第178話 二人きりの道楽
「あー……腹減ったなぁ」
こたつの中での攻防が一段落し、少しの間があって……頬を寒気がそっと撫でたのを受けて俺の口からそんな言葉が思わず漏れる。
寒くなるとどういう訳か腹がすいてすいてたまらねぇ。
腹の奥底から温めろ、飯を食え温かいもんを食え、出来たら酒も飲め……と、そんなことを五臓六腑が叫んでいやがるみてぇだ。
その叫びがそのまま口から吐き出されたってなもんで……それを受けてネイは黙って立ち上がり、台所の方へと向かう。
台所の方で何かつまめるもんでも作ってくれるのかな? なんてことを考えながらその背中を見送ると……予想していたよりもかなり早くネイが戻ってきて、大きな箱を一つえっちらおっちらと、その後に続いて上等な木炭と、磯臭い編み樽を持ってくる。
「ん? もしかしてこの箱、長火鉢か? なんだよ、言えば俺が用意してやったのに」
決して軽くはねぇそれを苦労して持ってきてくれたらしいネイに俺がそう言うと……ネイは運んで来た時の顔以上に、渋い顔となって言葉を返してくる。
「いやよ、それじゃぁ驚かせ甲斐がないじゃないの、せっかくこんなものまで用意したのに。
ダンジョン攻略の道楽と言えば外食ばっかりだったけれど、たまにはこういう道楽も良いんじゃないの?」
なんてことを言いながら向かい合う席ではなく、隣の席に腰を下ろしたネイは、俺とネイの間に長火鉢を置いて蓋を開け、火ばさみで灰をちょいちょいと撫でてやったなら、火付け壺で木炭に火を付けて……良い感じに赤くなった木炭を灰の上に並べて……四角く切り出された石を四つ、その周囲四方に並べる。
そうしたなら石の上に金網置いて、何かを焼く準備万端となって……この寒い時期だ、海老か蟹でも焼いてくれるのかと思ったら、ネイは見たことのねぇやたらとでかい貝を編み樽の中から取り出して……金網の上へと並べていく。
「お、おぉ……なんだこの貝、やたらとでかくて平くて……殻もなんだか波打って変な感じじゃねぇか」
ネイと長火鉢を挟み合う形で頭を突き出し、その光景をじぃっと見やりながら俺がそんな声を上げるとネイはにやりと笑みを浮かべながら言葉を返してくる。
「これがシャクシャイン名物のホタテよ、ホタテ。
海路で仕入れた新鮮なホタテなんて、まともに買うとしたらとんでもない金額になるからね、十分な娯楽になるはずよ。
まー……人に見せつけるとかは今回できないけど、そこはまぁ、この寒空だし、外食したって対して変わんないし……後で皆に自慢することで取り返しなさいな」
「へぇ……これだけでけぇと食いでがありそうだが、美味いのか? これ?」
「私もまだ食べた訳じゃないから、味についてはなんとも言えないんだけど、噂では貝柱がすっごく美味しいらしいわよ」
「……貝柱が? あんな小せぇもんが美味くても、この今にも唸り声を上げそうな腹は満足しねぇんじゃねぇかなぁ」
なんてことを俺が口にしたその時だった。
まるでその時を待っていたかのように金網の上でじゅうじゅうと音を立てていた貝が開き……その中身を顕にする。
丸くふとく、でっけぇ何かが中央にあって、その周囲に身があって……いやいや、おいおい、まさかこれが……。
「こ、これがホタテの貝柱か」
と、俺がそんな風に考えていたことをそのまま言葉にすると……ネイもまさかこれ程とはと思っていなかったようで目を丸くしながら驚き……少しの間があってから、火ばさみと菜箸を操って開いた側の貝をぱきりと音を立てながら外し……ぐつぐつと煮汁が沸いている貝の中に、醤油瓶を手にとって、ちょいちょいと醤油を垂らす。
すると煮汁が良い色に染まって、醤油のたまらねぇ香りを立てながら更にぐつぐつと煮立っていって……更にネイは懐から何かの包みを取り出し……その中身を菜箸でちょうど良い大きさに割ってつまんで、ちょいと乗せる。
「これは牛酪、ボグ達の言葉を借りるならバターね。
前のお鍋で食べたからなんとなく予想がついているとは思うけど、これがね、ホタテによく合うらしいのよ。
ああもう、早速良い香りをさせちゃって、これが牛のお乳だなんて信じられないわねぇ」
乗せた途端とろりと溶けて、醤油よりも更に良い香りをさせてきて……もう少しで出来上がるらしいとなって俺はこたつから抜け出て台所へと駆けていって、小皿やら箸やら、更に酒と燗徳利と猪口の支度をし……小皿と箸は長火鉢の脇台に置いて、酒の方は少しでも温まるように、炭をちょいと借りてそれでもって燗徳利のことを包んで……そうしながらぐつぐつと煮えるホタテのことを睨む。
「もう、良いんじゃねぇか?」
「そうね、そろそろ頃合いね」
そうして俺が声を上げると、ネイがそう返してきて……脇台の小皿に貝を器用に乗せて……俺達はもう我慢できねぇとばかりに箸を引っ掴む。
箸を引っ掴み、とにかく貝柱を食ってみてぇの一心で、貝柱とそれ以外を分離させて……ほくほくと香ばしい湯気を立てる貝柱を口の中へと放り込む。
「うめぇしあめぇし……こいつぁまいったな」
放り込んでよく噛んで……圧巻とも言えるその甘味と旨味が一気に口の中に広がって。
これを貝の味と言って良いのか、俺が今まで食べていた貝は何だったんだという味で、蟹でもねぇ蛸でもねぇ、ホタテでしか味わえない強烈な味が胃袋に染み渡る。
そうやって言葉を失っているとネイは燗徳利を持ち上げ、俺の猪口に注いでくれて、俺はくいとそれを飲み……お返しにネイのちょこに酒を注いでやる。
「こいつぁ参ったな……貝柱の大きさにも驚かされたが、味もここまでとはなぁ」
なんて言葉を俺が口にする中ネイは猪口の中身をくいと飲み干し……編み樽の中から次のホタテを取り出し、金網の上に置く。
に、二個目だと……まさかの二個目だと!?
またあの味を堪能できるのかと驚いた俺は……今度こそしっかりとした熱燗を楽しむぞと、燗徳利を手に取り、次の一杯のための支度を整える。
その間にネイもまた次の一口のための支度を整えていって……そうして俺達は二人きりで、こたつの入ったままの随分な道楽を堪能するのだった。
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