第3話『降って湧いた難題』

 花邑はなむら和也に天戸あまと愛里咲ありさ高清水たかしみず舞衣の学生組が、飛良ひら研究室で難しい顔をしていた。部屋の主であるいづみは、魔導技術局の局長・米澤東光とうこうと話があるとのことで、三人だけ先に戻ってきたのである。


 既に夕日が差し始めた研究室内。皆それぞれのデスクに向かっているものの、作業には集中できずにいた。国家の要人と対面した事実、その人物が非常に「らしくなかった」という衝撃。研究どころではない心持ちになるのも、仕方ないと言えるだろう。


 PC画面とにらめっこをしていた舞衣が、耐え切れないといった風に顔を上げた。椅子の背もたれに寄りかかりながら言う。


「あたし、あの人が防衛省の局長? だっていまだに信じられないんだけど」

「防衛省魔導技術局局長、ね。でも舞衣、自分で言ってなかったっけ。『お偉いさん』っぽいって。そういう雰囲気を感じ取ってたってことじゃないのか?」


 紙束から視線を外し、和也も口を開いた。ちなみに彼が手にしている大量のA4用紙には、先程行われたガナーズドライブ起動実験のデータがプリントされている。そこにひたすらペンで書き込みながら検証をスタートさせるのが、いつものやり方なのだが――


「確かに、さっきの物腰の柔らかさからはあまり想像できないけど」


 クリップでまとめられた紙束を、机の上に乗せる和也。まばらにアンダーラインが引かれただけの資料が、研究魔の心情を表していた。


「あたしが最初に話をした時も、あんな感じだったよ。それなりに立派な身分なのかなってなんとなく思ったけど、まさか国家機関の人だったなんて。どうしよう、めちゃくちゃ親しげに会話しちゃったよ、あたし」

「向こうは気にしてないみたいだったし、その点は問題ないと思うよ。むしろ俺たちにとって重要なのは――」

「今、飛良先生とどんな話をしているか、ですね」


 さっきまで黙っていた愛里咲が、和也の言葉を引き継いだ。三人の中では最も平静を装っているが、彼女も先程から、ガナーズドライブの試作機をじっと眺めているだけであった。


「実験の結果を直接聞きにきた。それだけなら良いんだけれど」

「わざわざこちらに足を運んでいるのが気にかかりますね。反応や口ぶりからして、米澤さんの訪問は飛良先生も知らなかったみたいですし」

「そうなんだよね。なにか急な要望が発生したのか、ドライブの開発方針が変わったのか」


 和也は瞑目する。

 帝英大学魔導科学部、および大学院の魔導科学研究科は、国から多大なバックアップを受けている。それ故充実した研究ライフを送ることが可能なのだが、同時に政策の影響が色濃く反映されてしまう。


 大人の事情渦巻く海を、豪華クルーザーで渡っていく宿命というわけだ。きらびやかな港街が待っているとはいえ、最短距離を航行できる保証はなかった。


「面倒なことにならなきゃ良いなー。部活の方も忙しくなってきてるし」


 背もたれを軋ませながら、舞衣が伸びをした。少しだけ緊張感の抜けた声に、相好を崩しながら愛里咲が尋ねる。


「確か魔導戦競技、でしたっけ。舞衣さんが部活動でやられているの」

「そーそー。大会の予選が近いから、そろそろ本腰入れて練習したいんだよね。あ、勿論研究もやるよ? あたしのできる範囲で!」

「舞衣はそのへんのさじ加減が上手いからあまり心配はしてないけど、身体壊さないようにね」


 ビシリ! と言い放つ部のエースに対し、和也がやんわりと釘を差した。親切心からの発言だったのだが、エースは不満顔になってしまう。


「それ、カズには言われたくないなー。あんたの方がよっぽど――」


 ガチャリ、と。舞衣の言葉を遮るように研究室のドアが開いた。

 困ったように笑ういづみが、頭を掻きながら入ってくる。


「はっはっは。いやぁ、すまないね、随分待たせてしまって」

「お疲れ様ですいづみさん。その様子だと、あまり有意義な話はできなかったみたいですね」

「まあねぇ。少々……いや、かなり厄介なことになったよ」


 和也へと投げかける言葉に、疲労の色が混じっている。どうやら見た目以上に参っているのかもしれない。


 一度は緊張を解いていた愛里咲と舞衣も居住まいを正し、研究室の主を見やる。

 三人の視線を受け止めたあと、いづみはゆっくりと言った。


「一週間後までに、ガナーズドライブの試作機を完成させることになった」


 学生たちが言葉の意味を理解するまでには、しばらくの時間が必要だった。


 そのままの表情で固まる舞衣。愛里咲は首をひねり。そして和也は、瞳を閉じて思考をフル回転させていた。


 学生一同が言葉を失う中、准教授はなにも言わずに腕を組む。次の説明をするのは教え子たちの反応を見てから、ということなのだろう。


 掛け時計の針が規則正しく回っていき、そしてまず和也が言葉を発した。


「『完成』というのは、起動実験と使用実験、両方をクリアする必要があるってことですか?」

「そういうことだね。実用実機の製作にデータを回せるレベルの物を作らないといけない。来週の今日が、正真正銘最終テストになる、くらいの気持ちでいてほしいかな」

「なるほど。それは確かにかなり厄介ですね」


 和也としては、正直言って頭を抱えたくなる出来事だった。いくらなんでも――


「いくらなんでも期間が短いと思うのですが」

「そ、そうだよ! いきなり、あと一週間でって言われても……」


 愛里咲と舞衣も口々に告げる。実際に研究を進めてきたからこそ、どれだけの無茶を言われているのかが分かるのだった。


「ま、そういう反応になるねぇ。ただ、米澤東光局長直々の“お願い”とあっては断りづらいわけなんだよ。私の立場上、残念ながらね」


 飄々とした物言いながら、いづみの苦悩が垣間見える。おそらく、交渉は試みたのだろう。しかし失敗に終わったのだと、暗に示していた。


「来月、自衛隊の練羽駐屯地で設立記念祭が行われるのは知っているかい?」

「設立記念祭……?」

「あー、そういうのがあるんだよリーサ。毎年やってるみたいだけど、今年は節目の年だから特に盛大になる予定だとかなんとか。いつもだと、音楽隊の演奏があったり、屋台が出たりとかだったかなー」


 首を傾げるリーサこと天戸愛里咲に、舞衣が説明をする。


「へぇ。本当にお祭りなんですね」

「高清水が今言ったとおり、今年の記念祭は特別でねぇ。目玉の一つとして、ガナーズドライブの実用実機をお披露目したいんだそうだ。魔導科学技術の発展を、多くの人たちにその目で確かめてもらうために」


 いづみの言葉に、瞳を伏せながら和也は一つ息を吐いた。


「間に合う“保障はできません”よ」

「さすが花邑大先生。そう言ってくれると思っていたよ」

「だから大先生じゃないですって」


 呆れた声を出しつつも、和也の腹は決まっていた。技術発展のためと言われてしまったら、断る理由はない。たとえその発展が、望まぬ形として結実するのだとしても。


「花邑さんの『保証はできない』って言い方が気にかかりますけど、私も完成させたいです、ドライブ。あと少しのところまで来ているはずですので」

「来週の実験は、あたしも絶対立ち会う! ……それまでは、どれくらい協力できるかわからないけどっ」

「先輩方お二人とも、少し頼りないのでは?」


 後輩の冷静なツッコミに、研究室内の空気が和らいだ。


「私も最大限のバックアップを約束しよう。この件は、君たちそれぞれに課せられたテーマであると同時に、研究室としてクリアすべき壁だ。設計担当の花邑には特に負担がいくだろうが、要望があったら伝えてくれ」

「ありがとうございます。まあ、試作機の問題箇所は明らかですから、あとは原因と対処法を見つけるだけですよ。今流通している他の実機に関する詳細データが手に入れば、少し設計が楽になるかなくらいで」

「ふむ、なるほどねぇ。じゃあ、これからちょっと交渉の一つでもしてくるかな」


 言うと、いづみは部屋のドアに手を掛けた。愛里咲が意外そうな顔を見せる。


「どこかにお出掛けですか?」

「米澤御大に誘われて会食だよ。どうせイタリアンレストランあたりなんだろうが、私としては居酒屋で良いんだよなぁ」

「それ単に、いづみさんが日本酒飲みたいだけですよね? ワインとかシャンパンで我慢してください今日は」


 和也の提案をどこまで真面目に捉えたのか、飲兵衛は軽快に笑った。


「そもそもお酒目当てで行くのは間違っているのでは……」


 呆れた口調で呟いた愛里咲を、いづみとは一年以上の付き合いになる和也が諭す。


「この人、飲むなと言われて止めるようなタイプじゃないから」

「もっと駄目じゃないですか! 飛良先生は少し節制、いえ自制してください」

「はははっ。言ってくれるねぇ。この研究室の将来は安泰だよ」


 苦言も意に介さず、いづみはうんうんと頷く。そして、肩を落とす学生たちに背を向けると今度こそ部屋を出ていった。


「今さらながら、あの方が准教授というのが不安で仕方ないのですが……」


 ぽつり漏れた愛里咲の本音を、和也と舞衣は否定できなかった。

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