クラスの清楚系が駅先で(三脚を振り回しながら)罵声を上げていて困ってます。
ひなもんじゃ
うるさいうるさいうるさい!!!駅構内三脚禁止って書いてねえだろ!!
第1話 クラスの清楚系が駅先で三脚を振り回しているわけがないし、もちろん元偽善の俺が見過ごすわけがない
プロローグ
死ね。
心の底からそう思った言葉が桜の花弁と共に風に運ばれていった。
普段は着崩している制服をぴしっと来た生徒たちが卒業証書を入れた筒を片手に談笑している。時折涙を流す生徒もいる。
中学校の卒業式。半端な大人になるための通過儀礼で、友達との別れで、お世話になった先生たちとの別れで――そしてぼっち鉄オタには何も、何も関係のないイベント。
体育館に保護者と共に詰められて、肌寒い中大人の退屈な話を聞いて、作者の泣かせる意図が透けて見える合唱曲を歌い、たった紙切れ一枚もらうためのイベント。
もちろん卒業式はそれだけのイベントではない。それだけのイベントならどれだけよかっただろう。
リア充たちにとって――いや、普通の生徒たちにとってこれは自分を輝かせるための道具なのだ。卒業証書をもらうための儀式ではないのだ。
体育館に入場するとき保護者の構えるカメラの前でおどけてみたり、合唱の時泣いてみたり、卒業証書をもらいに壇上にあがったときに笑顔を見せたり……
そうして「思い出」なんて腹の足しにもならないものを作って、おいしそうに味わう。
くだらない。死ね。
何度も何度もそう思うの――にうらやましくて仕方なかった。
僕はくだらない鉄オタで、友達はいなくて、先生とも親しくなく、両親は卒業式にこない。そんな僕があんなにキラキラしたものに憧れないはずがないのだ。
悔しい。悔しい。悔しい。悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい……
積み重なった言葉は結局また「死ね」なんて自分のふがいなさを露見させる言葉にしかならなくて、そんな言葉をつばみたいに地面に吐きつけるしかない。
「絶対……リア充になってやる……」
僕がもっとも嫌いな人種に、
青春を送れる存在に、
そうなると決めた時、僕の中の感情は壊れた。
一話
朝起きたらまずシャワーを浴びる。
目覚ましと、あと清潔感を保つための措置。自分の快楽より他人の目線を気にする。
熱いシャワーで寝汗と寝ぐせを洗い流し、ドライヤーで髪を乾かす。制服をゆるくきて、ネクタイを第二ボタンの辺りでたらす。ワックスを手に取りよくなじませてから髪がふわっとなるようにセット。スプレーで固める。朝食を食べて、持ち物を確認して、エナメルのローファーを履いて――準備完了だ。
ばたばたと忙しそうな家族を横目に家を出ると、隣に住む幼馴染のゆきをはち合わせた。
「おはよっ」
「おう」
赤茶色に染めた髪を頭の高いところシュシュで結び、だぼっとしたピンク色のカーディガンを着て、短い黒のソックスを履いたイマドキの女子高生。それがゆきだ。
「ねぇねぇ、昨日のアイカラ見た?」
「あぁ、見たよ。今回の女の子、メンヘラって感じだよな」
自然と昨日見たテレビ会話が始まる。アイカラというのは深夜一時に放送される大学ミスターの男が街に出かけて女の子に逆ナンされるのを待って、そこから恋を、そして愛をはぐくむという番組だ。あきらかにテレビ局の「ヤラセ」が見えるがそれがリア充高校生に受けている。
「やっぱり武蔵もそう思うよね? 女子から見てもあれはやばいよ」
「だよな。深夜三時にLINE連投からの会いにきては……」
「重いよねー。あんなに依存されたら青葉君かわいそうだよ……」
「でも、その青葉の対応がいいよな。びしっと断って終わりにする」
「そう! ほんとそれ! 青葉君はっきりことわる性格だからあの女もあきらめるしかないよね」
昨日出てきたのは現代の闇ともいえるべきメンヘラ女で、正直見ていられなかった。しかし、こうして話題になることはわかりきっていることなので勉強のつもりでなんとか最後まで見切った。
五月の爽やかな風を浴びながら駅まで歩く。ゆきの話に適当に合わせる。周りからみればリア充カップルにしか見えない距離感だろう。
「武蔵、うまくなったね」
そろそろ駅に着くというとき、ゆきがニヤリと小悪魔的な笑みで“俺”を見つめた。
「リア充っぽくなれたってこと?」
「というよりほとんどリア充だね」
「ゆきのおかげだよ」
「そんなことないよ。武蔵が努力したからだよ」
ゆきは俺の頬をちょんとつついて肩を寄せた。左腕に柔らかい感触が触れる。
「近いぞ」
「いいじゃん別に」
はぐらかされて、これは無理に引き離さなくてもいいかと、俺とゆきは密着したまま学校へ向かった。
学校に着くと自分の席に荷物を置くのもそこそこにリア充グループにゆきと一緒に向かう。
「おっ、二人ともきたか」
このグループのリーダ格の男が俺らに手を上げる。
「おはよっ、みんな」
「おう」
ゆきが笑顔を振りまき、俺はなんとかひきつらなくなった挨拶代わりの笑みを浮かべる。
自然に男女六人のグループが、このクラスのリア充集団が構成される。
「聞けよ、依与吏の奴また新しいネックレス買ったんだぞ」
「えー、また? この前も買ってたじゃん」
「いいの見つけてさ、ついな」
リア充グループの一人山口依与吏は首にぶら下がる銀で出来た小さな十字のネックレスを見せびらかす。
「かっこいいじゃん」
緊張など全くないように素直に褒める。本当の良さはわからないけど褒める。
「さんきゅ。そういえば武蔵はあんまりネックレスつけないよな」
「制服に合うのがないんだよな……」
これは半分本当で半分本当。ネックレスは持っているが、私服用で制服に似合うような控え目でそれでいて存在感があるようなものはない。
「そかそか。今度一緒に買いに行くか?」
「頼む」
「オッケー。んじゃ、近いうちに」
「えー、依与吏今度あたしとアクセ見に行くって言ったじゃん」
清楚系ギャル。そんな言葉を体現したような黒髪ギャルが依与吏にわざとらしくあざといポーズで迫る。
「ははっ、それも今度な」
「約束だよ?」
可愛くもないアヒル口を清楚系ギャルは作る。
そんな感じでリア充たちの会話は進んでいく。
高校二年生。青春まっただ中。彼女がいないことを除けば充分すぎるリア充。それが俺。
自分の満足感より空気を優先。自分の趣味よりみんなとの遊びを優先。適度な成績ガリ勉はダサイ。補習や再テストはもっとダサイ。そんな感じ。そんな感じがリア充。
オタクを隠して見た目を装飾してそんな風に振る舞えば――男子は憧れと嫉妬のまなざしを向け、女子はあいつともっと仲良くなりたいなんて性欲が混じった視線を向ける。
すごく素晴らしくてすごく素敵。オタクでは味わえなかったこと。
それを全身で受け止めて、世の中全ての有象無象のオタクを見下してみる。最高に気持ち悪くて気持ちいい。そんな二律背反の感情は有耶無耶にして「リア充である」ことをアイデンティティに学校で生きる。
話に夢中になっているとトンっと背中に誰かがぶつかった。
「あっ、ごめん」
「わ、私こそごめん」
背後にいたのは委員長の高幡わかばだった。品行方正、才色兼備でギャルがつかないガチの清楚系。そんなテンプレ委員長。髪はつやつやで思わず触りたくなるし、密かにブラウスの下を主張する膨らみも、長めのスカートとソックスの間から除く膝小僧も普通の男子高校生なら惹かれる。間違いない。でも、俺みたいにリア充に染まった奴はもっと露出や尻軽そうな感じを求めてしまう。嫌な趣味になったと自覚して軽く嫌悪感を覚える。
気にしないでという風にお互い微笑むと委員長の興味は別のところに向けられた。
「おっはー、わかば」
「おはよう」
ゆきは軽い感じで挨拶をして、それにわかばが丁寧に挨拶を返す。リア充のゆきと委員長のわかば。あまり合わないような二人だが、なぜかそこそこ仲がいいみたいだ。
「おっ、委員長ちょうどいいところに。三時間目の化学の宿題、やってきてねーんだよ」
リーダー格の男がわかばにむかって手を合わせる。
「自分でやらないとダメ」
「えー、委員長そこをなんとか……」
「昼休みに頑張りましょう?」
「もっと優しくしてくれよー……俺の女だろ?」
「私は君の彼女じゃありません」
おどけて人差し指で×印を作る。リア充のあしらい方もうまい。普通の女子ならこれで赤面する。
「じゃあね」
委員長は軽く手を振り俺らから離れた。
「委員長、結構いい女なのに彼氏いなんだよなー」
「おっ、依与吏狙ってんのか?」
「ちげーよ……隣からめちゃ睨んでくる奴いるのに委員長と付き合えねーよ」
「一回くらいデート行ってもよくない? こんなにアピってるのに……」
「そうだな。近いうちな」
「もう、またそうやってはぐらかす……」
男子は依与吏を批難、女子はがっくり肩を落とす清楚系ギャルを励ます。
もちろん本気でやってない。ネタだ。リア充は本気の恋もみんなの前ではネタにする。そんな光景は慣れたし、対処法はわかっている。何気なく笑って周りに合わせるだけ。
リア充の朝はこんな会話が続いて、中学校時代の俺が暗い瞳でどこからか睨んでいた。
怠惰で代り映えのしない一日は一時間目、二時間目を食べて三時間目の体育に突入する。女子は更衣室に、男子は教室で各々着替えを始める。
リア充男子はふざけながら、体育会系の男子は筋肉を自慢しながら、地味キャラとぼっちはこそこそと着替え早々に教室を後にする。
俺はそんな中に混ざって、頑張ってつけた腹筋と背中から肩にかけての筋肉を外気にさらす。男子高校生なら毎日ちょっとずつでも鍛えていれば筋肉はつく。それを証明するような細マッチョだった。
今日は男女ともにサッカーをやるというので校庭へ。そろそろ一ヶ月後に迫ったスポーツ大会に向けたチーム分けも行われるはずだ。リア充たちはサッカーをやりたがるので、少しでも上達しておかないと……
「みんな注目ー! ゼッケンとか出すから手伝ってー!」
だらだらと体操着越しの女子の胸を肴にゲスな会話をしていると、わかばを中心に準備を始めていた。
「わかばもおっぱいデケーよな」
「それな」
「確かに」
「おっ、依与吏くんはまた浮気か?」
「だってあいつ胸ねーし」
あいつとはさっきの清楚系ギャルのことだろう。
「おっぱいはわかばのほうがいいと。また睨まれるぞ」
「そうだよ。デートくらい行ってやれよ」
口にしてからから少し後悔した。朝終わった話題をぶり返すのはしつこいと思われる可能性がある。
「あいつもな……まぁ、真剣に付き合うには重そうだし、一回ヤって捨てるには顔がいいからもったいないんだよな……」
当然のようにゲスな発言をする依与吏だが、仲間内ではこれもネタとして扱われる。
「それな。わかばちゃんはまだ処女だろ? 適当なこといってセフレにでもすればいいんじゃね?」
「本当それ」
「待て待て、俺にもヤラせろよ」
「俺もヤリたい!」
性欲――いや、女子を支配した気になっているゲスな笑みをこぼす。俺も仕方なく付き合う。これがリア充だ。そう言い聞かせて。
適当に一日が進み放課後はカラオケに行くことになった。
教室を出て昇降口までいくと、わかばとクラスの女子何人かと鉢合わせした。
「わかばちゃーん。俺らと一緒にカラオケ行かない?」
わかばに声をかけたのは、体育の授業の時わかばの胸が大きいとか言いだしたリア充グループのリーダー格の男だった。
「ごめんねーこれからこの子たちと買い物に行くの」
「えー、いいじゃん。それじゃその子たちも一緒に――なっ、依与吏」
イジワルな男はわざと依与吏に話を振る。清楚系ギャルの目が猛禽類のように光る。わかばと一緒にいるいかにも普通という感じの女子たちの瞳に怯えが見えた。
「あー、おれはカナの相手で精いっぱいだから他の女の子は……」
曖昧な、でもカナと呼ばれた清楚系ギャルの女は納得させる返事をする。
「ほーら、山口君は嫌だっていってるよ?」
「ちぇ、空気読めねーな」
「依与吏は空気読んだだろ?」
スキを逃さずツッコミをいれる。
「それもそうだな」
グループ全体が笑いにつつまれる。うまくいった。気付かれないように安堵のため息をつく。胸の中で。
「それじゃ行くか。わかばちゃんまた明日」
「うん、バイバイ」
わかばが控え目に手を振る。俺らはぞろぞろと学校を後にする。ちらりとわかばの方を振り向くと彼女の綺麗な目が僕を捉えた。わかばは丁寧に僕にも手を振る。それに呼応するように俺の右手も自然と手を振った。
駅前のカラオケに着くと適当にドリンクバーの飲み物を取り、リーダー格の奴が歌い始める。リア充が歌う曲なんてバカの一つ覚えでちょっとはやったCMソング、今期のドラマ主題歌、ネタ曲、オタク臭くないアイドルだ。それがフリータイムいっぱい続く。
「それじゃ俺のオハコいきますー!」
「「「おーっ?」」」
「中学校の校歌いれまーす!」
「でたー依与吏が毎回いれるやつ!」
「お前本当に自分の卒業した中学校大好きだよな」
依与吏はネタ曲として毎回自分が卒業した中学校の校歌をいれる。しかも女子のパートで歌うからなんだかよくわからなくても面白い。
俺も適当にはやりの何代目かわからないブラザーズの曲をいれておいた。男子はこれを歌えば間違いない。盛り上がりすぎず下がることはない。そんな曲だ。
カラオケは、序盤は適当に盛り上がる曲、中盤はバラード系多め、最後はまた盛り上がる曲という感じで終わった。フライドポテトの皿と誰かがバツゲーム代わりに作ったドリンクバー全部混ぜが入ったグラスを横目に部屋を出る。一人千二百円のお金を払ってカラオケを出るとファミレスで夕食を食べる流れになった。
カラオケからファミレスに移動し各々適当な料理を頼み、ダラダラ喋り、ごはんを食べてまたダラダラする。これは制服姿でいることを咎められる十時半くらいまで続くな。そんなことを考えながらメロンソーダをズズっとストローですする。
「でさ、アキホの奴彼氏の顔面ぶん殴ってさ」
「何それウケる」
「馬鹿だなタケルの奴」
リア充たちの会話に合わせる。さっき食べたハンバーグセットの付け合わせに出てきたミックスベジタブルくらい自然に混ざる。これがリア充。これがリア充と念じながら。
「そろそろ行かない?」
どれくらい話しこんだだろう。ゆきが不意にスマホの画面を見ながら言う。時刻は十時二十分。そろそろ店員に声をかけられてもおかしくない時間だった。
「だな。帰りに警察に声を掛けられてもつまんねーしな」
私服ならともかく制服で夜の十一時を過ぎてぶらついていたら間違いなく声をかけられるし、最悪補導だ。タバコや酒をやってるやつはいないから注意で済むとは思うが、面倒なことには変わりない。
「いくかー」
リーダー格の男子が立ちあがるのに合わせてメンバーが会計を済ませ店を出る。お会計は八百円。カラオケと合わせて二千円。高校生の一日の遊び代にしてはそこそこという金額だ。
「あっ」
何気なくポケットに手を入れた時、家の鍵がないことに気付いた。そういえば、カラオケの時テーブルの上に置いたっけ……
「どした? 武蔵?」
「カラオケに家の鍵忘れた。取ってくるから先行ってくれ」
「おう、そうか。それじゃな」
「また明日ー~」
「バイバイ武蔵ー」
笑顔で手を振り分かれる。俺は小走りでさっきのカラオケに戻りカウンターいる店員に忘れ物を調べてもらった。鍵はすでに預かっていたようでスムーズに受け渡しが終わる。
一人で駅へ向かう。あいつらは一本前の電車で帰ったのだろう。ホームに降りてもその姿は見えなかった。
音楽プレイヤーをイジり、リア充が聞きそうな曲を聴く。こうしてレパートリーを増やして、次のカラオケの準備をする。
そんな時、イヤホンの機密性を破って轟音が飛び込んできた。
「えっ」
思わず口から洩れた言葉がビル風に流されて消えてゆく。
轟音の正体はもちろん電車ではなかった。それは――
「このアホーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!」
何か黒い棒状のものを振り回しながら駅員に迫る人物の発した絶叫だった。
「ちょ、お客様!? 落ち着いてください!」
「うるさいアホ! このアホ! アホアホアホアホアホーーーーーー!!!!!!!!!」
どこぞのブチギレ国会議員も驚くほどの声量で語彙力のない罵倒と黒い棒(どうやらそれはカメラの三脚のようだった)を振り回していた。
あまりの迫力に次の電車を待つ客は波が引くように距離をとる。茫然として――いや、過去がよみがえって動けない僕はイヤホンをはずした状態でその様子を観察した。
三脚を振り回す人物は小柄で、ダサい黒のベレー帽、ヨレヨレのTシャツ、スキニータイプのジーンズ、オタクが履いてそうな運動靴だった。
(DQNか……)
過去の記憶を苦く噛みしめる。
「こっちは金払ってるんだよ! ちょっと三脚立てて撮影するくらい当然の権利だろうがー!!!!」
(あーそういえば、例の寝台特急が通過するんだっけ……)
鉄オタから離れて久しいためソースは朝のニュースになるが、臨時の寝台特急が上野から長野方面へ出ていくはずだ。そのルートにこの駅はぶつかる。おおかたそれ狙いで来て駅員に注意されて逆ギレ――そんなパターンだろう。
俺は偽善鉄だった頃の手癖がつい出てしまい、気付かれないようにブレザーの胸ポケットに撮影モードにしたスマホを入れる。
「危ないですから! 駅構内で三脚を立てるのはやめてください!」
「うるさいうるさいうるさいうるさーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!」
三脚が待ち受けていたように駅員の左腕を刈り取った。駅員は呻くような声を上げて倒れ込む。
「だ、大丈夫ですか!?」
俺は反射的に駅員の元に駆け寄った。それが――二つの失敗を招いた。
一つはもちろん殴られるという暴力的な事実。もう一つは――
「何撮ってんだよ!」
小柄なDQN鉄が「リア充の俺」に向かって三脚を振り下ろす。
その瞬間、ホームに電車が進入し風を巻き起こした。
それは、ガキ鉄のダサいキャップを吹き飛ばすには十分な力を持っていて、
つい何時間か前にみた黒髪を露わにした。
「…………」
「…………」
時が止まる。そんな表現が似合う瞬間は一瞬だった。
「わかば……?」
品行方正、才色兼備でギャルがつかないガチの清楚系。おっぱいはデカくて、リア充をあしらう力があって、クラスのまとめ役。そんな彼女が――
「お前……ⅮQN鉄なのか……?」
その瞬間、止まっていた、いや、正確にはわかばが振り上げていた状態で止めていた三脚を俺の頭に向かって振り下ろした。
ゴツンと脳内に鈍い衝撃が響いて意識が遠のく。そんな中で“僕”が見たのは慌ててベレー帽を拾い、少なくない客が乗る電車に飛び乗るわかばの姿だった。
クラスの清楚系が駅で三脚を振り回しながら罵声を上げていた。そんな事実を認識すると同時に、俺の意識は深い闇の中におちていった。
目を開けてもそこは見慣れない天井などではなく、普通に、ごく当たり前に、鉄筋が覗く無骨な駅構内だった。鈍痛のする頭に手をあてて起き上がる。どうやら気を失っていたのは短い時間だったようだ。
「き、君! 大丈夫かい!?」
赤く染まった視界がサラリーマン風のおじさんを捉える。
「えっとー……まぁ、はい」
「と、とりあえず救護室に行こう。立てるかい?」
おじさんの手を借りて立ち上がる。頭の出血量に反比例して意識も体もはっきりしている。普通にあるけそうだ。
「それじゃ行こうか……」
ボタボタと血がコンクリのホームを染める。その光景に周りの乗客は引いていたが、そんなことはどうでもよかった。
(なんであんなことしてたんだろうなー……)
頼りない思考でわかばの姿を思い出す。
DQN鉄なんてやる意味がない。
鉄オタの中でも非常に不愉快で、気持ち悪くて、誰からも好かれなくて――
ただ自慰行為のように自分欲望のままやりたいことだけをやる。汚れる周りを考えない。
そんなことして、DQNなんて最低のレッテル貼られるのに――
なんであんなことするんだろう。
その後のことはよく覚えていない。
救護室――ではなく、駅員室で手当てを受け、親に連絡してもらい車で向かいに来てもらい家に帰った。被害届がどうとか、保険がどうとか、病院がどうとか、そんなことを話した気がする。でも、そんなことはよく覚えていなくて、いつのまにか自室のベッドで白い天井を見ていた。
「眠い……」
目を閉じればまたいつもの明日が待っている。リア充の俺が待っている。
夢を見た。
もちろん空想ではない。
夢なんてもの脳の整理行為で、自分が体験したものでしか構成されない。
これは中学二年生の頃の記憶だ。
まだ鉄オタだったけれど、そこにはつらつなんてものはなく、ボロボロの鉄オタだった頃の記憶。
ツイッターで炎上し、どうしようもなくなって、追い詰められて……
醜いデブで、汗でねちょついていて、一人ぼっちで、孤高ではなく孤独で、偽善と言われて――
助けてくれなくて、冷たい場所で一人震えて――
どうしよもなく「痛い鉄オタ」だった。
鉄オタをやめても迫りくる焦燥感、不安感、孤独感、みじめさに耐えきれず逃げて逃げて逃げて逃げて逃げて――
辿りついたのは「死ね」と毒づくことしかできない卒業式。
そんな“僕”を変えるために――
俺はリア充になった。
目が覚めると頭が鈍く痛んだ。どうやら寝返りを打ったときに患部をベッドの端に打ちつけたらしい。
時計を見ると時刻は六時半を指していた。タオルケットを払いのけ、シャワーを浴びるために一階に降りる。血がついた包帯とガーゼをはがし傷の状態を確認する。おでこが少し切れていたが傷はそこまで深くない。むしろその付近にできたたんこぶが痛かった。
頭からシャワーを浴びる。チクチクとした痛みに耐え、準備を終え朝食を食べる。両親がしきりに学校にはいかなくていいと言ってきた。無視して傷をガーゼで隠して家を出る。
今日はゆきには会わなかった。会わなくて良かったと思う。質問攻めにされても困るし何よりわかばが三脚で殴ってきたなどとは言いたくもなかった。
いつもより二十分は早く学校に着く。グラウンドや体育館では早くも部活の朝練が行われていたが、無視して自分のクラスに向かう。
上履きでリノリウムを鳴らして、ガラガラと扉を開ける。
あの時と同じように風が吹いて川のように黒い髪が靡いた。
委員長としての人当たりのいい瞳が、俺を認識すると同時に黒く濁った。
きっちり閉められた胸元のリボン、主張の激しい胸元、長めのスカートとソックスの間から除く膝小僧……肉体的魅力を制服で包み込んだ素晴らしい女の子。
俺を呼ぶ声が怖くなければ。
「横瀬くん」
瞳は汚いまま、表情は笑顔で、わかばは俺に一歩、また一歩と近づく。
「昨日のことなんだけど――」
ポケットの中のスマホを右手の人差し指で操作する。
「お願いだから秘密にしてくれないかな? 私のこと、好きにしてもいいから……ね」
わざとらしく胸を押しつけてくる。
そんなわかばの視界に入るように、動画を再生する。
『危ないですから! 駅構内で三脚を使用するのはやめてください!』
『うるさいうるさいうるさいうるさーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!』
「――――、」
「これ、何かわかる?」
驚きから立ち直ったわかばは俺から素早くスマホを取りあげようとする。
「無駄だよ。家のPCとHDDにも保存してある」
「……何が目的?」
俺からすっと身を引いたわかばが俺を鋭く睨む。
「もちろんこの動画にはわかばの顔を写ってる。ブレザーの胸ポケットに入れてたから」
「……だから、何が目的?」
「俺の両親はまだ警察に被害届を出していない。鉄道会社も俺が軽傷だったから大事にはしたくないみたいだ。まぁ、鉄道会社なんていうのは体面ばかり保ちたがるからこっちが警察に言っても――」
「だから! 何が目的なんだよ!」
昨日のようにわかばが叫ぶ。そこにはこのクラスの委員長はいなかった。一人のガキ鉄がいた。
「……別に目的なんて何もないよ。でも、わかばはこれを広められたら困るだろ?」
「……名前で呼ばないで……」
弱り切った声でか細く言う。
「俺のいうことを何でも聞け。それが条件だ」
我ながらゲスだなーと思いつつも、クラス内で小さくない影響力を持つわかばというワイルドカードを自由に使える権利はリア充という地位を維持していくうえで重要だと判断したのだ。わかばからリア充が気になりそうな話のネタを仕入れたりできるし、クラス内で自分の立場が不利にならないように計らうこともできる。なんならリア充のステータスの一つである「彼女」なんてものがタダで手に入る。まぁ、俺も普通の男子高校生で、好きな女の子はいるから現状それはしないだろうけど。
「わかった――」
わかばは頷――
「なんて言うと思った?」
かなかった。
「ねぇ、あんた私のことなめすぎじゃない?」
「どういうことだ?」
「全部知ってるよ。『龍騎2001F』くん」
「は?」
今度は“僕”が驚く番だった。だって、だってそれは……
「僕のツイッターアカウント……」
「中学生の頃は随分派手にやらかしたみたいだね。もっとも私みたいに行動じゃなくて言動だったみたいだけど」
わかばが自分のスマホを操作し、俺に画面を見せつける。そこには、今でも鉄オタ界隈で偽善ネタにされる俺のアカウントが表示されていた。
「横瀬君、君こそ私に従うべきじゃない?」
わかばが上目づかいに俺を見つめる。もちろんそれは男心をくすぐる可愛いものではなく、アイスピックのように鋭いものだった。
「……お前がバラすなら俺もバラす。それだけだ」
「そう? でも、横瀬君はもうリア充でいられなくなるよ?」
その言葉に背中に悪寒が走る。
リア充ではいられないということは――
また一人ぼっち。
鉄オタにもなれず、
リア中にもなれない、
くだらない、カスみたいな――そんな奴になってしまう。戻ってしまう。
たった一言。その一言は僕を凍りつかせるのに十分すぎるほどの威力があった。
「それに――」
わかばが俺の右手をつかみ、スカートの中へ導く。太ももから這い上がり、柔らかい布に手を押しつけられる。
「な、何を――」
「指紋、ついたね」
ニヤリとネズミくらいなら殺せそうなほど恐ろしい笑みを浮かべる。
「こういうのはどうかな? 私は横瀬君にあの“ねつ造動画”で脅されていて、今日は朝早く呼び出されて教室でレイプされた……とか?」
「……そんな言い訳が通用するわけ――」
ないだろ。言いかけた言葉は喉に突き刺さって出てこない。
「なんなら横瀬君の家のごみからオナニーしたティッシュでも回収してこようか? そうすれば物証は増えるよね?」
「俺は――」
「私に逆らわないで」
わかばは冷たく、冷たく言い放つ。
「私は私であるために誰にも邪魔されず鉄オタであり続けないといけないの。お前みたいなリア充の振りしている鉄オタもどきに何がわかる」
「…………」
「動画は消さなくてもいい。ただ、私もお前の弱みを握っていることは忘れるな」
わかばが汚物を見るような目で僕を睨みつけ、距離をとる。
「なにを……すればいい?」
絞り出すように問うと、わかばは普通に笑った。
「これだけ機材が多いと、単純に重いのよね…」
そういいながら、銀色のカメラ箱や機材を差し出し、悪魔のようににやりと笑った。
「私の足となって撮影手伝ってね♪」
こうして俺の華々しい高校生活は終わった。
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