第9話『宴』

 各々担当教官に思うところはありつつ、飛良ひら研究室の学生たちは優秀だった。皆、日が傾き始める頃には本日分のノルマを達成していた。


 部屋の隅には折りたたみテーブルが置かれ、アルコールやつまみ、軽食が乗っている。とてもじゃないが研究室の一角には見えない。


「と言うかいづみさん、お酒持ってきすぎじゃないですか? それも度数が強いやつばかり」

「はっはっは。なにを言っている花邑はなむら。ちゃんと、チェイサー代わりのビールも用意してあるだろう? 種類も様々揃えたから、好きなものを飲んでいいよ」

「『好きなものを』、じゃないですって! 俺の知る限りいづみさんだけですよ? ウイスキーのチェイサーでビールやらカクテルやら飲む人。普通は水でしょう」

「主として飲む酒よりアルコール度数が低ければ、それがチェイサーさ」


 飲食物の準備は任せろと自信満々に言われ、酒豪准教授に一任した結果がこれである。


 花邑和也は、酒を飲む前から頭が痛くなった。


「あの。今からでもコンビニに行って、ソフトドリンク買ってきましょうか」

「いや、俺が行ってくるよ。天戸あまとさんは主賓だし」

「でも……」

「二人とも待った! テーブルの下にこんなもの発見したよー」


 和也と愛里咲ありさを制した、高清水たかしみず舞衣が両手で掲げた物。それは――


「なんだ、意外と早く見つかってしまったなぁ」


 2リットルのペットボトルに入ったお茶だった。他にもジュースやミネラルウォーターがあるようで、舞衣がどんどんテーブルの上に乗せていく。


「子どもですかいづみさん。変なドッキリはやめてください……いや、そもそもドッキリなのかなこれ……」

「単なるジョークだよ」

「なお悪いです!」


 漫才を始めた二人を、天戸愛里咲は困り顔で眺めていた。


「私、飛良先生のことがよくわからなくなる時があります」

「だいじょぶだいじょうぶ。気付いたら慣れてるから。あと、基本的に悪い人じゃないからねー」


 明るい調子で、舞衣がプラスチックのコップを配っていく。愛里咲はコップを受け取り、


「ありがとうございます。花邑さんは飛良先生と結構長いみたいですけど、舞衣さんも去年からでしたっけ?」

「そうそう。三年の後期にここに配属されて以来だから、半年は経ってるね。懐かしいなー。あたしが入った時も、こうやって歓迎会が開かれてさ」


 舞衣は少しだけ遠い目をした。


「さっきも言ったけど、ああ見えて悪い人じゃないんだよね、イヅミ先生。破天荒っていうか、突拍子もないっていうか……普通の人には見えないけど」

「わかります。独特な方ですけど、本当は私たちのことをちゃんと考えてくれてるって、それはなんとなくわかるんです」


 言って、天戸愛里咲は薄く笑った。


「それに、大学の先生は意外と普通じゃない人が多いですし」

「あー、確かにねー。パソコンのデスクトップ背景が、美少女ゲームのスクリーンショットの教授とかいるし。しかも講義中にプロジェクターで大写し」

「多分、私が今取ってる情報処理学の担当と同じ方ですね……」


 講義の場面を思い浮かべたのか、愛里咲は苦笑を浮かべた。


「んー。その教授様、確か民間からの採用だったはずだなぁ。件の背景画像は、元いた会社が作ったゲームのものだとかなんとか。まあ、さすがに公序良俗には反してない画像だろうし問題ないさ」


 青色のビール瓶を片手に、いづみが話に加わってきた。

 瓶のラベルには『銀河高原ビール』とある。


「本当にいろんな方がいますよね、学生も、先生も。興味深いです」

「そこが大学の面白いところだからねぇ。日本全国津々浦々――だけじゃなく、海外とかから来る人がいる。在籍している人間の母数も、高校までとは桁違いだ。だからまあ、私たちがこうして同じ研究室にいるのは、奇跡にも似た出来事だということで」


 ビール瓶を軽く傾けるいづみ。


 愛里咲はコップを差し出し、


「飛良先生は、特に興味深い人ですね」

「はははっ。君もなかなかだと思うけどねぇ」


 コップに注がれる液体が真っ白な泡を生み出し、そのきめ細やかな白さを押し上げるように、オレンジがかった金色の層がかさを増していく。


「綺麗……私が想像していたビールとは全然違います。もっとこう豪快に、泡が飛び跳ねるように注がれるものだとばかり」

「俺のには、豪快そのものって感じでやられたけどね」


 瞳を輝かせている愛里咲の呟きに、和也が反応した。


「花邑のはジョッキだからなぁ。思い切り注いで泡を立ててやった方が美味くなる」


 そう。

 花邑和也が手にしているのはなぜか、プラスチックコップではなくジョッキだ。

 コップはコップで既にお茶が並々入っていて、チェイサーとしての出番を今か今かと待ちわびている。


 どうせこのビールを飲み干したら、教官直々に日本酒が注がれるのである。


「さて。こんなものかな」


 愛里咲のコップに、金の空と白き雲が出来上がった。

 いづみは満足気に頷くと、周囲を見回す。


「みんな、飲み物はあるかな?」

「大丈夫ですよ」

「OKOK!」


 それぞれジョッキとコップを軽く掲げる、和也と舞衣。愛里咲も少し遅れて二人に続いた。


「うん。それじゃあ乾杯……の前に、主賓から一言貰おうか」


 飛良いづみは顔を横に向ける。視線の先にいるのは当然、一番の新人研究生だ。


「えっ? わ、私ですか?」

「君以外誰が主賓だというのかな。ほら、ビールの泡が消えないうちに」


 涼し気な言葉で急かされると、天戸愛里咲は思案顔になる。


 挨拶は歓迎会が始まってからでも良いんじゃないかと思う和也だったが、自らも同じ道を辿った以上、ここは止めずに黙っておくことにした。


 しばらく悩んでいた後輩は、緊張を身体中から漂わせながら正面を向いた。

 深呼吸を一つした後、ゆっくりと口を開く。


「今日は歓迎会を開いてくださり、ありがとうございます。まだまだ未熟な私ですが、みなさんと一緒に一生懸命研究に取り組んでいきたいです。これからもどうぞ、よろしくお願いします!」


 芯が通り、凛とした声だった。

 その声がとても美しいと、和也はなぜか聞き惚れていた。


 一瞬の静寂を破り、飛良いづみが宣言する。


「よし! では、『天戸愛里咲くんの歓迎会兼ガナーズドライブ実験成功の打ち上げ』をここに開催しよう! 乾杯!」

「「「乾杯!」」」


 高らかな三重奏でもって、宴はスタートした。

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