第4話 迷いの終りと0kmポスト・ワンダーランド

 

 月曜日の放課後。

 誰もいない教室。静かな時間。


 俺とゆきとわかばは三人で黒板の前に向き合っていた。


「お話ってなにかな? 元住ゆきさん?」

 わかばは鉄オタの顔を出さず委員長の態度でゆきと相対する。


「わかばが武蔵と、休日のたびに連れ出してるって本当?」


「…………」


 わかばが無言で俺を睨む。

「武蔵はあたしのものなの。だから無断でとらないでくれると嬉しいな」

 ゆきは表情だけの笑みをべったり張り付ける。


「……はぁ」


「……なに? その態度?」

 わかばから委員長としての気配が消える。

「武蔵はあたしのものね……付き合ってもないのに?」

「付き合うから。これから」

「そう。なら、武蔵は誰のものでもないわね」

「武蔵はリア充なの。あなたみたいな周りに迷惑しかかけない害悪鉄オタとは違うの」

「あなたに迷惑なんてかけてないでしょ」

「武蔵と休日一緒にいれないことが迷惑なの」

「なにそれ? あなたストーカー?」

 お前にだけは言われたくないよ。

「ストーカーまがいのことして脅しで武蔵を従えてるわかばに言われたくない」

「私も武蔵くんに脅されているのだけど……」

「あなたが無理に付き人なんてさせなければ武蔵がなにかすることはないでしょ?」

「そうかもしれないわね」

「なら、武蔵から離れて。もう二度と武蔵のことを振り回さないで」

「いやよ。彼、便利だし」 

 二人の間でバチバチ火花が飛ぶ。リア充じゃなくても男子なら女子対女子の喧嘩というか口論には弱いと思う。例外なく俺もだ。

「それに彼は鉄オタなんだから私と一緒にいたほうが楽しいじゃない」

「それは昔のことでしょ? 今は違う。武蔵はリア充として高校生活を楽しんでる」

「そうかしら? 私と一緒に電車を撮る彼は楽しそうよ」

 ねぇ。武蔵君。

 一瞬だけクラス委員長としての顔に戻る。

「そ、そんなこと――」

 ない。

 否定の言葉が出てこない。

「武蔵……?」

 事実なのだ。写真を撮ったりするほうが楽しいのは。

 廃車になる車両を撮りに行ったり、山奥の鄙びた私鉄を撮りに行ったり、話題のクルーズ寝台特急を撮りに行ったり――

 そんな瞬間に“僕”の中にある「鉄オタ」がさらけ出てしまうことは。

「武蔵君。私の一緒に電車を撮りに行くのは嫌?」

 ゆきがじっと俺のことを見つめる。

 その先でわかばニヤリと笑う。


 バ ラ す よ ?


「俺は……わかばとの方が……」

 あまりの恐怖で声がこわばる。

「そういうことみたいね」

 わかばがにこっと笑い委員長の顔に戻って言う。

「それでは元住さん、これからも武蔵君と仲良くお出かけさせてもらいますね」

 わざとらしいスキップでわかばは教室から出ていった。

 俺はゆきの顔を見られなかった。



 空が赤く焼け始める。

「ねぇ、武蔵」

 ゆきが静かに問う。

「あたしのこと好き?」

「……好きだよ」

「ほんとうに?」

「大好きだよ?」

「なら、どうしてわかばのこと――ううん、電車なんて選んだの?」

「そ、それは……わかばに脅されてるからで……」

「本当にそれだけ?」

 ゆきが一歩俺に近づく。


「武蔵はリア充と鉄オタどっちを選ぶの?」


 それはゆきの恋人か、わかばの付き人かを選べとも聞こえた。

 そんなことは常識的に考えてゆきの恋人だ。付き合うことになったら毎日手を繋いで学校に行って、みんなに冷やかされながらのろけ話をしたり、休日には映画に行って、キスをして、抱きしめて、心も体も一緒になって気持ちよくなってみたい。自分の中の劣情を全てゆきにぶつけてみたい。気持ちよくなりたい。幸せになりたい。


「ごめん」


 それなのに、それなのに、俺はゆきのことを選べない。

 わかばの付き人なんて何一ついいことはない。深夜に突然家にやってきて、始発で群馬まで行く羽目になったり、駅員や他の鉄オタとのトラブルに巻き込まれてたりする。もちろん青春の甘酸っぱさなんてものとは無縁で、脅すと脅すの関係で成り立っていく冷たい戦争をしていたどこかの国同士の関係よりも残酷な男女関係だ。

 それでも、それでも、脅されている以外の、過去をばらされたくない以外の一パーセントがゆきを拒否して受け入れてくれない。

 俺はゆきを振った。いや、拒絶した。今のリア充じゃなくて、過去の黒歴史の流失を防ぐために。

「あぁ……失敗か……」

 ゆきがため息をついて俺から離れる。

「ねぇ、武蔵。なんで武蔵がリア充になるの手伝ったと思う?」

「え……?」

 言われて初めて気付いた。

 ゆきには俺がリア充になるのを手伝う理由なんてない。そりゃ、小学校の三年生あたりまでは普通の友達みたい仲がよかったし、遊んだりもした。でもそれだけだ。それ以上のことはない。それ以降はちょっと世間話をするくらいの、家が近いだけの幼馴染だった。

「武蔵をあたしの彼氏にするためだよ」

「それは……俺のことが好きだからってこと?」

「はははっ、武蔵って面白いこと言うね」

 ゆきは手近な机に腰をおろして、足を組み、ポニーテールを揺らす。

「あたしはさ、彼氏なんて別に誰でもいいんだ」

「は?」

「中学の頃はバスケ部で忙しかったじゃん、あたし。彼氏とか作ってる暇なくてさ……中学卒業して、さぁー彼氏つくるぞーって時に武蔵が俺のことをリア充にしろとか言うじゃん? グッドタイミングだったわけ」

「…………」

 ゆきがなにを言っているかわからない。

「武蔵はまぁ、顔は悪くないわけだし? 体鍛えて、ちゃんとリア充っぽくすればそれなりに見れるようになるなって。あたし好みの彼氏を作れるなって思ったの」

 とっても都合がいいでしょ。からからと喉を鳴らして笑う。

「なんで……なんで俺なんだよ……」

「うーん、まぁ誰でもよかったんだけどね。でもさ、自分好みの彼氏作るなら一からがいいじゃん? 半分くらい出来上がってるのをあたし好みにしたってさ、全部思い通りにならないじゃん?」

 ゆきにとっての彼氏とはきっと鉄道模型みたいなものだ。

 模型屋で完成品を買ってきてちょっと色を塗ったりして削ったり部品を付け足して見た目を変えるよりも、Bトレのようにゼロからくみ上げて自分の好みに改造したほうがいい。そんな感じで自分の好みにあう男を作りたかったのだ。

「俺は……ゆき好みの男になれたのか……」

「まぁ、六十点かな? 初めてだしこんなもんでしょ?」

 あっけからんと及第点を投げつける。

「あーあ。武蔵があんな鉄オタと一緒にいるとか言わなければなー。この後ヤろうと思ってたのに」

 ゆきがひらひらとコンドームの袋を見せびらかしてくる。

「あっ、こういうほうがいいかな?」

 わざとらしくスカートの端を持ち上げて、コンドームを口にくわえて見せる。

(きっと、わかばと離れられていたらゆきと恋人になれて、ベッドの上でバカみたいに腰振ってたんだろうな……)

 わかばがいなくなった教室でゆきに告白する。ゆきは満面の笑みで俺を受け入れて、唇が触れあうくらいのキスなんてしたりする。二人で手を繋いで帰って、母親にちょっと遅くなるって連絡をして、夜遅くまで親が帰ってこないゆきの家に行く。女の子の香りに恥ずかしい気持ちになりながら、またキスをして、抱きしめあって、ベッドにゆきを押し倒して――

 でも、そんな想像はゆきの本性を知ってしまったあとでは何一つ魅力的ではなかった。

「あたしのこと、嫌いになった?」

「……好きじゃなくなった」

 三分前まであんなに好きだった女の子を簡単に嫌いになんてなれない。

 でも好きじゃないなんて言えるくらいには好意は消える。

「そっか。でも、武蔵は服の好みから態度、趣味まで作ったからね。また好きになったら教えてよ」

 そのときあたしに彼氏がいなかったら付き合ってあげる。

「じゃあね。明日からは友達で」

 ぴょんと机から降りてゆきが教室から出ていく。

 すっかり暗くなった教室で僕は一人ぼっちだった。



 何時間立ったかはわからない。いつの間にか“僕”は公園にいた。いつかわかばと深夜にやり取りをした遊具がなくなった世界の終りみたいな公園。寒空の中、群青の彼方に消えた夕焼けがまるで俺みたいでみじめな気分になる。

「ゆきがあんな最低な女だったなんて……」

「あなただって最低な男じゃない」

 ダボダボのスウェット、よれた白いシャツ、飾り気のないフリースパーカー。美少女を台無しにするそんな格好でコンビニの肉まんを食べてるわかばがいた。

「全部あたしのせいにする」

「……なんでいるんだよ」

「結局あなたは鉄オタなの。リア充の皮かぶって、リア充の中にいてもオタクである血は消えないの。大好きな女の子を電車のために犠牲にしてしまえるくらいにはオタクなの」

「違う。お前に脅されてるから告白できなかったんだ」

「うるさい偽善鉄。人のせいにしないで。あなたは惨めなオタクなの。認めなさい」

「認めない!」

 叫んで拳を握りしめる。

 そんなこと知っている。

 ゆきに告白できなかったのは、わかばのほうを選んでしまったのは

 脅されているからではなく――


 俺の中の鉄オタがリア充と遊ぶ日々より、鉄オタのわかばと撮影に行くことを優先した。


 事実がアイデンティティを壊しにかかる。結局“僕”が纏う俺というリア充は欺瞞なのだ。

 それが認められなくて、認めたくなくて、抵抗して、抗うために。

「醜い」

 侮蔑の表情で、貶す。わかばは心から俺を嫌悪していた。

「よほどあなたのほうが惨めなの。汚いの。ゴミなの。私みたいに駅や乗客や親やありとあらゆるところに迷惑をかける鉄オタ以下なの。頭で理解しなくてもいい。体でわかって。あなたの体が動く方が勝手に鉄オタの方を向いてるの」

「…………」

「あきらめて私の付き人をしていればいいの」

「……それ以上言うなら動画ばらまくぞ」

「……はぁ。まだそんな事をいうの? 私にはあなたがレイプをした証拠もあるし、過去のことだって知ってる。リア充でいたいならそんなことはしない方が賢明ね。それとももうリア充はあきらめる?」

 俺は何も言い返せなかった。

 もしかしたらレイプ魔にされるという恐怖よりも高校一年生の頃から積み上げてきたリア充の俺が壊れることが怖いのだ。

 鉄オタと認めたって、まだリア充として生き残れる道はある。わかばの付き人なんていう奴隷的関係に甘んじながら、あのリア充グループに身を置くことはできる。

 結局捨てられないのだ。リア充の俺も、鉄オタの“僕”も。

「……まぁ、あなたの恋愛事情なんてどうでもいいわ」

 肉まんの最後の一口を食べ終えたわかばが俺を睨む。

「惨めさを自覚して付き添いするなら鉄研に入りなさい」

「は?」

「ウチの学校に鉄道研究会――鉄研があるの。入りなさい。もう三年生しかいないつぶれかけらしいし、上手くいけば来年そこにある機材と現在の情報を独占できるわ」

「なんで俺が……」

「あと顧問が鉄道業界に相当詳しい人間みたいなの。そいつからも色々情報を集めたりスジをクレクレすれば来年は今以上の情報強者間違いなしよ」

「そんなの自分でやれよ……」

 ただでさえ休日リア充グループと遊ぶ機会が減っているのに、部活なんて始めたらまずます時間がなくなる。

「私は仮にも委員長よ? そんなこと表だってしたら目立って仕方ないし、何より鉄研はいわゆるアレがいるのよ」

「アレ?」

「老害」

 わかばが言いたいことは何となくわかった。部活の中に部外者の自分が突如として入っていったら受験が終わって悠々自適にゆるく閑談している三年生の楽園が崩壊して情報収集どころではないという話だろう。それに鉄研にいるような人々はわかばにはまさしく「偽善」に見えるのかもしれない。

「それにオタクくさい男どもの中に私みたいな美少女が入っていったら犯される」

「凌辱系同人誌の読み過ぎだ」

「とにかく指示には従うこと」

 従わないならわかるわよね?

 そう言われてしまったらやるしかない。こうやってこの先も俺は結局こいつの付き人としてついて回ることになるのだろう。


「……もうむりして同族嫌悪もする必要もないか」

発音しない声で、わかばの独りよがりな笑みを見ながらそうつぶやいた。


いまはきっと0kmポストだ。


《終》(アフターストーリーに続く)

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