第15話 てなもんで夕食を

 音のした局のそばまで行くと、半蔀はじとみ(上半分がはね上げて開けられるようになってる板戸)が開いていたので、そっと中をのぞいてみた。するとあんじょう、物ぐさ太郎がいた。侍従の局と撫子も。

 侍従の局は几帳の陰に隠れていた。明らかにおびえた表情で、体を震わせている。驚きと恐怖で声も出ないようだ。撫子が気丈きじょうにそれをかばっているが、こちらも顔は強張こわばっている。

 物ぐさ太郎はそれを気にする風もなく、

「よし。それじゃあ一緒に信濃へ行こう。何も用意しなくてもいい。暮らすのに必要な物は、みんな俺の家にあるから」

 と、笑顔で侍従の局をうながした。

 小屋と呼ぶのすら迷うあの小屋には、物らしい物もなかったように思うが……。あんな、一人が横になったらいっぱいになる所で、どうやって二人で暮らす気でいるんだろう。

 侍従の局は放心したような顔で、はらはらと涙をこぼし、

「なぜ私が、こんな汚らしい男に……」

 と嘆いている。

 何かもう、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。決してあなたは悪くない、と言いたい。

 僕は局と廊下をへだてていた御簾みす(すだれ)をめくりあげ、中に飛び込んだ。

「そこまでにしておけ。あきらめて僕たちだけで信濃に帰るんだ」

 そう叫んだ僕に、視線が集まる。物ぐさ太郎はきょとんとして、

「何でだ? せっかく都まで来たのに、手ぶらでは帰れないだろうが」

 と、当たり前のように否定した。

 まあ、簡単に納得してくれるとも思ってなかったが……。

 見張り役を引き受けた以上、僕も簡単に引き下がるわけにはいかない。

「仕方ないだろう。向こうは嫌がっている。それを連れて帰って妻にしたら、単なる人さらいだ」

「そんなはずはない。都へ来て働いたんだから、俺は妻を得る権利がある」

 いったいどう言えば、「おまえの妻になりたがる女なんか、どこにもいないから無理だ」ということを理解するんだろう。

 事態を見守っていた撫子が、いぶかしげな顔で僕を見ながら、恐る恐るたずねてきた。

「あの……あなたはその男といったい、どのような関係で?」

 これはいけない。かえって不安にさせてしまった。考えてみれば、僕もこの屋敷の人間ではないのだ。それがいきなり局に入ってきたんだから、彼女たちにしてみれば不審人物が増えたようなものだろう。

「ええと……こいつのお目付け役として、一緒に都に来た者です。こいつは僕が何とかしますから、どうかご安心を」

「ああ、それは助かります。一刻も早く、その男を侍従の局様から遠ざけてください」

 撫子は僕の言葉に安堵あんどの表情を見せ、すがるような口調で懇願こんがんした。侍従の局も、ややほっとした顔つきをしている。

 それとは対照的に、物ぐさ太郎はあからさまな仏頂面ぶっちょうづらで、

「勝手なことを言うな。何様のつもりだ」

 と文句をつけている。

 その言葉を、そっくりそのまま顔面に向かって投げ返してやりたい。

 さて、どうしたものか。あまり大事おおごとになったら、たとえ信濃へ帰れても、郷のみんなや地頭様に何を言われるかわからない。だが、こいつが侍従の局をあきらめないなら、そうも言っていられない――と迷っていると。

 庭のほうから犬のえる声がし、それに続いて大勢の人の声が聞こえた。

「こっちで犬が吠えてるぞ」

「逃げた奴がその辺にいるんじゃないのか?」

「徹底的に探せ。何としても捕まえなくては、豊前守様に申し訳が立たん」

 どうやら、すでに大事になっているようだ。こっそり屋敷から出て行くのも、この分では難しいだろう。

 僕は侍従の局に向き直り、

「こちらのお屋敷の方たちも、この男を不審者と見なし、捕まえるために探しているのです。すぐに呼んでまいります」

 と告げて、局を出ようとしたのだが――。

「お待ちなさい! 捕まれば、その男は切り殺されかねません」

 と引き留められた。

 まったく予期せぬ言葉に、僕はきょを突かれた。「なぜ」の二文字しか頭に浮かばない。

 僕は困惑しつつ、侍従の局にたずねた。

「あの……あなたをさらおうとした不審者なんですから、こいつが捕まえられるのも処罰を受けるのも当然です。あなたも迷惑しておられたはずでは?」

「ええ、迷惑です。迷惑ですが、屋敷の者たちが捕まえれば、きっと重い処分が下されます。私に関わった者が血を流すなど、あまりに恐ろしい!」

 いや、そう言われてしまうと……。

 こいつを自分から遠ざけてほしい。でも、流血沙汰ざたは嫌だ。穏便おんびんな方法にしてくれ、というのか。

 面倒だな、と内心では思ったが、表には出さなかった。僕が難渋していると、はたで眺めていた物ぐさ太郎が、

「腹が減った。何か食わせろ」

 と、まったく緊迫感のない調子で要望した。

 さすがに僕も苛立いらだちが募り、ぴしりととがめた。

「それなら宿に帰って食べればいいだろうが」

「日も暮れてきたし、ちょうど、もうじき夕餉ゆうげの時刻だ。宿に戻ってからだと遅くなってしまう。何より、今から帰るなんて面倒だ」

 勝手にここまで来ておいて、望むようなことか。これはもう力ずくでも帰らせねば、と覚悟を決めたが、その前に侍従の局が、

「用意してきます。少々お待ちを」

 と断り、そそくさと局を後にした。物ぐさ太郎は彼女が去ったほうへ向かって、

「柿でも栗でもいい。餅でもいい。酒があるともっといい。山ほどあっても平らげるから、遠慮しなくていいぞ」

 などと遠慮の欠片かけらもなく言っている。

 改めて周囲を見回すと、物ぐさ太郎の言葉通り、早くも薄暗くなり始めていた。今日という日が早く終わってほしいが……まったく終わりが見えなかった。

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