第16話 愛とお琴

 荒れそうな気持ちを抑えるために深呼吸していると、程なくして侍従の局が戻ってきた。

 両手で竹かごを持っている。中には柿と梨、栗も入っているようだ。それに塩と小刀が添えられている。

 差し出された竹かごを見て、物ぐさ太郎は不満げに、

「かご一つに全部一緒くたに入れるなんて。牛や馬にえさをやるんじゃあるまいに」

 と評した。

 牛や馬のほうが、よほどつつましい。

 こいつに食べさせる義理なんて、彼女にはないのに。まさか、せっかく用意してくれた物を拒絶する気か。

 やきもきしていると、ふっと物ぐさ太郎の表情が真剣なものになった。かごの中身を見つめながら、

「待てよ。全部一つに入れたということは、『あなたと一つになりたい』という意味に違いない。とすると……栗は『ごとをするな』、梨は『私に男はなし』か」

 とつぶやいている。

 よくもそこまで都合よく解釈できるものだ。

 あきれ果てて、誤解を指摘する気にもなれないでいると、

「柿と塩の意味がよくわからんな。まあいい。これを両方歌に詠むか」

 と一人で勝手に決め、

の国の 難波なにわの浦の かきなれば うみわたらねど 塩はつきたり」

 と詠んだ。

 真っ先に浮かんだのが、「妙な歌だな」という感想だった。

「難波の浦」だの「海渡らねど」だのからすれば、どう考えても海の情景の歌だが、そこに「柿」が詠み込まれている。何なんだ、このちぐはぐさは。

 いや……そうか。「牡蠣かき」と掛け合わせているんだ! 「柿」を詠むという先入観がなければ、そのまま素直に「難波の浦の牡蠣なので、塩がついている」と受け止めたはず。

 それだけじゃない。おそらく、「柿」が「みは足らねど」、という意味も掛け合わせている。竹かごの柿のことを知っている者だけが、もう一つの意味に気づける歌なのか。

 当の物ぐさ太郎はと見れば、さっそく柿にかじりついている。もちろん、添えられていた小刀なんか使うはずもなく、丸かじりだ。種も果汁も、そのまま床にぼたぼたと落ちている。

 やっぱり、こいつのことはよくわからない。わからないが、それでも何とかしないと――と思っていたが。

「まあ……なんと風雅な」

 うっとりした声に振り返ると、侍従の局だった。その視線は、物ぐさ太郎に注がれている。

 何か、妙な気配になってきた。

 僕が戸惑っていると、侍従の局はさっと立ち上がり、またどこかへ行ってしまった。

 どうしたんだろう、と思いつつ待っていると、ちょうど物ぐさ太郎が柿を食べ終えたところへ、彼女が戻ってきた。その手にはたくさんの布を持っている。

「さあ。そのようなみすぼらしい格好はやめて、この衣を着なさい」

 そう言って彼女が差し出した衣を見て、驚いた。上等そうな絹の小袖こそではかま直垂ひたたれ烏帽子えぼしといった、庶民には縁遠い品ばかりだったのだ。

 物ぐさ太郎はまったく遠慮することもなく、顔を輝かせてそれを受け取った。

「おお、これはちょうどいい。今着ている物は風通しが良すぎて寒かったんだ」

 着古して薄くなったり破れたりしたのは、風通しが良いというのとは違うと思うが……。

 ああ、そうじゃない。そんなことはどうでもよくて――。

 そっと侍従の局の様子をうかがうと、ぽーっとした顔で物ぐさ太郎を見つめていた。自分が与えた衣が喜ばれ、それをうれしいと思っているのがありありと伝わってくる。

 ついさっきまで、こいつを迷惑がってなかったか?

 確かに、和歌は公家にとって基本的な教養。その才能が出世や恋愛にも影響するとは聞いているが……。

 さっそく物ぐさ太郎は、撫子にも手伝ってもらって、衣や烏帽子を身に着けた。

 これで見た目は少し小ぎれいになったものの、いかんせん、着慣れない物だから動きにくいらしい。袴や袖を邪魔そうに持て余し、歩く足取りもおぼつかない。

 あれでは危ないんじゃないか、という僕の不安は、その通りの結果になった――ふらついてよろけた挙げ句、局のすみに置かれていた琴の上に勢いよく倒れたのだ。

 あっと思う間もなく、琴は見事に壊れた。琴柱ことじが吹っ飛び、弦が切れ、胴の部分に傷ができている。よく見れば、へこんでいる部分もあった。

 僕は顔が青ざめた。侍従の局と撫子も、がく然として無残むざんな琴を見つめている。

 侍従の局は両の目から涙をこぼし、

手弾てびき丸が……」

 と声を震わせた。銘があるぐらいだから、かなり上等な琴だったのだろう。

 張本人の物ぐさ太郎はと言えば、ただ痛そうにしているばかりだ。琴の上に横たわったまま、顔をしかめて膝をさすっている。

 侍従の局は涙をぬぐいつつ、嘆息まじりに、

「今日よりは 我がなぐさみに 何かせん」

 と詠んだ。

 それを聞いた物ぐさ太郎は、侍従の局を見て、

「ことわりなれば 物も言われず」

 と返歌を詠んだ。

 そりゃそうだ。こんなことをされたら、侍従の局が悲しむのも「ことわり」というもの……ん?

 いや、待て。これは……「琴割り」と掛けているのか!

 この状況で悠長な、とあきれるべきなのか、こんな状況でもひねりのきいた歌が、と称賛するべきなのか。文雅なことにうとい僕には、よくわからない。わからないが――。

 そろりと、侍従の局の様子をうかがった。

 さっきまで流していた涙など幻のように、

「ああ……なんと情緒豊かな」

 と、何やら陶酔とうすいしている。

 ことわざにも「今泣いたからすがもう笑う」というが……。

 本物の烏だって、もう少し泣き続けそうなものじゃないのか。

 撫子は僕の肩にそっと手を置き、

「ここにいても、我々は邪魔なだけ。さりげなく気をきかせるのも礼儀の内です」

 と、退出をうながした。

 何かが非常に間違っているように思えてならなかったが、どう間違っているのかがわからない。

 もはや、二人の間に割って入る気概は、僕にはなかった。

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