ち上げにも、いずれ終わりは訪れる。二十二時を回ったあたりで各自解散となった。


 みなで片付けをした後、部活の疲労が効いてきたのかお疲れモードになった舞衣がまず離脱。ソファで眠りこけている。


 主賓だった天戸あまと愛里咲ありさは帰宅するようで、身支度を整えていた。


「ええと、舞衣さんはあのままで良いんですか?」

「うん、大丈夫。多分もう少ししたら起きて家に帰るはずだから」


 自宅以外で寝落ちしても、必ず短時間で目を覚ますのが舞衣の特性だった。本人の弁によると、講義中に仮眠をとるべく会得した技らしい。どのような努力があったのかは、付き合いがそれなりに長い和也でも詳しくは知らない。


「あっ。コーヒーフィルター切れそうだな。買いに行かないと」


 ゴミ袋をまとめていた和也が声を上げた。


「今からですか? 明日来るときでも良いのでは」

「なんか落ち着かないんだよね。このまま家に帰ったら、多分眠れない夜をすごすと思う」

「どれだけコーヒーに思い入れがあるんですか、まったく……」


 想像以上の答えに、愛里咲は溜め息をついた。


「この時間だと学生協はとっくに閉まってますし、コンビニですか?」

「だね。スーパーはまだ開いてるけどちょっと遠いし。一時しのぎ的に買うだけだから、コンビニで大丈夫かな」

「なら一緒に行きます」


 そう言ってトートバッグを肩に掛ける天戸愛里咲。

 意外な申し出に和也は、


「いや、フィルターだけだから荷物にならないし一人で平気だよ?」

「誰も荷物持ちになるなんて言ってません。私も買いたいものがあるんです」


 ぷいと顔を背けながら、愛里咲は研究室のドアへと向かう。なぜ不機嫌になったのかわからぬまま、後を追う和也。


 そんな二人に、酔っぱらいから声が掛けられた。


「コンビニに行くなら、ついでにつまみでも頼もうかな。乾き物がなくなっちゃってねぇ」

「私は荷物持ちもパシリもやりません!」


 すげなく断る天戸愛里咲だった。


 わざとらしく肩を落とす飛良ひらいづみを研究室に残し、和也と愛里咲はコンビニへの道を辿っていく。


 大学の正門を抜けてすぐの歩道は街路樹が並び、生い茂る葉の間から月明かりが漏れていた。


 都心部と比べるとこのあたりは、喧騒とは無縁。

 五月も半ばになると夜風が心地よく感じられ、およそ東京とは思えぬ穏やかさだった。


「何度も言いますけど、花邑はなむらさんはもう少し、いえかなり生活習慣に気を遣った方が良いと思います。コーヒーの件なんか、飛良先生のお酒のことをとやかく言える立場じゃないですよ」

「そうかな? コーヒーがあれば生きていけるってそんなに変な話?」

「変です。立派な中毒です」

「厳しいなぁ、天戸さんは」


 天を仰ぐ和也だったが、まったく自覚がないわけではなかった。元来一つのことにのめり込みやすい質で、一度集中すると他の物が見えなくなってしまう。


 加えてハマると抜け出せない事が多く、コーヒー狂の原因もそこにある。熱しやすく冷めにくいのだ。


「睡眠と食事はしっかり取らないと、体壊しますよ? ちゃんとした物を食べないと頭も回らないですし」

「んー、食べてることは食べてるよ? 菓子パンとか」

「菓子パン……!?」


 愛里咲がピクリと反応した。


「コーヒーは甘い物に合うしね。濃いめに淹れると特に……天戸さん?」

「あんぱん、クリームパンにチョココロネ。なんですかピーナツコッペ花邑さん」

「いや待って、なんか俺の名前変になってるよ?」


 和也の指摘にも、天戸愛里咲は気付く様子がない。ただただ恍惚とした表情で、パンの種類を連呼している。


「王道のメロンパンだって良いですし、デニッシュも欠かせなくて――」

「天戸さん、もしかして甘い物好き?」


 ぴたり、と。

 愛里咲の動きが止まった。


「天戸さん?」

「な、なななっ……なにを言ってるんですか花邑フレンチトーストさん! 私がいつ菓子パンの話をしたと!?」

「今まさにしてるよ。自分から菓子パンって言ってるし、俺の名前改名しちゃうくらいだよ」


 暗闇の中、愛里咲の顔がみるみる真っ赤になっていくのがよくわかった。


 菓子パン大好き天戸さんは、何事かうわ言のように呟いた後、ずいっ! と和也に身を寄せた。妙な気迫に押され、花邑和也は一歩後ずさってしまう。


「花邑さん。このことは内密に。絶っっっ対! 内密にお願いします」

「は、はい……!」

「良いですか? もし口外したら、研究室の冷蔵庫からこっそりコーヒー豆を出しておきますから」

「止めて! 暑くなるこれからの季節は特に!」


 コーヒー豆は品質の劣化が早い。冷凍もしくは冷蔵での保管が推奨されていて、夏場の常温保存などもってのほかなのである。


 もし愛里咲の企みが実行に移されたら発酵、いや発狂しかねない。


「……ってあれ? 豆の保存方法について天戸さんに話したことあったっけ」

「ないですね。でも、本来入ってなさそうなものが冷蔵庫にずっと入れられてたら、なんとなく察しがつくのでは?」

「まあ……それは確かに」

「ちなみに、最初に発見した時は本気で処分しようと思いました」

「えっ、嘘……」


 コーヒー狂の頬を冷や汗が伝った。そのまま失神しかねない勢いだったが、どうにか踏みとどまる。「思いました」ということは、実際には処分されていないはずだ。


 現に、豆が行方不明になったことなどこれまで起こっていない。


(そうだ。大丈夫、なにも問題ない……!)


「あの冷蔵庫、特定個人の占有率が高すぎだと思います。勝手に整理されたくなければ、少しは物を減らすことをお勧めしますよ」

「俺じゃなくていづみさんに言った方が良いかな、その言葉は。ほぼ私物化してるから」


 しかも晩酌用だというから、なおのこと質が悪い。

 あの人のお酒関係の真実が明るみに出たら、真面目に首が危ないんじゃないかと和也は危惧していた。


「飛良先生は、注意しても上手くはぐらかされそうなので」

「『なので』俺?」

「はい。花邑さんなら、後輩からのありがたい進言を無下には扱わないですよね?」

「さあどうだろうね。俺だって、時には厳しくはねのけることが――」

「『処分リスト。まずは花邑さんのコーヒー豆』と」

「ごめんなさい気を付けます! 冷蔵庫に入れてる物はほとんどないけど気を付けます! あと一応いづみさんにもまた言っておきます!!」


 清々しいまでの方向転換だった。身体を直角に折り曲げ、頭を下げる。


 そんなコントをやっているうちにコンビニへと到着。和也は予定どおりコーヒーフィルターを、菓子パンコーナーを物色した愛里咲はツイストドーナツを手に取った。


 ついでだからと会計を和也がまとめて払うと、甘党女子学生は赤面しつつお礼を口にした。

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