第5話 西に向かって行け!
父が出稼ぎから帰ってきたのと入れ替わるように、僕と物ぐさ太郎は都を目指して
父は帰宅した途端、
「田畑はわしだけでも大丈夫だ。しっかり務めを果たしてこい、忠助」
と力強く
物ぐさ太郎には出立するその日に、
「僕も付き添うように言われた。長夫が終わるまで同行させてもらう」
と告げたが、
「ふうん。そうか」
と返ってきただけだった。おそらく、他人のことに関心を持つのすら面倒なのだろう。
なにせ物ぐさ太郎だ。途中で面倒になって「やっぱりやめた」とか言い出すんじゃないか――そんな
だるそうな様子も退屈そうな顔も見せず、物ぐさ太郎は毎日歩き続けた。歩調もまったくゆるまない。すれ違う人や自然の風景を興味深げに眺めつつ、足はちゃんと前に出している。
そして明るい口振りで、
「あの向こうに行けば、数え切れんほど美人がいるんだろうなあ。こりゃ楽しみだ」
などと浮かれたことを言っている。
なぜだろう。嫌な予感が胸の奥から消えない。
とはいえ、今さら何かできるわけでもない。不安は脇に置いて、僕は都へたどり着くことだけを考えた。
折しも季節は春。草花や木々は芽吹き、明るい色彩を取り戻している。冬の間に比べて輝きを増した太陽は、寒さをやわらげ、背中を押してくれているようだった。
それに加えて、あたらしの郷の風景以外をろくに知らない僕にとって、街道の風景はとても目新しく感じられた。
西に進むにつれて、見慣れない花や木が増えていく。同時に、あたらしの郷では珍しくもなかった植物を、いつの間にか見かけなくなったりもする。
歩くのは決して楽ではないが、未知の景色に目を向けていると気持ちも
取り立てて何か話すでもなく、西を目指して歩を進め、いくつもの宿駅を通過し――七日間かけてようやく、僕たちは都へたどり着いた。
まずは何を置いても、二条の大納言様に
屋敷の場所を人に聞いて訪ねてみると、予想はしていたが、いや、予想以上に壮麗な建物だった。堅牢な門と美しい
「信濃の国から長夫のために参りました」
と門番に告げたら、すんなり中へ入れてもらえた。長夫の者が来ると、あらかじめ通達されていたのだろう。
それはいいのだが、門番も女房(貴人に仕える侍女)も、はては下男までもが、こちらを見てくすくすと笑っている。正確に言えば、僕ではなく物ぐさ太郎を見て、だ。
女房に案内されて大納言様の
「まあ、なんて薄汚い。どうやったらあんな、すすけたような肌になるのかしら」
「みすぼらしいにも程がある。よくあんな格好で平気ね」
僕を笑っているわけではないと重々わかっていても、居たたまれない気持ちでいっぱいになる。
大納言様のおられる部屋へ通された時には、もはや、さっさと挨拶を済ませて解放されたいという一心しかなかった。
物ぐさ太郎の
「まあ……まめに働いてくれるなら、どのような者でもいい。精を出してくれ」
とおっしゃった時の表情は、かなり微妙なものだった。必死で不安を押し殺しておられるのが、ひしひしと伝わってきた。
大納言様は、気を取り直すように
「この者は
と紹介してくださった。立派な体格で、顔立ちも少々
「わからんことは何でも遠慮なく聞いてくれ。初めての都だと不安も多いと思うが、困った時はいつでも力になる。長夫が終わるまで、共にがんばろう」
という言葉からは、頼りがいと優しさが感じられた。
今後の段取りの話も終わって、部屋を退出しようとした時、大納言様は僕に向かって、
「そなたはなぜ、ここに来たのだ? 長夫として都へ来たのは、物ぐさ太郎一人のはずではないのか」
とおたずねになった。僕はきっぱりと、
「付き添いです」
とだけ申し上げた。有無を言わせぬ何かをお感じになられたのか、大納言様は、
「そうか。よきに
とおっしゃっただけで、それ以上は何もお聞きにならなかった。
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