第2話 こんな夜更けに撮り鉄かよ

 


 それから一週間が経った。

 怪我をした理由を適当にでっちあげて、リア充の中でいつもと変わらずに過ごす毎日。わかばもあぁは言ったものの教室内外を含め干渉してくることはなかった。

 弱みを握り合いつつも平凡な高校生活が続いていく。そんな風に思っていた。

 しかし、わかばはそんなにものわかりのいい性格なんてしていなかった。

 


 深夜一時。

そろそろ寝ようかと思っていると、窓に何かが当たる音がした。

無視して眠ろうとする。しかし、音は断続的に続く。

不気味に思い窓を開けると、階下に黒ずくめの少年――いや、鉄オタの格好をしたわかばがいた。その手にはエアガンと思われる物体が握られている。

わかばは何も言わず濁った瞳でこちらを見つめている。降りろということだろう。

普通ならわかばみたいな美少女に夜な夜な家を尋ねられればピンク色の妄想が広がるだろう。もてあます男子高校生の性欲がメーターを振り切るに違いない。しかし、俺のことをレイプ魔にしようとした奴がこんな時間に尋ねてきて不安にならないほうがおかしい。

(行くしかないか……)

 色々とあきらめて、スウェットにTシャツ、白のパーカーというラフな格好で家を出た。



 家の前にいたわかばは俺の姿を確認すると静かに歩き出した。ついてこいということだろう。何も言わずに後をつける。

(しかしすごいギャップだな……)

 学校でのわかばといえば派手さこそないものの清楚なたち振る舞いとリーダーシップ、大きな胸部という男子受けする容姿でクラスの中心的立場にいる。それがどうだろう。鉄オタとしての彼女は美しい髪を隠す爺臭い茶色いハント帽に胸部の大きさを隠すかのようなダボダボなメンズTシャツ、ボロボロのジーパンに小学生が履くようなスニーカーという姿――自分のスウェット姿がまだマシと思える酷いファッションである。しかも今日はそれに登山用と思われる巨大なリュックに右手には俺を呼びだすのに使ったエアガン(安価なMP5)が握られていて、顔さえ見なければ完璧に危ない奴だ。いや、顔を見ても危ない奴だと思うけど……

 わかばと共にやってきたのは寂れた公園だった。危険だということでありとあらゆる遊具が撤去され、鉄棒なんて誰特なものしか残っていない場所。

「ねぇ」

 わかばが濁った瞳で俺を見る。

「なんだ? こんな時間に呼び出して」

「これ、なんだかわかる?」

 わかばがポケットから取り出したのは口が縛られたコンビニの袋だった。

「……お前」

「男子高校生の性欲ってすごいね」

 暗黒微笑。そんな四字熟語が似合う表情を綺麗な顔に張り付ける。

「君の指紋が付いたパンツもあるしー、これでいつでもレイプされたって叫べるねー」

「…………」

「何か言わないの?」

「……こんな時間に呼び出して何がしたいんだよ」

 苛立ちが混ざる声で問う。

「あはっ、そうだね」

 わかばはリュックにビニール袋をしまいながら言う。

「撮影、付き合ってよ」

「そんな事言ってたな……」

 わかばが俺に突きつけた条件を思い出す。

「明日、栃木まで行くよ」

「栃木!? しかも明日!?」

「正確には十八日の七時半には現地に居たいね」

 現在の日付と時刻は五月十八日一時二十八分だ。明日と言うが実質今日であと六時間後には現地にいることになる。

「おいおい……いくら明日が日曜だからって六時間後に栃木? しかも七時半に現地にいるとなると始発じゃねーか」

「そうよ。何か問題でも?」

「問題しかねーよ……」

 頭の中の情報が古い時刻表を検索する。確か宇都宮に七時に着くには四時半の始発に乗らなければならない。

「大体なんでそんなに早いんだよ? 普通に撮影行くならもっと余裕あっていいだろ?」

「元鉄オタのあなたなら知ってるでしょう? あの私鉄の通勤車両が引退したこと。それが明日で23時にはトラックで運ばれるっていう情報を手に入れたの。アレが線路に乗っている最後の回送を撮れるのは明日の朝しかない」

「なるほど……」

 どこから仕入れた情報か知らないが、鉄オタの中にはこうしてラストラン以上に最後に線路に乗っている瞬間を撮りたいという面倒な奴もいる。わかばはそのタイプのようだ。

「とにかく四時二十分には新宿にいること。ホームの場所はわかるわよね? いなかったら殺すから」

 社会的に。

 そう言い残してわかばは月の見えない夜に消えていった。

「なんだよ……それ……」

 馬鹿みたいだった。

 始発で東京から栃木まで行って私鉄のおんぼろ車両がトラックに積み込まれる前、線路に乗っている写真を撮る。一般人には、鉄オタの中のほんの一部しか理解できない理由のために行動する。本当に馬鹿みたいだ。

 それでも、元鉄オタとしてわずかながらでもわかばの気持ちがわかってしまう。わかってしまった以上やるしかない。

「さすがに高校生のうちにレイプで捕まるのは人生終わりだしな……」

 家に帰り準備をして仮眠をとる。鉄オタだった頃の夢は不思議と見なかった。



 新宿駅でわかばと合流して栃木に向かう。

 何度か電車を乗り換える。栃木に向かうにつれて景色は都会のそれから草や畑が広がるものになり、大きな建築物もまばらになる。

 ボックス席で向かい合わせに座るわかばは目を瞑りイヤホンをつけて爆音でよくわからないV系の激しい音楽を鳴らして外界との接触を断っていた。大きな荷物は俺に押しつけられ、手には相変わらずエアガンを握ってい銃口がこちらに向けられていた。

(一体俺が何をしたっていうんだよ……)

 現状、俺はわかばに何もしてない。動画を使って脅そうとしたことは事実だが、それより前に三脚で殴られているしレイプ魔にさせられかけている。それなのにどうしてこんなに朝早くから栃木のド田舎に行かないといけないのか――

(考えても仕方ない……)

 思考を放棄する。どっちにしろわかばの撮影に付き合わなければリア充ではいられない。栃木に行くだけで俺のアイデンティティが保たれるなら安いものだ。そうやって自分を無理やり納得させて客がいない電車に揺られ続けた。

 そうしてたどり着いたのは寂ついた駅だった。周りにあるのは田んぼ、トラクター、それから東京とは比べ物にならないほどに小さくてしょぼいバス停だった。

「行くわよ」

 俺に重たい荷物を預けたままわかばは歩き出す。無人駅の誰もいない改札に切符を突っ込んで歩き出す。雑草が顔を出しひびがあちらこちらに浮かぶコンクリの道は俺らを拒絶しているようだった。

 適当なポジションを見つけたのか、わかばは小走りに納屋の横に近づく。

「三脚出して」

 そういうと、自身は巨大な銀色のカメラケースの中から一目で値が張るとわかるカメラを取り出す。俺も素直にケースからべらぼうに背が高い三脚とわかばから借りたビギナーズカメラを取り出した。

「これで俺を殴ったのか」

「不慮の事故でしょ?」

「あれを不慮の事故なんて言う奴の気がしれない」

「レイプ魔にそんなこと言われたくない」

「それはお前がでっちあげてるだけだろ? お前を犯したりなんてしないししてない」

「そう。それならヤッてみる?」

「なにを?」

「セックス」

「絶対にやらない」

 いくら男子高校生とはいえ自分をレイプ魔にしようとする女と交わりたいなんて思うはずがない。それが胸も大きくて顔がいいわかばだとしてもだ。

「証拠でも作ればもっと従順になりそうだけどね……」

「今でも十分従順だろ? こんなに朝早くから撮影に付き合ってるし」

「奴隷のように従い、ゴミのようにみじめで、ただ私を満足させる。そこまでして従順と言うのよ」

「レベル高いな」

 三脚を渡すと早速カメラを雑にセットし始める。しかしそれは納屋に対して若干斜め五度になる角度になっていた。これでは構図としてはいいだろうが鉄道の写真としては色々言われそうだった。

「それでいいのか?」

「えぇ。私は撮り鉄爺ではないのであとでトリミングするから少し斜めるぐらい気にしない」

 こんなことツイッターでつぶやいたら一瞬で炎上しそうだなとくだらないことを考えながらその時を待った。暇をつぶすために、新宿のキヨスクで買ったおにぎりを頬張りながら周りを見渡す。すると、ちらほらカメラを構えているいかにも鉄オタという人影が見受けられた。やはり本当の最後を見届けたいのだろう。

 

 俺は何気なくわかばを見た。その瞬間、言葉を失った。


 わかばがこれまでに見たことのない表情をしていた。


 クラス委員長としての表情でも、俺のことをモノのように扱う表情でもなかった。

 無邪気に、幸せそうな感情ただただをかみしめている人間がいた。


 わかばは夢中でシャッターを切った。まるで指先から魔法がこぼれ出たように辺りを煌めかせて、無機物を有機物に変えて、かけがえのない瞬間を大切に切り取って黒い箱に収めていく。この瞬間だけは、彼女は鉄道の世界を一人占めしていた。それくらい自由で無垢で穢れのないどこまでも純粋な存在だった。

 駅に戻ると、廃車が決まった車両は車庫の奥のほうに眠っていた。そうなるとわかばは現実に戻ってきて真剣な表情で写真を確認し始める。

「そこそこかな……」

 カメラを覗いてみると、普通の写真としてはそれなりの構図でそれなりに綺麗に撮られた電車が写っていた。普通ならRAWで撮ってフォトショップでいくらでも修正できるが、元が悪ければ修正してもいいものにはならない。(そして、だいたいの旧来の撮り鉄が写真を修整するのに抵抗がある。)そう言う意味でも秀逸な一枚と言えた。

「それじゃ帰りましょ」

「もう帰るのか? 他に撮りたい車両はないのか?」

「今日は特に。また近いうち付き人を頼むわ」

 わかばはそう言うと手際よくカメラを片づけ立ち上がる。重い荷物は相変わらず俺が持つはめになっていて、それは眠気と疲れのせいで行きより重たく感じた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る